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2018年4月25日水曜日

ごめんなさい



あれ以来、


人の幸せを祝ったり、共有したりすることが、

どうしてもできなくて……



この二年間に、

結婚した友達や、

新しい命を授かった友達…

他にもたくさん前向きな変化を得た人…



結婚や出産は、

どう考えたって無条件に幸せなことでお祝いすべきことで、

私たちが結婚したときだって、

本当ににたくさんの人達にお祝いしてもらったのに、

なのに、
言葉のひとつもかけられず、

いいね!のひとつも押せず、

お祝いの品のひとつも渡せず、

顔を見せに行くこともできず、



ごめんなさい。

本当にごめんなさい。




この二年間の私の心は、

自分でも驚くほど醜くくて、

と言っても、どうしてもどうしようもないんだけど、

どうか、許してください。


こんな心をもってしまった私を見て、

てっちゃんだっていい気はしないだろうに、

でも、努力しても意識しても、
ガチガチになった心がほどけてくれないので、

ごめんなさい。


自分の心が、現実的にもう不可能なことを求めてしまうのを抑えるだけで精一杯なので、

どうか大目に見てください。


なにも言わずに「きっとわかってくれる」と思って今まで過ぎてしまってごめんなさい。



2018年4月24日火曜日

Blessed…




最近はもっぱら洋楽を聴くことが多い。

別に詳しいわけでもないけど、

何となくイントロと声の雰囲気で選ぶ。


電車の中にいると、
やっぱり周りの人の話し声や表情が気になったり、
ボーッとした勢いで波を呼び寄せ易くなっちゃうから、

音楽は、そういうものを遮断するのにいい。


で、私は歌詞を聞きたがる質なんだけど、
一つのフレーズが、また少し心を柔らかくしてくれた。


******************************************

When I'm lost,

I'm missing you like crazy

And I tell myself I'm so blessed to have had you in my life, my life


******************************************


この後半の部分に、私はなかなかたどり着けないことが多い。

てっちゃんに会いたくてしかたなくなって、

それが叶わない現実に幻滅して、
自分が少し冷静になるのを待つしかない。


でも、
この歌詞の通りなんだ。


私の人生に、てっちゃんという大きな大きな強い存在がいるということが、


何よりもありがたいことで、

幸せなこと。


てっちゃんがいなくなった世界のことを恨むんじゃなくて、
(恨まないわけにはいかないんだけど…)

てっちゃんが私と一緒にいてくれた時間に感謝する。


他の誰にもできなかった、てっちゃんが選んでくれた私との時間を…ね。




そんなことを、電車に乗って、洋楽を聞きながら思う。

2018年4月15日日曜日

ただいま




てっちゃんの両親のおかげで、今年もまたあの地に行くことができた。


二人が感じて抱えてきた、

悲しみや現実の残酷さ、悔しさや、

それでも理解が及ばない苦しさは、

もちろん言葉では例えようがないんだけど、



でも、少しでも、この旅が、

頭と心のすれ違いや矛盾と闘うだけの時間じゃなくて、

てっちゃんの笑顔を思い浮かべられる、

心を解放できる時間であったらいいなと思う。



そして、

てっちゃんの代わりには決してなれないけれど、

少しでも、私のできる親孝行になった部分があればいいと心から願う。




あれ以来、もう何度も、
てっちゃんなしで飛行機に乗って長旅をしているけれど、

でもやっぱり今でも隣の席にてっちゃんを求める。


美味しいとは言えない機内食も、

ワインを二人でもらってゆっくり喋りながら食べれば、

何も気にならなかった。


チャールストンの空港は、この二年で工事が進んで、少し大きくなった。

4年前、
私がてっちゃんのいるチャールストンに着いたときに、
お迎えで座っててくれたあの場所は、もう見当たらない…。



心はどんな瞬間も、

あのときのものを鮮明に覚えてて探し求めてるのに、

今回、空港を出た瞬間に自分が感じたチャールストンの空気が違った。



(あれ…こんな空気だったっけ…こんな匂いだったっけ…)



吸い慣れた空気のはずなのに、

自分の身体や感覚が、チャールストンに「帰(返)ってきた」んじゃなくて、

“ホーム”が日本になってるのを思い知らされた。





でも、旅の間では、
そんなショックも静めてくれるほど、

チャールストンの

大きな空と、

大きな景色と、

陽の光と、

なんとも言えない自然の温かみは、


私にたくさんの深呼吸をさせてくれた。



息が止まるほど美しい、というのとは違う、

そこでただ空を見上げて、

肩の力を抜いて、

とにかく大きく息を吸いたくなるような、

あの空間。




心が急にてっちゃんを強く求める瞬間も、

その空間は、私に大きく深呼吸をさせてくれるか、

とにかくただ、涙を流させてくれるかの、必ずどっちか。


必ずすぐに逃げ場がある。



こうやって、書けば書くほど、やっぱりチャールストンが好きなんだけど、

でも、私はこの一年で、

日本で生活し直す自分を、だいぶ描けるようになった。

そして、それを受け入れられるように少しなった。



我慢してまで日本にいる必要なんてないと言うのはもちろんわかった上で、

もしかしたら何かの拍子にまた飛び出すかもしれないけど、


それでも、今の私には、

日本で、

母親と一緒に暮らしながら、

次の生活スタイルを少しずつ造り上げていくことがいいんだって、

ちゃんと納得してる。


そう「したい」と、ちゃんと自分の意思で思ってる気がすることもある。



だから、

チャールストンのもつ、

前と全く変わらないエネルギーも温かみも、

今回はちゃんと自分の中に取り込んで帰れる気がする。




そして、


「自分」を信じること、信じようとすること、

「自分」を大切にすること、

てっちゃんを信じること、

てっちゃんと私が二人で築いてきた絆を信じること、

聞きたくても聞けなくなってしまったてっちゃんからの言葉を、とにかく信じること、強く思うこと、


その全部がうまくできなくても、

そうしてみようと努力すること、

私が今てっちゃんにできることはそれだけだということ、

苦しいけど、

それを自分にずっとずっと言い聞かせるしかないし、

それが結果的にすごく大切なんだってことを改めてたくさん考えた。



そして、

そうやって努力して踏ん張って信じて生きてみたら、

きっと、いつか、何十年後かに、

なにかがたぶん、
なにかをたぶん、

理解できるんじゃないかと思う。




帰ってきてすぐは、心がわりときれいでいられるから、

そのうちに書き留めておいてみる。



てっちゃんが、日本にもチャールストンにもいないことを、
何度も何度も思い知らされるのはすごくしんどいけど、

でも、なんだかんだとここまで毎年、

あの地を訪れることができる環境や、
周りの人の理解、サポートがあることに感謝して…




てっちゃん、今回も私たちをたくさん守ってくれてありがとう。