てっちゃんが私のために何度も言ってくれていた言葉… 32歳、急性リンパ球性心筋炎で、具合を悪くしてたったの5日で逝ってしまったてっちゃん。最後、彼と何も話せなかった。 頭の中をグルグルする滅茶苦茶な想いを、とにかく吐きだしてみようかと思う。 <The title of this blog is the words My husband, Tetsuya often said to me...He was only 32 years old, passed away due to acute lymphocytic myocarditis. I could not talk with him enough after he felt sick. I will just write out my feeling and emotion that are stucking in my mind everyday.>
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2016年10月21日金曜日
元気かな?
てっちゃん、元気かな。
「元気」なわけはないんだけど、そう思う。
一緒にいてくれる、そう思ってるけど、
一緒に来たかったな、の想いは消えない。
やっぱり疲れるとダメだ。
20日、
今日はてっちゃんのためにご飯を作ってあげることはできないけど、お酒の好きなてっちゃんと一緒に飲もう。
「一緒に」は飲めないけど、一緒に飲みたい。
そう思うしかない。
2016年10月14日金曜日
近くにいる。
てっちゃん、東京も一気に秋になって寒さすら感じるようになってきたよ。
てっちゃんがいなくなっちゃった冬のあの寒さから、暑い夏も通り越して、また寒くなっちゃったよ。
待ち受けにしてるツーショットの写真も、冬に撮った寒そうにしてる写真にしたよ。
寒いの嫌いだから、繋ぐ手もなく一人で歩くのは更に寂しく感じるよ。
てっちゃんのパーカーが家の中で羽織るのに大活躍してるよ。
淋しいけど、でも、てっちゃんはきっと近くにいてくれてるんだって、
あの優しさで包んでくれてるんだって、
そう思えたよ、今日は。
会いに行きたい…逝きたいけど、ずっと我慢してなんとか生活してる私を、偉いねって肩さすってくれてる気がしたよ、今日は。
と言いつつ、私が勝手に感じるんじゃなくて実際にそうしてほしくて仕方なくて、涙は止まらないけど、
でも、改めて、大好きなてっちゃんのことを、また素直に信じたくなった気がしたよ、今日は。
てっちゃんの頭の回転の速さと、心を切り替える器用さには、いつも追いついていけなかったけど、今もついていけてないかもしれないけど、目離さないで、私のペースに根気よく付き合ってよね。
2016年10月10日月曜日
チャールストン
チャールストンに戻りたい。
その想いはこの9ヶ月間、全く消えない。
だったら戻れば?という人もたくさんいると思う。
別に日本にいなきゃいけない理由はないのだから。
でも、やっぱり、あの場所は、てっちゃんがいたからこその場所で、思い出で、"二人での"冒険の場だったから、
そこに自分一人で、てっちゃんなしで戻るのは怖い。
友達は絶対に大歓迎してくれるだろうし、生活だってたくさんサポートしてくれると思う。
街も、景色も、空気も、人も、気候も、時間の流れるリズムも、全部好きだし、きっとそれはまた得られるのだけど、
てっちゃんっていう何よりも大きい要素がなくなってることに、まだよく気づけていないからこの気持ちが捨てられないのかなと思う。
行ったらその事実に本当に気づけるのかな。
もし気づいたとしたら、私はどうなっちゃうんだろう。
この状態で戻れば、このてっちゃんとの別れで必死に向き合ってきた悲しみの感情にも、また一からもう一回、むしろもっと酷くのみ込まれるのかもしれないなとも思う。
今までよりも、もっとしんどいかなとも。
やっと、やっと少し、日本での生活に体が慣れてきたのに。
でも、やっぱり、あそこに戻りたい。
その気持ちが消えない。
あそこで得てきた私のパワーは、何だったのか。
やっぱりてっちゃんがいたからなのか。
これからの居場所はここじゃなくなるんだって、3月に戻ったときに、何度も何度も自分に心の準備と覚悟をさせたはずだったのにな。
自分自身
本に書いてあった。
「死別の悲しみは、ひとつの「点」のようなものではなく、それまでのその人の人生の意味や、築き上げてきた人間関係が根底からくつがえされてしまうような体験なのだ。理不尽な死の意味を求めるその人自身が、それまでのその人ではなく、自分にとっても見知らぬ他人となっている。」
そう思う。
この筆者の伝えたいことと100%合ってるかはわからないけれど、すごくわかる。
自分が自分でない。
てっちゃんと一緒に撮った昔の写真を見ると、
てっちゃんに対しては、
「なんでこんなに自然と笑ってる人がいないという現実があり得るのか」
って思っちゃうけど、
その隣に写ってる自分に対しては、
「なんだか楽しそうだね」
って、他人事のように見てしまう。
それが自分だとなんか思えない。
2016年10月6日木曜日
感覚
私の部屋は、てっちゃんのものや写真で溢れている。
それを目にしたり、手に取ったりすることで、てっちゃんを身近に感じようとしている部分もあるし、それを通して、ただただ涙したいときもある。
携帯に入っているてっちゃんの写真を見ると、
てっちゃんに触れたくて仕方なくなる。
でも、最近、触れようとする私の手の感覚が…
頭の中で触れようとするてっちゃんそのものが…
前よりもすごく遠く感じる。
前は、何もしなくても、今ここにいる感覚として、今にも触れそうな気すら勝手にして、すぐ目の前にいるてっちゃんに触れようとしてた。
なのに、今はそれが遠い。
触った感覚、温度、全部まだはっきりわかる。
元気だった頃のてっちゃんの感覚も、病院にいる間のてっちゃんも、棺に入れられてからのてっちゃんも…
愛を感じようと、力をあげようと、たくさんたくさん触れてたから、全部わかる。
でも遠い…。
これが時間が経つっていうことなの?
私が変わっちゃってるのかな…
てっちゃんが離れていってるのかな…
まだ神さまが邪魔しようとしてるのかな…
もう一回…何度でも、言うしかない。
てっちゃん、かえってきてよ。
てっちゃん、今どこで何してるの。
2016年10月3日月曜日
きれいなものもきれいじゃない。
旅行番組に出てくるきれいな景色とか、人気の観光スポットとか…
駅や電車の中に貼られてる風景入りのポスターとか…
美味しそうなものとか、話題のグルメとか…
それを見聞きしたときに、
そういうものに出会いに行くことで気分転換しようと思うより、
もうてっちゃんと
「ここ行ってみたいね〜」
とか
「これおいしそう!今度行ってみよう」
とか
「でもやっぱりこの前の◯◯は良かったよね〜」
とか
私には言えないんだって思うばっかり。
てっちゃんと、
行きたい場所、見たいもの、行ってみたいお店…
何もない。
てっちゃんはこんな季節の変化も、ニュースになってる話も、私が髪を切ったことも、
あの日、あの時以来のことは
知らないし見てない。
知ることができないし見ることもできない。
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