てっちゃんが私のために何度も言ってくれていた言葉… 32歳、急性リンパ球性心筋炎で、具合を悪くしてたったの5日で逝ってしまったてっちゃん。最後、彼と何も話せなかった。 頭の中をグルグルする滅茶苦茶な想いを、とにかく吐きだしてみようかと思う。 <The title of this blog is the words My husband, Tetsuya often said to me...He was only 32 years old, passed away due to acute lymphocytic myocarditis. I could not talk with him enough after he felt sick. I will just write out my feeling and emotion that are stucking in my mind everyday.>
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2019年12月15日日曜日
定期反応…?
なんというか、
いわゆる記念日反応なのか、
ただこういう季節・時期だからなのか、
ホルモンバランスの問題なのか、
この波は、どうせ少しの間我慢すれば静まるときがくることはわかっているけれど、
でもどうしても嘆きたくなる。
もうすぐ4年が経とうとしてるのに、
今でもまだ、一人では抱えきれない思いに襲われる。
「そりゃそうだ」って言われるやつだ。
てっちゃんのことがあってすぐとか、数ヵ月の頃、
みんながくれたメッセージを、この前ふと読み返した。
その当時は正直、
その一言、その思いを受け取りきれない自分がいた。
冷めきった心があった。ありがたくも、苦しかった。
でも、今はその全てが贅沢だったことに気づく。
Facebookに出てくる「◯年前の今日」とかいうやつ。
そこに写る自分。
その先のこと、考えてるようで何もわかってない顔で楽しんでた自分や、
その写ってる写真すらももう、てっちゃんがいなくなっちゃった後の世界だったり、
時間の流れとか、そこに起きてたことの事実に、記憶も感情も掻き回される。
パートナーを亡くすこと、
その上で生きていくこと、
「俺だったらって思ったら絶対無理だと思う」
「私がそうだったらって思うけど、考えられないし、すごいと思う」
そう言われる。
それはそうなんだけどね…
もしこの先、他にそういう友達に出会ったら、その時は違うことばをかけてあげてほしい。
と、思う。
でもそんなことを言いながら、最近は自分も、
同じようにグリーフの中にいる方たちと話をして、
その難しさに、繊細さに、多様さに、
困惑したりもする。
と同時に、力ももらうんだけども。
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