てっちゃんが私のために何度も言ってくれていた言葉… 32歳、急性リンパ球性心筋炎で、具合を悪くしてたったの5日で逝ってしまったてっちゃん。最後、彼と何も話せなかった。 頭の中をグルグルする滅茶苦茶な想いを、とにかく吐きだしてみようかと思う。 <The title of this blog is the words My husband, Tetsuya often said to me...He was only 32 years old, passed away due to acute lymphocytic myocarditis. I could not talk with him enough after he felt sick. I will just write out my feeling and emotion that are stucking in my mind everyday.>
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2017年11月27日月曜日
久しぶり
てっちゃん、どうしてますか。
毎朝、目が覚めて布団から出る前に、
毎晩、布団に入ってから、
毎日、玄関を出て空を見上げると、
毎日、電車を降りて家に向かって坂を登るとき、
毎日何度も、携帯の待受にいるてっちゃんの顔を見ながら、
いつもいつも、
てっちゃんが今どうしているか、
どんな顔してるか、
何を思ってるのか、
そして、なんでこうなっちゃったのか、
考えてます。
「今日もてっちゃんのいない一日だよ」
「でも私また朝を迎えてる」
「時間に追われて動いてる」
「あ、今日も一日終われそうだ」
「やっぱり今日もてっちゃんは現れてくれなかったか」
「そりゃそうだよね、死んじゃったってそういうことだよね」
「生きてかなきゃいけないんだもんな」
「てっちゃんがいないで生きてくってこういうことか」
「寂しいな、会いたいよ、みんなみたいにさ、
なんでだよね、てっちゃん」
……そんなことを毎日思いながら生活してるよ。
いつでもそばにいると、
いつも見守ってくれてると、
そう考えればやっていけると、
心から信じてるけど、
そううまくはいかないんだよね。
少し忙しく過ごせるようになってきて、
でも忙しくなると苦しくなって、
溢れる涙が増えてきて、
てっちゃんのいない人生なんかやっぱり楽しめなくて、
でも時間は過ぎてくことはわかってて、
とはいっても、てっちゃんのことがあってから、「明日」の保証なんてないと思ってて、
でも「明日」がなくても、それがつまりてっちゃんとの再会を意味するなら何も嫌じゃないと思う。
平気な顔だってできるようになってきて、
仕事のことも真剣に考えられる余地だってできてきた。
でも、私がみんなに、てっちゃんに、みててほしいのは、その部分じゃなくて、
変わらず重い、この部分。
やっぱり一人じゃ抱えきれないから。
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