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2018年7月17日火曜日

変化とか相変わらずとか



しばらくブログを書かなかった(書けなかった)理由。


自分の感情を「書く」こと以外の形でコントロールできるようになったから。

新しい仕事をはじめて、そのことで頭と体が精一杯だから。

そういう中で日々を踏ん張るために、この「書く」行動は、逆に自分を乱すかもしれないと不安だったから。

書いても書いても、現実は変わらないことを書く度に思い知らされてきたから。



ここしばらくは、
“平気”にできる自分と、“相変わらず”な自分の2種類を操るのに葛藤してる。

無意識に操ってるんだけど、
操ってることに気づいたときに、
それこそ幽体離脱みたいに、“平気”な自分がヒューって自分の中から抜けていく。


てっちゃんは、最近どこにいるかわかんない。

私が呼ばないようにしてるのかもとも思う。

時々、夢の中で手繋いで歩いてるけど、
面と向かって話してることはあんまりない。


「笑ってても泣いていても平等に時間は過ぎる」って歌詞を聞いて、

そうだよね…って、

だから笑ってた方がいいんだよねって、

今までだったら
「そんなこと、わかってできたら苦労しないわ!」
って思ってたことも、

そうだよね…って、
言えるようにはなった。

でも、

「だから笑っていられる生活を送ろう!」

って言うのとは違う。
でも、端から見たら、今の私を見て、

「しんどそうだね」

っていう人はいないんだろうなと思う。


人と話すときに、
てっちゃん関連の話や、自分の心境とか、そういう話をすることも減った。

私だって、誰かと話すとき、その人の旦那さんとか家族のことを聞くより、その人自身の仕事のこととか趣味のことを聞いたりするんだから当然のことだし、

それが悪いことじゃないのも勿論わかってるつもりなんだけど、


でも、みんながみんなの生活や人生をやっぱり持ってて、
これが私の運命だって…

それは誰のせいでもないんだけど、
やっぱり悔しい。さびしい。


てっちゃんはあの世に逝ってしまった人で、

それがだんだん「異常」じゃなくなっていって、

「いるはずの人がいない」んじゃなくて、
「いないんだよね、そうだよね」になっていく。


それは、「忘れる」とは違うって、きっと誰もが言ってくれると思うけど、

でも、てっちゃんとのエピソードはこれ以上新規作成できなくて、
新しい写真も、新しい表情も、見ることはできない。
でも、それがみんなの中で普通になっていく。


「私」はたぶん生きていける。
とにかく仕事をすることも、ご飯を食べることも、眠ることも、買い物することも、出掛けることも、笑うことも、冗談を言うことも、ぐーたらすることもできるようになったから。

でも、「てっちゃんと生きていくはずだった私」はどんどん置いてきぼりをくらう。


その答え

「それはこの先もずっとなんだろうね」

…ですよね……


結局これ。
書いても書いても、嘆いても嘆いても、答えは一緒。