てっちゃんが私のために何度も言ってくれていた言葉… 32歳、急性リンパ球性心筋炎で、具合を悪くしてたったの5日で逝ってしまったてっちゃん。最後、彼と何も話せなかった。 頭の中をグルグルする滅茶苦茶な想いを、とにかく吐きだしてみようかと思う。 <The title of this blog is the words My husband, Tetsuya often said to me...He was only 32 years old, passed away due to acute lymphocytic myocarditis. I could not talk with him enough after he felt sick. I will just write out my feeling and emotion that are stucking in my mind everyday.>
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2017年9月29日金曜日
本
この前読み終わった本。
新聞の本紹介の欄で偶然目に入って、興味が湧いて買ってみた本。
『OPTION B』
http://www.nikkeibook.com/book_detail/32159/
https://optionb.org/book
著者はアメリカ人でユダヤ教徒(本を読む限り)で、
FacebookのCOO(最高執行責任者)。
国籍も、宗教も、職業も、生活環境(彼女には子供がいる)も、
全然違うけど、
夫を突然亡くしたという共通点で、
彼女の選んだ言葉に、この本を通して私の心はたくさん寄り添ってもらった。
この本自体は、
彼女の体験をもとに、死別に限らず、失恋や虐待、差別等、人生の中に起こりうるあらゆる苦難・逆境の中で、“Resilience(レジリエンス)”という力をどのようにつけていくかを語っている。
**Resilience=辞書上では“回復力”。
彼女はそれを
「逆境が襲いかかってきたときにどれだけ力強く、
すばやく立ち直れるかを決める力であり、
自分で育むことができる。」
と言っている。
オプションAという最良の人生の選択肢がなくなり、オプションBを選ばざるを得なくなった時に、それをどう使って生きていくのか、
を書いている本なんだけど、
その力はきっと、今の私が、これからを生きていくにあたって鍛えていくべきであろう力であって、
それが鍛えられるものだと気付き始めた、ちょうどそんなタイミングだったから、彼女の言葉がすごく、癒しにも支えにも、そして刺激にもなったんだと思う。
この本を読むにあたって、まず自分が自分を客観的に見て認めるべきだったのは、
こういう類の本が読めるようになっている自分。
悲しい苦しいの心にひたすら共感してくれるような、
死別ってこんなに苦しいんだってことをひたすら共感して慰めてくれるような、
そんな本だけじゃなくて、
そんな感情を否定することなく、でもそんな人生でもそんな自分でも、
てっちゃんの事を強く強く想い続けながら生きる方法にどんなものがあるのか、
そんなヒントをもらえる本。
少し前の私だったら、
こういう私の手を引いてくれるような、
背中を押してくれるような、
私に何かを諭すような、
そんな要素を持つ本は断固お断りだったから。
でも、
正論を並べるだけじゃない、
理屈だけじゃない、
その時その時の感情を大切にしながら生きる、
生きる訓練をする、
今の私の暗闇も戸惑いも、
両方の面をすくい上げてもらえる感覚がした本。
苦難と闘う当事者だけじゃなくて、
そんな人の周りで支えたいと思っている人や、
それこそ私みたいな友達を近くにもって、なんて声をかけたらいいか、どう接したらいいか分からない人も読んだら面白いと思う。
本の最後の方に書かれていた文章を一部抜粋。
著者が亡くなった旦那さんの名前を入れていたところを、「てっちゃん」に変えてみる。
『逆境から立ち直るだけでなく、
逆境をばねに成長することもできるのだと、
いまならわかる。
てっちゃんを取り戻すためなら、
その成長をあきらめるかって?
あたりまえよ。
誰も好き好んでこの方法で成長したいとは思わない。
でも悲劇は否応なしに起こり、
そして私たちは成長するのだ。
あれを「別のかたちの幸運」だなんて、
気色悪い呼び方をしたくない。
幸運でもないし、別のかたちでもない。
だが、失われるものもあれば、得られるものもある。
そしてときには、
得られるものが、やむを得ず失われるものと同じくらいか、
もっと大きいこともあるかもしれない。』
そうなんだろう。
そうなのかもしれない。
そうだと気づき始めているのかも。
この文は、
私の芯にある真っ黒な部分を無理に変えようとすることなく生きていく方法があることを教えてくれる。
2017年9月14日木曜日
二人の写真
ツーショットの写真…
戻りたい。
戻りたい。
片付けたほうがいいのかな…
せめて目につかないところにしまったほうがいいのかな…
片付けられるはずなんかないんだけど、
全然しまいたくもないんだけど、
こんなにあの頃の写真に囲まれた部屋にいると、
やっぱりあの頃を求めちゃう。
「あの頃」と「今」がまだゴチャゴチャだったときとは、
今感覚が違うから…
「あの頃」と「今」が違うのがわかるから…
だから、写真の二人を見ると戻りたくて仕方なくなって、
それが“難しい”んじゃなくて“不可能”だとわかると、苦しくて仕方がない。
涙が…
止まらない……
でも、
あの頃の私達も、
この写真たちも、
この現実も、
全部どかせない。
てっちゃんに会いたい
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