Translate

2017年8月29日火曜日

経験したからこその感情



「死」と言うものの大きさ、意味、影響力、

それと同時に、人間の無力さと、人間として生きていることの不思議と、

さらに一方で、
医療の技術とか運の良し悪しとかそういうものではなく、やっぱり誰にでも絶対にいつか訪れることがいつ来るかの違いなんだ、全く特別なことではないんだ、
という思いと…

そんなようなことを、

たくさんのことを、

「考える」というより、

全身で「感じる」。



てっちゃんのことがあって以来(正確には、いわゆるショック状態を少し抜けてから)、

ニュースになるような他人の死でも、

あるいは、過去に実は家族を失っているという知り合いの話でも、

それが病気でも事故でも、事件でも、自死でも、

てっちゃんとは全く状況が違っても、


今までの自分では感じ切らなかった感情と感覚が起こる。


「悲しみ」はもちろんだけど、
いわゆる「胸が痛む」を実際に感じるというか、

目の前に黒い厚い幕をドーーンと降ろされる感覚になる。


どうしてこんなことがこの人の身に…
そう思いながら、同時に、そう思っても現実は変わらないと思う変な冷静さと、

命が途切れてしまうか、
何とか繋いでいけるかは、
本当に本当に紙一重なんだと痛感したり、

ならなぜ、てっちゃんやその人たちにはその「繋げる命」がもらえなかったんだろうとまた思っちゃったり、


絶対に誰もがいつか、かけがえのない人の「死」を目の前にしなきゃいけないのに、

それがどうしてもどこか特別な、異常なこととして私達は捉えてしまって、

でもやっぱりあの、尽きてしまった命と、
それでもまだそこにある身体と、
それすらも無くなってしまうその苦しみを、
もうこれ以上の人に味わってほしくないと思う気持ちと……


そういうことを、誰かの訃報を見聞きする度に思う。


「だから何だ」なんだけど、

そういう、当然に起こりうるけど知らなかった重みが、

毎日あちこちに転がっていることに、

今の自分は2年前の自分には考えられない感覚で向き合ってる。


まだ、
今でもまだ、

てっちゃんの死は認めたくない。

てっちゃんの「死」と言う表現も間違ってると思いたい。

この現実は何でだろうと毎日思う。

なんでこの人達にはできることが…って一日に何回も思う。

心から楽しめるものはやっぱりまだ何もない。

ずっとずっと目を伏せて、心を伏せて過ごしてる。

それはずっとずっと続くんだと思う。


でも、
てっちゃんが自分の目の前にいない、会えないということの寂しさや悲しさの感情や、
てっちゃんを守ってあげられなかった後悔の思いと、

こんなに早いタイミングで大好きな人と死別しなくてはいけなくなった自分の運命への苦しさとを混ぜこぜにしちゃいけないんだろうなと、

わかってきてる。…んだと思う。

かけ離すことは不可能なんだけど、
その感情を抱えながら、この事実を経験として生かさなきゃいけない、生かせるはずなんだと、

何を言われても首を振ってた自分が、
嫌がる心は心の奥底だけにしなきゃいけないんだって、
そうできることが増えてきてる。



本音が吐き出しにくくなってくる。


現実を理解してきてるからこそ。



2017年8月22日火曜日

8月22日



8月22日。

結婚式を挙げた日。

私達の中で「結婚記念日」は入籍した日だから、
この日は「記念日」というより、
「◯年前に結婚式を挙げた日」
なんだけども…。


でもきっと、いや絶対、
てっちゃんが今日ここにいたら、
今日は一緒にワインを買って飲んでただろうから、
そうしてみた。

てっちゃんがウキウキしながらワインを待っているのを想像しながら、

でも涙がこみ上げてくる。


こうやって、今の状況でもできることを、
何かの折に毎回してみてる。

過去も今もこの先も、変わらずやれることを、
てっちゃんと会えようが会えなかろうが、
続けたい、とそう思ってやっているけれど、

グラスを合わせて「乾杯!」と言い合うことも、

今日のワインは良いとか悪いとか好き勝手言い合うことも、

「もう一杯飲んじゃうか!」って気分に任せて一緒に酔っ払っちゃうことも、


できない。


誕生日とか記念日とか、
楽しく祝ったり過ごしたりしてたほうが、
てっちゃんも喜ぶと普通だったら思うだろうことが、そう単純じゃないこの感覚も、

本当に言葉にしきれない。



もう、好きも嫌いも言ってくれなくなっちゃったてっちゃんから、

それでも嫌われないように、
嫌がられないように、
少しでも喜んでもらえるように、

全てのことを拒絶したがる自分の心は
良い子ぶってるだけなんだろうか…。


あー、書きたかったことはこういうことじゃなかったのに…


2017年8月20日日曜日

帰って行ったのかな…。




昨日の夢は、
あとから考えると、お盆の終わりを告げるような、
そんな結末だった気がする。


お盆という時間を、
良くも悪くもあまり重く深く捉えないように過ごしたつもりだったけれど。

日本の考えに従えば、
てっちゃん(の魂)はお盆にこっちへ帰ってきていたんだろうけれど、
お盆だろうが何だろうが近くにいると思ってるから。



ちょっと忙しくしていた最近。

お盆が終わったタイミングに合わせて、生活も少し一段落したからか、

久しぶりにてっちゃんとの夢を見た。



どういう流れだったかまた覚えていないけれど、とにかく二人でだったか、地方の列車だったかに乗っていて…


右側に立っててくれて、手を繋いでた。

仲良く会話をしてた感覚の記憶がある。


そうしたら、下りるべき駅には止まらない急行か何かに乗ってしまったらしく、折り返すことになった。


そこで私が、てっちゃんよりも素早く携帯で乗換案内を調べて、一番いい戻り方を画面で見せたら、


「志野えらいね。こうやってパッパッと効率よく行動できる女の人っていいと思うよ。」


って褒めてくれた。

生きていた間もたくさん褒め言葉はかけてくれたけど、
でも基本、てっちゃんのほうが行動は素早いし効率はいいし、
だから、そんな褒められ方をしてすごく嬉しく感じた…感覚がある。


そして、折り返しの駅に着くと、
乗るべき電車が反対側のホームに止まっていたので、
屋外の連絡通路を渡って二人で走って…
階段を下りて…

その辺りから繋いでた手は離れてたな…。


てっちゃんは私よりも少し速くて…


発車ギリギリで走り込む人の中で、
私は最後になっちゃって、
てっちゃんは無事に列車に乗り込んでて、

乗り込む直前でドアが閉まっちゃったから、


“これではぐれたら困る!!!”


と思って、左足だけ列車の中に突っ込んだ。

完全に挟まってるのに、ドアがなかなか開かなくて慌ててたら目が覚めた。



一緒にいた頃のてっちゃんは、
そんな状況だったら、絶対に私が乗り込むのを守ってドアの所に立って待っててくれたけど、

夢の中では違った……。



電車の中でこっちを見てたのを覚えてる。



あっちの世界に帰る電車だったのかな。

だから、私だけ置いて行っちゃったのかな…。



こういうタイミングでこういう夢を見ちゃう自分。

起こるべきときに起きる、とか、
訪れるべきときに訪れる、とか、

ご縁とか必然とか、

あれ以来、結構ある。


2017年8月15日火曜日

それぞれの関係



この世にいなくても、

“その人の中に生きる”

って、こういうことなんだな…

って、感じられた日。



この世とかあの世とか、
そういうことじゃなくて、

この人とあの人の、その関係なんだなって、
そう感じられた日。


生とか死とか、
そうじゃなくて…というか、それがどうであろうと、

その人とてっちゃんはつながってるって。



それでいいんだ、それがいいんだ、
と思う一方で、

私はやっぱり、

まだまだこの世とあの世を意識してて、

一緒にこの世にいられないことが苦しいし嫌なんだと、再認識する。


私なりに、この関係とかこの距離感とか、

今の現実を理解しているつもりな一方で、

それぞれの関係性や想いがあると気づくと、

私とてっちゃんの関係性や想いを求めたくなる。




でも、

てっちゃんのことを想う形は、

一つの死に対しても本当にいろいろなんだと、

それがいいんだと、

そういうバリエーションがないとてっちゃんは苦しいだろうなと、


そう気づかせてもらった一日。


今日は、いたね。

同じ空間に。


笑い声や、

突っ込む声や、

私に構ってくれてるてっちゃんを、

ずっと感じてたよ。



2017年8月9日水曜日

最近のてっちゃん



最近のてっちゃん。


私が感じるてっちゃん。


やっぱり会話はそんなにうまくできない。
ことばのキャッチボールはできない。

でも呼ぶとちゃんと隣に来てくれる。

腕を組ませてくれたり、

手を強く繋いでくれたり、

後ろにそっと立っててくれたり、

とにかく身体の気配を寄せてくれる。


その感覚が強い日と弱い日はあるけれど、

でも、私が呼ぶと、
さっきからいたのに気付かなかったの?と言うかのようにいる感覚がする時もあれば、

オッと呼ばれた!という感じでピュンと飛んでくるときもある。


夢にはあまり出てこない。


でも、何となく体型の似た人とか、
昔のてっちゃんのファッションに近い人とか、
そんな人を見かける頻度がなんだか多かったり、

家族と会ったり話したりして、てっちゃんが丸々蘇ってくるようなてっちゃんにそっくりな言動に触れる機会があったりする。


どうしてもてっちゃんと同じ世界に行ってしまいたくなってしまうときもやっぱりあって、
しかも、何故かそういうときのてっちゃんは、
「本当は困るけど…」と言いながら受け入れてくれる気がして、心がそっちに持ってかれる。


でも、有り難いのか残念なのか、今の私には自分を言い聞かせる力が前よりある。





お盆がくる。

てっちゃん、忙しくなるね。

お父さんやお母さんや、お姉さんやお兄さん達とたくさん過ごしてね。

私ももちろんずっと待ってるし、同時に会いに来るミラクルパワーだってあるんだろうと勝手に思ってるけど、

私は、家族の前でリラックスしたてっちゃんの姿を見るのもすごく好きだから。



年に一度、そっちの人がこっちに戻ってこられるように、こっちの人もそっちに挨拶に行けたらいいのにな……。