てっちゃんが私のために何度も言ってくれていた言葉… 32歳、急性リンパ球性心筋炎で、具合を悪くしてたったの5日で逝ってしまったてっちゃん。最後、彼と何も話せなかった。 頭の中をグルグルする滅茶苦茶な想いを、とにかく吐きだしてみようかと思う。 <The title of this blog is the words My husband, Tetsuya often said to me...He was only 32 years old, passed away due to acute lymphocytic myocarditis. I could not talk with him enough after he felt sick. I will just write out my feeling and emotion that are stucking in my mind everyday.>
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2017年5月30日火曜日
電車でのちょっとしたこと
電車に乗った。
七人がけの椅子のほぼ真ん中に座った。
なんだか珍しく強い眠気に襲われて、少しウトウトした。
ある駅に着く前後の、ほんの数十秒のことだった。
目の前の椅子には、何人かの人が座っていたけど、目を閉じている間に、そのうちの三人ぐらいの人が入れ替わっていた。
不思議でも何でもない普通のことなんだけど……
こんなふうに目を閉じている間に、
一瞬にしていなくなる人と現れる人。
てっちゃんも、こんなふうにまた、スッと現れてくれないものだろうか。
ほんの少しでいいからさ。
てっちゃん、こんなことばっかり考えてるよ、私は。
2017年5月29日月曜日
機嫌がわかる。
いつものように夕飯をてっちゃんに出して、
てっちゃんの顔を見たときだった。
なんだかてっちゃんがいじけてる感じ。
ちょっとふくれっ面というか、
ちょっと気に食わないことがあったときの顔してる。
…ん?なんでだ?
なんかてっちゃんが嫌に思うことなんかあったかな…。
数秒考えた。
あ、私、髪切ったからだ。
肩につかないぐらい短くしちゃったからだ。
ロングだった髪をバッサリ切ったのは、
もう一年ぐらい前の話だけど、
最近ちょっとまた伸びてきてて、
それを今日また、美容師の義姉にお願いして切ってもらった。
てっちゃんは、私が髪を長くしてるのが好きだったみたいで、
昔ドラマに出てた女優さんのボブスタイルを見て、私が、
「ねぇ、今度これぐらいバッサリいってみるのどう思う?やっぱり長いほうが好き?」
そう聞いたら、
「長いほうが絶対いいけど、これぐらいならギリギリじゃない?でも肩より上は嫌だ!……まぁでも志野がしたいんなら…いいよ、別に。」
って言ってた。
それで今日、なんかその瞬間に感じた(見えた)てっちゃんの変化が、
自分の中でスッと自然のやり取りに感じて、
心の中で会話した。
「ごめんごめん!髪切ったからか!でもこれもいいでしょ?やっぱりだめ?涼しくなってきたらまた長くするからさ。今日のところはこれ(夕飯)食べて許しておくれ」
そんなやり取りをしてる間に、てっちゃんの表情は当然なんだけど、いつものあの顔。
動くわけもなく…
なんでこんなやり取りしかできない関係になっちゃったんだろう…
妄想じゃなくてちゃんと話したいよ…。
そう思う自分にグッと蓋をして、
なぜかいつも以上にものすごく自然と、スッと、
てっちゃんの表情の違いとか、
私の心に聞こえてきた声と会話できたことを、今日の良かったこととして捉えようとしてみる。
勘違いかもしれないし、
思い込みかもしれない。
でも、
いいんだ、それで。
2017年5月25日木曜日
二人目の自分
あれ以来、見失ってしまった自分。
二人目の自分の中で生きてるような感覚。
てっちゃんの奥さんとして、日々を楽しんでいた自分。
あんなに常に、何かの夢を持ち続けていた自分。
エネルギーを湧き起こす力があった自分。
皆と一緒に、それぞれの幸せなことや、楽しい瞬間を共有し合って、笑い合って、それが自然だった自分。
ちょっとしたことでも、大きなことでも、「やりたい」と思うことを叶えるために日々動いていた自分。
てっちゃんがいなくなっちゃったことが、自分にとってあまりに大きかったことは言うまでもないけれど、
その存在の喪失だけじゃなくて、
自分自身の喪失は日を追うごとに、自分にどんどんのしかかってくる。
「志野が笑ってればそれでいい」
そう、何度も言葉に残してくれたてっちゃん。
「自分のやりたいことを持って、それに向かって行動してる人って魅力的。志野はそんな人。」
そんなこともてっちゃんは言ってくれてたらしい。
今の私に会ったらガッカリするかな。
てっちゃんが残してくれた言葉すらも、
自分の原動力にできなかったら、
私にはどんな術があるんだろう。
その言葉を何とか何とか自分の力にしてることは間違いないけれど、二人目の自分がなかなか言うことを聞かない。
二人目の自分が願うことは、
てっちゃんともう一度会うことだけ。
ただひたすらそれだけ。
でもこの世で生きていくためには、
「それでも頑張ってます!」の自分にならなきゃいけないんだよね……。
この世は、この社会は、そうじゃないとだめなんだよね……。
そりゃ、今の私じゃ、勝手に疎外感感じて当然なんだよね…。
2017年5月15日月曜日
たぶんこれだ。
このことを書くことが、
自分にとって、逆にプレッシャーにならないか不安だった。
でも、
たぶんこの感覚だ。
頭の中に少しスペースがある。
あのパンパンだった、グルグルだった頭の中が少し変わったんだと思う。
どんどん回る感情のスピードが少しずつ落ち着いてきて、そうしたら他の考えが入り込む余地ができてきた。…んだと思う。
今まで思っていたもの、感じていたもの、そういうものがなくなったわけじゃない。
でも、どうしたって追いつけなかった頭の中のグルグルに、少し余裕ができてきたんだと思う。
答えを出そうとはしない。
答えがないものに答えを見つけ出そうとして焦らない。
考えることにも焦らない。
考えようとしなくていい。
でも考えたいなら考えればいい。
時間が癒やしてくれるなんてウソ。
この変化は自分が向き合った感情が向き合った分だけ変化したもの。
でも時間が過ぎると、季節の変化があって、見るものも変わって、たくさんの節目があって、それが心の変化の一つの要素になることもある。
この感情は乗り越えるものでもない。
でも変わっていくものは確実にある。
その変化は否定しない。
私や周りが変わっていくように、てっちゃんも向こうで変わっていってる。
今でも私達の関係はまだ存在するし、これからも深くなりうるし、変化もしていく。
それを信じる。
ただそれを信じて、素直な心でてっちゃんと会話する。
てっちゃんと私の唯一無二の関係をこれからも作っていく。
それが最近の自分自身の気づき。心得。
それを気づかせてくれたのは私自身じゃなく、周りの人たちの力。
その人たちとの繋がりもてっちゃんが作ってくれたもの。
この変化を、事実として自分に示すために、
ここに書き残そうと何度も試みて、
そしてまた押し潰された。
きっとまた、絶対にまた、
波は来る。
悲しみも寂しさも、
後悔も罪悪感も、
不安も恐怖も、
悔しさも怒りも、
全部全部たぶんずっと消えない。
でも、
そういう感情に自分で膜を張って、覆い込んで、
それをしょうがないと、自分になんとか言い聞かせられることができるようになってきた。
だからと言って、「よし!いくぞ!」っていうわけではないこの自分は、なかなか厄介だけど、
てっちゃんはきっと、ゆったりドッシリ、構えてくれてる。
それだけはハッキリわかる。
2017年5月6日土曜日
メール
私が中国にいた間や、
てっちゃんが先にアメリカに行ってた間、
遠距離生活をしていた間にほぼ毎日のようにやり取りしていたメールを読み返してみた。
てっちゃんがどんな言葉を私にかけてくれていたのかを振り返るために。
そこで改めて気づく。
てっちゃんは、すごく冷静な人。
嫌なことや苦しいことも、あがいたりジタバタしたりするというより、
現実的に何が必要なのか、どこは改善の余地があって、どこは無理なのか、すごく冷静に考えてる。
その、いっつも冷静で、客観的で、感情に振り回されない感じが、そうじゃない自分にとっては、いくらバットを振っても空振りする気分にさせられるような感覚があって、たくさんケンカもしてきたけど、
でもそのときには気付かなかった、てっちゃんのすごく大人な部分。
それにふと気づいて、今に立ち返って考えてみて、
そうしたら、
てっちゃんは今の状況にもジタバタなんてしてないんじゃないかと思った。
今までとは全く違う繋がり方になっちゃったけど、でも、その中でどうすることが私のためになるのか、冷静に、でもしっかりと考えてくれてる気がした。
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