Translate

2017年6月29日木曜日

そんなもんなのかな…




ついこの前、偶然ある番組を見たときのこと。


これは、愚痴でも批判でも文句でもない。
賛否両論あって当然のことだと思う。


でも、なんとなく、書き留めておきたい。
少なくとも私は……淋しかったから。


一昨日だったかな…。
小林麻央ちゃんのことを取り上げていたある番組で、
海老蔵さんのブログのことや、お姉さんの麻耶さんのブログのことも出ていて…


それに対してコメントをする出演者たち。



「このことはもちろん悲しいし、辛いですけどね、
 でもこうやって、海老蔵さんも舞台をやりきったり、麻耶さんも文章にしたり、
 御家族の皆さんが次に進んでいるんだから、
 私たちがいつまでもこうしててもね…。」


「本来は『ご冥福をお祈りします』というべきなんでしょうが、
 昨日はまだ実感がなくて…
 でもね!やっぱり僕たちがいつまでもこうやってシンミリしててもね!」

「もちろん辛いですけど、でももうご家族の皆さんは、
 もうはるかに辛いのも乗り越えて次に進もうとしてるんですからね。」

「逆にこっちが悲しんでたら足引っ張っちゃいますね」




………



この出演者の人たちだって、今回のことで言葉にしきれない思いや、麻央ちゃん本人・家族との関係性があるんだと思う。

それを私なりに想像はしてるし、
テレビでの発言なんて、言えること言えないことが山のようにあるんだろうから、
聞いて流す方がいいんだろうとも思う。


でもさ。。。


亡くなって一週間も経ってないのに…。


「いつまでもしんみりしてても」って。


まだ”しんみり”にも入ってないよ、たぶん家族は。

まだ、まだ、パニックなんだと思うよ。

パニックだから、体もある程度は動かせたり、
文章も、みんなに心配かけないように、ある程度冷静なことも書けるし、
そうであるべきと“一般的に”言われる言葉を選べているんだと思うよ。


「次に進んで」なんかいないよ。




もちろん、人はみんな違うし、


同じ家族だって捉え方も進み方も違う。


亡くなってしまうまでにどんな言葉を交わしてきたか、
どんな思いを引き継いできたかでも、きっと違う。


だから、これを麻央ちゃんの家族が聞いて何を思うかはわからない。
もしかしたら、そう言ってもらうほうが自分を奮い立たせられるかもしれない。


でも、
少なくとも私は、

淋しかった。



大切な大切な最愛の人を失って、

時間の進み方も、

自分の頭の中も、

身体の調子も、

何もかもがわからなくて、コントロール不可能な状態に陥って、

それでも進んでいく世の中が違和感でしかなくて、

寄り添ってくれてる人がどんなに近くにいたって、

それでも周りが進んでいく感じがしちゃって、

時が進んでいってしまう感じが、

淋しくて苦しくて……



周りの人があらゆる術を使って、

心はそばにあることを伝えてくれても、ずっと想っていると言ってくれても、

それに対しての自分なりの200%の感謝の心より、

勝手に襲ってくる孤独感の方が強かった。




”『ご冥福をお祈りします』と言うには実感がわかない”
”もちろん悲しいし辛い”

それだけじゃダメなのかな。。。


こんなにショックな死があって、数日悲しんだら、
そのあとは「いつまでも」悲しむべきじゃないのかな。


悲しみ続けるも、次に進むも、
それはその人次第。

だから批判する気も、文句を言う気もない。


でも、


なんというか、


死を惜しむ、っていうことが、しにくい雰囲気がある気がするんだ。



きっと世の中には、
仕事柄とか、家庭環境とか、いろんなことが理由で、
本当は出したい悲しみを無理やり押し殺して、
そうするしかなくて、
気丈に振る舞ってる、そういう振りをして、毎日を必死に生きてる人がたくさんたくさんいるだろうことはわかっているのだけど。


うまく言えない。。。




2017年6月27日火曜日

助けてあげて。



てっちゃん……


海老蔵さんが苦しんでる。

舞台終わって、
麻央ちゃんと最後のお別れをして、
もう会えなくなっちゃって、
抱きしめてあげることができなくなっちゃって、

なんとか踏ん張ってた心が、苦しみの真っ暗闇に突き落とされてる。


麻央ちゃんもきっと泣いてる。



てっちゃんにはよく伝えてることだからわかってるかもしれないけど、

海老蔵さんと麻央ちゃんだけじゃなくて、

私の近くには、私達と同じ苦しみを抱えて、何とか日々を乗り越えてる人が他にもいるんだ。

その人が愛する人はてっちゃんのいるそっち側にいっちゃった。



こんなことをてっちゃんに頼むのなんておかしいんだけどさ、

そっちの世界のこと、私はわかってないんだけどさ、

でも、もし麻央ちゃんたちに会えるなら、どうか、どうか助けてあげて。


こんなことを考えるのはおかしいかもしれないんだけどさ、

私、てっちゃんはそっちにいっちゃって、でもいってしまったことで、ミラクルパワーを持ったと思ってるんだ。


私が出かける日は天気を良くしたり、
雲になって現れてくれたり、
蝶々になって飛んできたり、
気配だけで私を抱きしめてくれたり、
写真で機嫌を教えてくれたり、



もう一度こっちに戻ってくるっていうことだけは除かれた、

そんなパワー。


だから、芸能人だろうとそうじゃなかろうと、私達と同じ思いをしてる人のところにいって、助けてあげて。


もしそれができるなら、
私のところに数日来られなくても、
それなら私、我慢できるから。


私もこっちでできることをする。


大したことはできないけど、

自分のためにはまだ踏ん張れないけど、

その人たちのためなら動ける。



2017年6月25日日曜日

久しぶりに書いてみよう。



日々、いろんなことを考えて、
一つ一つ書き留めておこうかとか、
このブログを使おうかとか思うけど、

自分の頭の中をここに書き出すことが、結果的に、自分自身を鏡に映し出してることのような気がして、

そうしたら、
苦しんでる自分も、
進もうとしている自分も、
どっちも見たくなくなって、どっちも見てほしくなくなって、あんまり書けなかった。


そんな中で、出会った本や人からの言葉を通して、改めて思った。


もっともっとてっちゃんの事を書き留めたい。


だから、また書きだすことにした。




先日、亡くなられた小林麻央ちゃん…。

彼女のことに関しては、あまりにたくさんの想いがあって、今ここには書ききれないけれど、
彼女が亡くなって改めて読んだ、彼女の文章が、てっちゃんのことを想う自分にとってすごく大きなものになったので、ちょっとここにも書き写しておきたい。

麻央ちゃんが、イギリスのBBCに寄せたという手記の一部。
テレビでもよく取り上げられている文章。


*****************************************************************

人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。 
例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。 
『まだ34歳の若さで、可哀想に』
『小さな子供を残して、可哀想に』 
でしょうか??
私は、そんなふうには思われたくありません。 
なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。 
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。 
だから、与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました。 
なりたい自分になる。 
人生をより色どり豊かなものにするために。 
だって、人生は一度きりだから。

ー英・BBCよりー
****************************************************************



てっちゃんもこう思っていてほしい、って心から思った。


「32歳にして突然この世を去ることになったことは、僕の人生を代表する出来事なんかじゃない」


って。

てっちゃんは絶対はそう思ってる。

てっちゃんは、実はこんなことを言ってたことがあったんだって。
もちろん元気で健康だったとき。


「僕、もし今死んでも、別にいいと思ってるんですよね~」


って。
それに対して、聞いてくれてた人が


「それじゃ志野さんどうするのよー!そんなこと言っちゃダメでしょ!」


と言ってくれたらしく、
そしたら、


「そりゃ志野には申し訳ないし、ものすごい辛い想いさせちゃうと思うけど」


って。
そんな、あとから考えたら何かを予感させるようなことを唐突に言ってたことがあったらしく…。


でも、それはきっと、
それだけてっちゃんがその時までの自分の人生に満足していて、
“色どり豊かな”人生を送れている自信があったからなんだよね。きっと。


そのてっちゃんの言葉とそれに対する思いを、
今まで私が口にできずにいて、
心の中で、この悲しみを励ます要素にできずにいたのは、


もしかしたら、

私こそが、てっちゃんの急死という事実を、

てっちゃんの人生で代表する出来事にしちゃってたからなのかもしれない。


てっちゃんが残していたそんな言葉を、私自身がしまい込んじゃっててゴメンね。。。


でもやっぱり…

最期に何も言葉を交わせなかったことで、
それまでの言葉や想いがなぜか全部、純粋に自分の中に残せなくなっちゃってて…。

やっぱり、最期に一言、
一言でいいからてっちゃんからの言葉が聞きたかったって、
その悔しさと寂しさが強すぎて、
それまで何度も何度も口にしててくれたことを、ちゃんと心に残せなくなってた……。


自分の人生に一つ一つ着々と色を付けてきて、
それと真剣に向き合って、
私の人生にまで色をつけてくれて、
それは私だけじゃなくて、
たくさんの愛をみせてくれた、

そんな魅力的なてっちゃんとは、どうしてももっともっと長く一緒に生きたかったから、

そんな力を持ったてっちゃんには、どうしてももっともっとこの世での経験をしてほしかったから、

その短さにどうしても理由がつけられなくて……



でも、少しずつかもしれないけど、

海老蔵さんも言っているように、

長いとか短いとかじゃなくて、

その軸で考えるんじゃなくて、

てっちゃんとの人生を、人生という一つのものとして、たくさんたくさん振り返っていくね。


今すぐ会いたいけど、
会えるまで、お互いもう少し、我慢だね。