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2017年10月28日土曜日

きつかった。



久々にこたえた…。

これを“久々”と言えるようになってる自分をまず、良いように捉えるべきなんだろうと思うのだけど…。



混み合った電車。

私より先に乗り込んだのが男女の二人組だったことはわかっていたけど、カップルな雰囲気でもなかったから、背中を向けて乗った。


何も考えずに、しばらくいた。


満員電車にはだいぶ慣れてきた。


そんな時、私のすぐ後ろでその女性のほうに話しかけるその男性。


別にてっちゃんの声に似てる訳でも、話し方が似てる訳でもなかったと思うんだけど、


私の全身が反応しだす…


てっちゃんと飲んだ帰りに、一緒に混み合った電車に乗って、楽しく話したあの時が一瞬で蘇る…


どうか黙ってくれと思った。

呼吸が苦しくなった。

涙をこらえるのに必死だった。


てっちゃんに助けを、癒やしを、求めた。



こういう、なんというか、
自分がどうしようもなくなる身体の反応は、
てっちゃんと世界を絶たれてからの特有の感覚。


やっと、てっちゃんとの幸せな過去を求め過ぎずに、
何とか抑えながら過ごせるようになってきたと思ってたんだけど…。

何とか引っ張ってたバネが一気に引き戻される感覚。


てっちゃんを想うことが、想う時間が、
苦しいけど幸せだからこそ、
心がグチャグチャになる。



てっちゃんはなんだか最近、夢のさらにまた奥底にいる感覚で、毎朝複雑な気分です。


2017年10月14日土曜日

身体の芯




なんだか落ち着かない。

ソワソワする。

ソワソワするというか、身体の奥底が掻き乱されてる。

身体の奥底が息苦しい。



配偶者を亡くした人がよく表現する感覚の一つに、

“身体の半分が削ぎ取られた感じ”

というのがあるらしくて、

それは私もずっと感じていたんだけど、



なんか最近の私は、

“身体の芯が抜けた感じ”

がする。



でも同時に、身体の奥底の不安定な部分をぐじゅぐじゅに掻き乱される感じがあって、

何とも言えない、でもものすごく強い不安と心細さを感じる。



てっちゃんが私の支柱だったことを、身体がすごい力で訴えてくる。

その支柱を自分で立て直せる気がしなくて、

でも、それをてっちゃんに相談しようとすると、

うんともすんとも言わない笑顔で写真の中から私を見てる。



長い…。

てっちゃんに会えるまでが、あまりに長い…。



2017年10月11日水曜日

ラスベガスの事件のことから



事件から約10日が経ってしまったけど…


ラスベガスで起こった、あの銃乱射事件。

事件後、毎日何件もの記事をアップデートしていたCNNのニュースを可能な限り読んでいた。


その中で、事件二日後(その後、随時更新)には掲載されていた記事には、事件で亡くなった人たちの名前や写真、職業や性格、知人からのコメント……

情報が集まっている限り、被害者たちのバックグラウンドを、一人ずつ順々にリストアップして綴った記事が公開されていた。

<Portraits of the Las Vegas shooting victims>
By Eric Levenson, Emanuella Grinberg and Jason Hanna, CNN
http://edition.cnn.com/2017/10/02/us/las-vegas-shooting-victims/index.html



最初にその記事を見た時は、正直少し驚いた。

日本では、被害者の名前、年齢、時に顔写真と言う程度で、
こういった形での報道はほとんどないんじゃないかと思ったから。


一般的には、

「死者数〇〇人、負傷者数〇〇人以上……」

と、数字だけが並べられて、それはもちろん大切な情報なんだけど、

でも、この記事を読んで改めて、事故や事件、災害によって亡くなった人がいるというニュースを聞いた時に今まで感じていた、

淋しさと言うか、
空しさと言うか、
あっけなさと言うか、

そういうものを改めて感じた。



人が一人命を落とすということは、

その一つの人生が終わるということで、

大きな大きな、代えようのない、世界で唯一の、その人のストーリーが終わってしまうことで、

そのなくなってしまった命の、何倍もの数の人が悲しみに襲われるということで、

その何倍もの数の人たちのストーリーも180度変わってしまうことで、

その人と今後繋がるかもしれなかった出会いや巡り合わせが絶たれてしまうことで、

その出会いによって何通りにでもなりえた人生ストーリーの可能性を閉ざしてしまうことなんだ。


数だけが伝えられてしまうと、その大小にばっかり目がいってしまって、
その一つ一つがどれだけ深いものなのかがぼやけちゃう。


別に報道の在り方に文句を言いたいわけでも、どうあるべきと言いたいわけでもなくて、
ただ単に、

命っていうものが、
死というものが、
どうやって捉えられてるのか、
私自身、てっちゃんのことも踏まえてどう捉えているのか、

ただただ考えてしまっただけ。

考えれば当然なことを言ってるんだなと思うけど、でも、


命を“大切に想う”とか、その人の死を“悼む”って、
その「死」や「命」の中身にちゃんと目と心を向けることなんだと思う。



この事件のことでCNNのキャスターが言ってた言葉。



「この事件に関して、人々の記憶に残るのが犯人の名前と顔ではなく、被害にあった方々の名前と顔であってほしい。」



本当にそう思う。




てっちゃんがこの世には帰ってこられないことは、やっとわかってきたけど、
それでも毎日思う。

続くはずだったてっちゃんの人生の物語がまだここにあったら…


今日の仕事はどうだったんだろう。

この週末は一緒に何をしてただろう。

今夜は何を食べたいと言ってくれただろう。


私の一日を、私の一週間を、てっちゃんの前で報告はするけれど、
一緒にその一日、一週間、一年を計画することも相談することもできないんだ。




2017年10月4日水曜日

てっちゃんのこと




私の大好きなてっちゃんのこと。

自分のことを話されるのを、あんまり好む人ではない気がするけど。

でも、こうやって書きだしたら、
もしかしたらそれを読んだてっちゃんが、
何か言い足したいこととか、「そんなんじゃない!」とか突っ込みたくなったら、
夢に出てきてくれるかもしれないし…。

これを読んで、てっちゃんの友達や知り合いが、
てっちゃんの新しい一面を知れるかもしれないし、
てっちゃんのことを「そんなこともあったな~」ってまた想ってくれるかもしれないし…。


何より、書きながらてっちゃんのことを考えていられる自分の時間が貴重だから。



たとえば……



てっちゃんは、
自分の気分や、頭の中で巡ること、その時集中すべきこと、
とにかくいろんなことを、
自分の中のON⇔OFFスイッチでコントロールするのが、すごくうまかった。


働く時間と休む時間を明確に分けることとか…。
家にいても、旅行先でも、何か情報を集めようとか、何かについて調べようという時にはスイッチONモードになる。


仕事とプライベートを両立していく上でのてっちゃんのモットーというか決め事は、


家に仕事は持ち帰らない。
休みの日は仕事のことは考えない。


だった。


だから、私がてっちゃんの仕事に興味があって、家で仕事のことを聞こうとしても、

「家にいる間は仕事のこと考えさせないで~」

と何回か言われたし、
まだ一緒に日本にいた頃、週末を一緒に過ごした日曜に、私が、

「あ~明日から仕事だ~」

と言うことがあっても、

「仕事のことは明日になってから考えるの。」

ってよく言ってた。


てっちゃんの割り切りの良さを尊敬すると同時に、
一緒にいる時間をちゃんと大事にしてくれてるその言葉が嬉しかった。

その時期どんなに仕事が大変でも、
実験がうまくいってなくても、
家にいる時間は、頭も身体も休めることに徹していたし、
一緒に話をしてる時に仕事のことを考え始めちゃうなんてことは、
全くと言っていいほどなかった。


その分、ONのときのてっちゃんには余計に声をかけたりしない方がいい。
一緒に何かを調べたりしているときに、例えば私が、

「ねぇねぇこれどう?」

なんて言おうもんなら、

「今話しかけないで。」

ってバシーッ!と跳ね返される。これがまた結構強烈。


でも逆にOFFのときは、何かをお願いしたりねだったりするのにも最適だった。


本当に“スイッチを「OFF」にする”と表現するしかないような感じで、

「あ、今スイッチOFFだね?」

なんて、実際に声かけたりもしてた。



でも、そんな器用な部分を持ってるはずなのに、
それと同時に究極の気分屋さんでもあって、
その気分が傾いた時には、それを引き戻すのに何倍も苦労する、
そんなときがよくあったり……。

さすがに、付き合いが長くなってくると、
そんなときにどうこうしようとしても動く人じゃないから、
私は私のしたいように動くし、私のいたい気分でいるようにすると、
結果的にいつもの空気に戻ってる。


そんな関係だった。


「僕の扱い方がだいぶうまくなってきたね」


って言われたこともあった。

そんなふうに言うんなら、もう少し自分でその気分屋の部分を鍛えてくれ…
と思ったこともあったけど、
でも、それはてっちゃん流の私に対する褒め方と愛情表現だったから、
すごく嬉しかった。


「誰でもそういう部分ってあるんじゃない?」と言われればそうなんだけど、

でも、あのてっちゃんの出す“独特”な空気感、存在感、
そんなてっちゃんとの距離感が恋しい。


大好きだった仕事、向こうでもできてたらいいんだけどな。

やっぱりもう少し、もっともっと長く、
てっちゃんと過ごしたかったな。てっちゃんのこと知りたかったな。