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2016年12月31日土曜日

年越し



年越しとか新年とか、今年とか来年とか、
正直そんなことはどうでもよくて、
でもやっぱり、日本人だからなのか、12月31日って言う数字を見ると、どこか区切りな気がしちゃう。

てっちゃんがこの瞬間、僕がいなくても楽しく過ごしてほしいと思ってるのか、一緒に過ごせなくて淋しいと思っているのか、まだやっぱりわからない。
どっちもなんだと思う。


私は後者でしかないけれど。
でも、目の前に大事な人たちがいる現実も現実だから、それはそれで大切にしなきゃいけないと思う。


てっちゃんがアメリカにいると思ったのか、てっちゃんがいる場所だと年越しまであとどれぐらいなのか計算して連絡したいと思って携帯を手にとっている自分がいた。

会いたい。

近くにいたい…。

てっちゃんが戻ってくる方法がないかと必死に考えるのと同じぐらい、周りのみんなを悲しませずにどうにかして少しでも早くてっちゃんに会いに行ける方法はないか考える。

1年よく頑張った!って、一回だけ会いに来てくれないかな…。


2016年12月27日火曜日

ごめんね。




たくさん話したいのに、
たくさん問いかけたいのに、

ちょっと思考停止状態かも。


聞いても聞いても返事がないからなのか、
それだけ私が冷静になりつつあるっていうことなのか、

全然わからない。


死んじゃいやだよ、てっちゃん。
遠距離でも耐えるから、忙しくて遊びにいけなくても我慢するから、
でも、一生会えないのは、命が亡くなっちゃうのはダメだよ、てっちゃん。

みんな悲しんでるよ。

わかってるよね、もう嫌というほど聞こえてるよね…
今さら遅いよね。

ごめんね。

ごめん。

やっぱりそれしか言えないや。

2016年12月24日土曜日

てっちゃんへ。



てっちゃん。


大好きだよ。


大好きなんだ、私はてっちゃんのこと。



それだけだって、それが全てだって、改めておもうよ。


志野より。

2016年12月23日金曜日

寂しいね。



てっちゃん。

人混みの中を通るとね、いまだに人の流れが苦しくて、それに飲み込まれないように下を向いちゃうことが多いんだけどね、でも、今日ふと思ってね…
人の幸せそうな顔はみたくないけど、でもちゃんと顔あげて周りを見てないと、もしかしたら見つかるかもしれないてっちゃんを見つけられるチャンスもなくなっちゃう、って…。
でも、結局は苦しくなって、息止めて一気に人混みを早足で抜けたんだ。

私、こんなになっちゃった。
誰のせいにもできなくて、考えに考え抜いて誰かに責任を押し付けようとすると、自分に返ってくる。
てっちゃんは少し元気になった?

クリスマスとか、年末年始を迎えるのがこんなに楽しみじゃないの、初めてだよ。
一緒にいられないの、寂しいね…。
今年だけ我慢すれば、来年のクリスマスとかお正月はまた一緒に楽しめるってわかってれば、あきらめだってつくと思うんだけど。


この世の私からの声はきっとてっちゃんには聞こえてて、ただてっちゃんからの返事が聞こえてこないだけ。でも、あの世にいるてっちゃんは、どんなに必死に私に声をかけ続けてても私は聞こえてない。片道すら届かないんだもんね、てっちゃん、向こうでずっとずっと、私よりずっと苦しい想いしてるのかな…



もうすぐ一年経つんだって。
私どうしたらいいんだろう。てっちゃんはもうけりがついた?現実受け止めた?


2016年12月21日水曜日

叶わないものを叶えている姿



人の幸せがどうしても穏やかに受け止められない。
幸せそうに見えるだけで、本当はたくさん苦しい思いをしている人たちかもしれないのに、そこは私の目と心には映らない。

見ず知らずの人のそんな姿に対して、羨ましいというか、不公平感とか憎さすら感じちゃうこともある…。


テレビの中の作り話にすら、しかも本当に些細な素朴な日常のやりとりや、感情の変化や、言葉のやりとりでしかないのに、てっちゃんと私にはもうそんなやりとりが叶わないと気づいた途端に、心の中が一気に濁る。

何かふと思ったことがあったとき、話したくなることがあったとき、触れたくなったとき、それをその感情のままに叶えたいだけなのに。


他人のそんな一つ一つの言動が、私たちに当然のようにできていたことで、今できなくなってる現実に、ただの運命だという残酷な理由しか存在しないから、どうしてもどうしても穏やかでいられない。


そんな自分に気づいたときに、「みんなは全く悪くない。何を人に嫌味な目を向けてるんだ」って自分に言い聞かせるので精一杯。

てっちゃんのことがあったことで、私が悩むのは、自分とてっちゃんの二人の間の問題だけであってほしいのに…。
それ以外に対する自分の感情や人間性が変わってしまうことだけは本当にやめたい。本当に…。


2016年12月16日金曜日

ありがとう。



てっちゃん、ありがとう。

昨日の夜は、またちょっと急にいろんなことが不安になって、怖くなって、自分も嫌になって、寝る前に見つめたてっちゃんの写真の顔が、いつもの優しい顔に見えてない自分がいた。

でも、夢で、てっちゃん私の手を握っててくれた。その他のことは覚えてないけど、その手をさすった感覚を覚えてる。

ここに書けば、どこかできっと読んでくれてるって信じてるよ。
こうやって書いてる私の姿をずっと見てくれてるって信じてるよ。


昨日の夜、夢に出てきてくれたのは、てっちゃんが私を少しでも安心させるためだったんだって信じてる。

ありがとう。

今日も、すごくしんどいことがあったから、てっちゃんの力がほしい。
でも、欲張りは言えない。

でもやっぱり、また会いたいよ。

2016年12月14日水曜日

久しぶりの声



夢の中でてっちゃんと電話で話した。
あの日以来初めてだった。

ハッキリと声を聞いた。

今まで夢に出てきたときも、会話はしてたんだろうけど、あまり「てっちゃんの声だ!」って認識することはなかった。

でも昨日は、てっちゃんと電話をしながら、てっちゃんの声を聞けてホッとしてる自分がいた…のを覚えている。


“てっちゃんの声、私ちゃんと覚えてるんだ…”

目が覚めたときそう思った。
そりゃそうか、って、そんなふうに思ってる自分がバカらしくも思ったけれど、でもとにかく久しぶりだった。

声が聞こえてきそうとか、そう思うことはあっても、やっぱりちゃんと実際に聞かないと、どんな声なのかわかるようでわからない。
そう思ってたから。


その夢の中の会話自体は、
てっちゃんに私が電話をかけたら、電車に乗るところだったらしく、しかもそんなに機嫌も良くなくて、「電車降りたらかけ直すから!」と、今はさっさと切りたいと言いたそうな感じで、ある意味てっちゃんらしいというか、そのきっぱりした感じ…でも温かさも感じた。


それで、“もう少し待ってればまたてっちゃんの声が聞ける”って、なんかソワソワしながら待っていたら目が覚めちゃった。

今までの生活だったら、てっちゃんと電話をすることなんて当然で、ソワソワするようなことでもなかったのに、そこはなんだか今の現実の意識が夢に入り込んでた…。


でも、声が聞けて良かった。

もっと話したかったけど、もっと声をゆっくり聞きたかったけど、でも、良かった。


2016年12月13日火曜日



会いたいよ…

ただ、ただ、あの優しい笑顔で受け止めてほしいの…

会いたいよ…

会いたいと思う気持ちがどうしてもコントロールできないよ…
会えないとおさまらないよ。

てっちゃん…会いたいよ。あの頃に戻りたいよ。涙が止まらないよ。会いたいよ。どうしたらいいんだよ、てっちゃん。


2016年12月12日月曜日

てっちゃんと連絡がとれれば…



一回でいいから、

というのは控えめなお願いで、本当は何回でも…と思うけど、

でも一回でいいから、

今てっちゃんがどこでどんなふうにしてるのか、てっちゃんがいるところがどんなところなのかを見に、てっちゃんの近況を聞きに、いける手段がほしい。

周りの人が信じてることや、本に書いてあるようなことや、想像の世界の話じゃなくて、私が私の力で…

夢でもいいし、幻覚でもいい。

自分の力でそれができれば、それは自分が自分で見たものなんだからって、少しは納得できる気がする。
このことに「現実味」という言葉は使いたくないけど、でもその見たものに少しは現実味を感じることができる気がする。


というか、あの日から今日まで、いろんな人にいろんな言葉をかけてもらって、一つ一つがありがたくて、でもひねくれて受け取ってしまう自分も確実にいて…
私なりに必死に、周りの人の言葉を受け止めて受け入れてみようとしてきたつもりだけど、

こんなふうにしてみたらてっちゃんもきっと喜ぶよとか、
こんなふうに考えるしかないよねとか、
こう考えてみたら少しは楽かもしれないよとか、

そんなふうにたくさんのパターンを提示してみてもらうんだけど、どうしてもしっくりくるものがない。
自分を奮い立たせるというか、この想いをバネに踏ん張ってやろうって…こう考えてみるしかない!って思える状況がどうしても見つからない。


みんなからもらう言葉が嫌だって言うんじゃなくて、こんなにたくさんの人達が、必死にてっちゃんと私のことを想って考えて言葉を選んでくれた、こんなにたくさんの手段を持ってしても動いてくれない自分の心とこの変わらない現実に、もうどう手を付けていいのかわからない。


動かない気持ち、動けない心を、無理に動かそうとする必要なんてないと思いつつ、でも外の世界に目を向けると、やっぱり世界も、周りの人も、進んでる、動いてる。
物理的にだけじゃなくて、時間空間というだけでもなくて、心も。


私にとって、てっちゃんの身に起こったことも、その結果この現実と自分が闘っていることも、“てっちゃんと私”の中で起こったことだから、てっちゃんと私のやり取りの中で、何か納得なり力に変わるものなりが見つけられないと結局はダメなのかなって思った。


でも、それは現実的には無理なこと…。


2016年12月11日日曜日

心と頭、写真とお骨



自分も現実もわからない。

頭の中でグルグル回ってたもの、回ってるもの、なんだかもう本当に数え切れないほど回りすぎて混ざっちゃったんだろうかと思う。

いろんな思いが駆け巡りすぎて苦しいから、一つずつ吐き出そうとしてみるけれど、もうその要素すらつかめなくなってきてる気もする。

少しそのグルグルした状態に、自分の身体がついてくるようになっただけで、中身は何も変わってないことはわかる。



だって私まだ、てっちゃんが死んじゃったって思ってない…。

あの数日に起きたことが、全ててっちゃんの身に降りかかったことだってことも、それを隣で全部見てたのが私だってことも、そのことは全部わかってる。

それが理由で日本に帰ってこなきゃいけなくなって、たくさんの人達がてっちゃんの最後に会いに来てくれて、来られなかった人もみんな、その事実を知りながらあれから毎日を過ごしてる。
それはわかってる。


でも、そのすべての結果、てっちゃんが死んじゃったってことがわかってない。

信じられるとか信じられないとか、そういうことでもなく、わかってない。
まだ、まだどこかで何かを信じてる。



たぶんわかってないのは私の心。
頭はわかってる。

だからなのか、心の中で、どこかに行ってしまったてっちゃんとうまく話すことができない。

てっちゃんの遺影を見つめながら、話をする。
でもあまりの違和感に長く話せない。
写真と向き合えばてっちゃんの顔が見えるけど、てっちゃんの身体の一部は骨壷の中にある。
だからお骨に向かって話すほうが、てっちゃんっていう「人間」と話せてる気がする。
そうじゃないとどこかそっぽ向いて話しちゃってるようにも感じる。
でも、お骨と向き合っているとてっちゃんの表情が見えない。見ようとすると、なぜか、悲しいけどなぜか、元気だった頃のてっちゃんじゃなくて、息を引き取ったあとのあの顔が出てきちゃう。

ベッドで息をしなくなっちゃったてっちゃん、
霊安室に運ばれたあともう一度会いに行ったときのてっちゃん、
お別れ会のときに数日ぶりに会ったてっちゃん、
日本に着いて改めて会ったてっちゃん、
納棺のときのてっちゃん、
お花をいっぱいに敷き詰められて、本当に顔しか見えなくなっちゃったてっちゃん、
そんなてっちゃんが、場所を変えて運ばれて、生きている私には絶対に入れない、扉の向こうの熱い熱い部屋に入れられちゃった…

出てきたらてっちゃんの面影これっぽっちもなくなってた……



悲しさよりも衝撃だった。


そんなすべてを振り返らないと、骨壷にてっちゃんの一部が入っていることが、私の心にはわからない。

でも、頭ではわかっている。

じゃあなんで、わかっている頭で心をコントロールできないんだろう…

それがわからないから…それができない自分もわからないし、この現実にどうしたって納得ができないから困ってる。

解決策はてっちゃんにしか持ち得ないものだとわかっているから先が見えない。


2016年12月5日月曜日

報告



もしかしたら、これを読んでくださっている方の中には、
てっちゃんつながりの知り合いの方もいるかもしれないし、
ただただ、てっちゃんを想う気持ちで、少しでもてっちゃんの事を知ろうと、
このブログを開いてくださってる方がいるかもしれないし…

私の想いだけじゃなくて、現実的な報告を少しだけします。


1月には一周忌になります。

一周忌の法要は、勝手ながら、身内だけでやらせて頂くことになりました。

お墓に関してですが、実はまだ納骨はしていません。
できていません…。

お墓参りを通して、てっちゃんに会いに、挨拶に行こうと考えてくださってる方も、もしかしたらいるかと思いますし、納骨を済ませることで、皆さんの為だけでなく、もしかしたら私自身の為にも、何か良い方向に働くことがあるかもしれないとは、たくさん考えました。

でもまだ、心の整理も全然できていないので、てっちゃんの家族とも相談をして、
もう少し私の家に一緒にいてもらうことにしました。


もし自宅でもよければ、ぜひてっちゃんに会いに来てあげてください。
お位牌は、てっちゃんの実家の仏壇に入れてもらっています。

こうやって、てっちゃんの「居場所」がどこだかよくわからないと言われてもおかしくない状況を作り出しているのも、また自分自身ですが、今はこの形が、自分にとって、家族にとって、少なくとも今は、いいのだと思っています。


今の私にとって、てっちゃんを知っている方と、彼の話を一緒にできることは、
とても気持ちが安らぐことだと感じています。

もちろんそれは、てっちゃんの事をよく知らない私の知り合いといるのが心地よくないという意味では全くなく、
てっちゃんとの話を一緒にできる方とお話ができるということは、もし今まで面識がなかった方だったとしても、今の私には力になります。…と今は感じています。




2016年12月3日土曜日

悲しいことがあったとき…。




ちょっと、というかだいぶ悲しいショックなことがあった。

もうこれ以上、大切な人を、少なくとも私は大切だと思っている、恩人だと思っている人を失いたくはないのだけど…。


てっちゃんがいなくなってしまったこととは別の部分で、こういう想いをしなくちゃいけなくなると、

こういうときに、てっちゃんに話を聞いてもらえない現実を改めて突きつけられると、

こうやって私は、てっちゃんのいない世界で、自分の世界で生きていかなきゃいけないんだって、

またすごく弱気になって、心細くなって、いろいろなことに怖がる自分がまた出てくる。



私は今周りの人に守ってもらって、支えてもらって、なんとかやってる。

でも、それに甘えすぎて、いつまでもいつまでもそうしていると、どこまでも被害者ぶっているように私を見てしまう人もいるんだろうなと思う。
こんな私にずっと寄り添う周りの人も、相当のエネルギーがいる。
そのことは忘れちゃいけない。


てっちゃんだったら、こんな時どんな言葉をかけてくれるだろう。

どんな風に私に接してくるだろう。



10年一緒にいた。
でも、たかが10年でもあった。

一緒にいた時間にお互い経験したことは、本当にたくさんあったし、たくさんのことを話し合ってきた。
たくさんの言葉をかけあってきた。

でも、それでもやっぱり、一緒にいた時間には経験しなかったことが、まだ人生には山ほどあって、
てっちゃんの声がなかなかスッと聞こえてこない。

きっと、結局私の心の整理がつくのを黙って見守ってくれてるんだろうなと思う。

困って意見を求めると、予想以上にあっさりと、あっさり過ぎて逆に受け入れるのに時間がかかるぐらい現実的に、彼なりの結論を提示してくると思う。



てっちゃんという最強に心強い存在がいれば、多少心が折れそうになっても、
最終的な受け皿がある感覚があった。

今はそれがなくて、背筋がピンと伸ばせない。よしっ!って思えない。


それもまた現実。

白い温かい空間



昨日、お風呂に入って、首の深さまで身体を沈めてお湯につかって目を閉じてみた。

いつも入っているお湯よりも少しだけぬるくて、身体とお湯の間に一枚膜があるような、
身体がほんのり温かいボワっとした空間に包み込まれて浮いているような、
そんな感覚がした。
淡く白い、ただただ、そんな空間。


その時にふと思った。


あの時、
てっちゃんが挿管のために意識がなくなるその時、
この世から離れざるを得なかったあの時、あの瞬間、

てっちゃん、こんなふうな感覚だったのかな。


…むしろ、こんな感覚でいてくれたらいいんだけどな。


意識が遠のく中で、呼吸の苦しさから解放されていくとき、

頭上から引っ切り無しに降ってくる私の声を聞いていたとき、

口は動かなくても、声は出せなくても、ボーっとする頭の中で私に返事をしてくれながら、

温かいものに包まれていくような、何も感じなくてよくなる解放感を全身で感じてくれていたのかな。



私の想いだけを言えば、
そんな温もりなんかに包まれてないで、もう一回目を開けて、一言だけでいいから言葉を交わすために必死に戻ってきてよ、って今でもそう思うけど、

でも、昨日お風呂で感じた、どうってことない感覚だけど、でもあんな感覚であの時てっちゃんがいられたとしたら、もしそうだったとしたら、
少しだけ、ほんの少しだけど、てっちゃんを想う気持ちとかあの時を振り返る気持ちに温かみが差した気がした。


全ては私の勝手な想像で、その時の自分の気分とか、思い返す場面の状況によっても、またすぐ変わったりするし、実際てっちゃんはどこまで穏やかに逝けたのかって、現実的なことを考えたら、こんなことを考えること自体馬鹿馬鹿しいと思ったのだけど。。。


そんなことを考えてお湯に浸かっていたら、そのまま意識を持っていかれそうになって、すぐ目を開けて自分を現実に戻した。



てっちゃんも、こんなふうに「ダメだ!」と思って目をぱっと開けられる力があったらよかったのに…って、結局悲しい気持ちになってた。


2016年11月21日月曜日

今の気分



また一ヶ月が経った。

最近また、きつい。

まだ、きつい。

穏やか、じゃない。

ベースラインが低い、心の。

「まだ10ヶ月しか経ってないもん。」

でも、もう私、10ヶ月も、どん底で必死に、やってきた。

一個ぐらい答えが見つからないものかな。

どんな答えを求めてるのかって言われたら一つしかないんだろうけど、
でも、そうじゃなくても何かさ、って。


自分をコントロールできないって結構、きつい。
30秒後の気分がさっきまでの自分と全然違って、だからと言ってどうしようもないのって、しんどい。
弱音しか吐けないのも、嫌だ。


2016年11月19日土曜日

疲れた。



疲れた。

なんだか、でもとにかく、疲れた。


そんなに疲れるような生活でもないんだろうし、体力奪うようなことをしたわけでもないんだけど…
タイミングの問題かもしれないけど、

疲れた。


毎日何時間も働いてたあの時とも違う、
がんばって英語を聞き取ろうと必死に1日集中してた時とも違う、

今感じている全部の感覚が、今までの人生で初めての感覚で、言葉にしきれない。


どうしようもなくて、苦しいとき、てっちゃんのぬくもりを感じようとするとき、
てっちゃんだったらこの辺で聞いててくれてるかな…とかこの辺りから覗き込んでくれるかな…って思う部分を向いてみると、光の残像みたいに、てっちゃんのシルエットが見える気がすることがある。

表情までは見えないけど、勝手な想像で、話しかけてみる。心の中で。
たまに声に出してみる。

でも返事はなくて、シルエットは数秒で消えちゃう。


疲れた。
疲れたけど、だからと言って眠くなるとも限らない。


2016年11月17日木曜日

怖い夢



おとといの夜、金縛りみたいなものにあった。
そのあと、そのまま怖い夢を見た。
すごく怖かった。
必死に嘆いて目を覚ました。


金縛りで上からすごい力で押さえつけられてる感覚が、目を覚ましてからも足の付け根に残っていて、うまく力が入らなかった。

夢の中で、ある人が亡くなってしまって…
それがものすごくショックだったんだけど、その直後に、その場にいた2、3人の人が、亡くなったはずのその人に見えて、生きてたんだと勘違いをして、嬉しすぎて話しかけて…
でも勘違いをしてることにすぐ気づいて謝ったんだけど、そしたらその3人がいわゆる幽霊みたいな風になって私を囲むように迫ってきて、謝っても謝ってもどんどん様相を変えて近づいてきて…

そこで起きた。


その目を覚ます瞬間、

「これで目を覚まして、もしかしててっちゃんが今夢に出てきた怖い幽霊みたいに見えちゃったらどうしよう…。目開けないほうがいいかな…」

って考えて、でもそうするとまた恐怖感が襲ってくるから無理やり起きた。

部屋の中をそーっと見回してる自分がいた。


それで気づいた。


もう私の頭は完全に、てっちゃんが死んじゃったことをわかってるんだ……。
心はわかりたくない、わかるわけないと必死にごねているけれど、でもわかっているんだ……。

今、もしてっちゃんが、本物でも幻覚でも、私の前に現れたら、それはもう願って仕方がないことだけど、でも、きっとすごくびっくりして、逆に怖くなってしまうのかもとも気づいた。

そんなことがあり得るわけなくて、あり得たとしたら恐怖心すら感じちゃう自分になってることに気づいた。


話したいけど…
横にいてほしいけど…
一緒に笑いたいけど…

会いたくて会いたくて仕方がないけど…


でも、これが、時間が経つってことなのかな…。


2016年11月8日火曜日

てっちゃんの枕



てっちゃんが使ってた枕、

熱を出したあの頃に使ってた枕、

てっちゃんが息を引き取って、その後自宅に帰ったとき、てっちゃんが最後までいたベッドに、でももう一緒に入ることはできなくなったベッドに、入るのは辛すぎて、でもてっちゃんの証を感じたくて枕にだけ顔を当てた。

熱で汗かいたりしていたからか、
てっちゃんの匂いと汗の匂いとが混ざってて、
本当にそこにてっちゃんが、ほんの少し前までいたことを突きつけられた。

よく考えたら、クローゼットに入ってる服は、当然だけど洗濯済みのものばっかりで、洗剤の匂いしかしなくて、なんで洗ったのかと自分を恨みたくなったりもした。

てっちゃんの匂いが残っているものを持ち続けることが自分を辛くさせる気もして、全部処理するつもりだった。

でも、やっぱりどうしてもできなくて、その枕はそのまま、カバーもそのまま、汚いけど洗濯もしないまま、持って帰ってきて毎晩一緒に寝てる。



でも、

さすがにもうてっちゃんの匂いはしない。

そこからてっちゃんを感じることはできなくなってる。

でも、

離せない。


その枕を抱いたまま、いつもてっちゃんがいてくれた右側を向いて眠らないと、なんだかおかしい。


首の下に腕枕してくれてるてっちゃんの腕があるかのように勝手に感じながら、
チャールストンの家にいるかのように目を閉じて想像してみる。


そんなことしてるから、チャールストンへの未練も、あの頃の生活への未練も、全然切れないのだろうけど。


てっちゃんはもう、先に寝ちゃったかな。


2016年11月1日火曜日

何も…何一つ。



やっぱり無理だ。

やっぱり私はてっちゃんなしじゃだめだ。

てっちゃんが死んじゃったなんて、ありえるの?

もう何も、心から楽しもうなんてできないし、
もう何も、心からやりたいと思うことなんてない。



生きるという、一番基本で自然の部分を自然にできていないから、それに乗っかってくるプラスの部分に何の意欲も向かない。

こんな性格だから、っぽいことを頭で考えて言葉を並べることはできるけど、

心の中を見てみたら、黒色の濃さも、その闇の大きさも、何一つ変わってない。ちっとも変わってない。


やれることが増えたり、
行ける場所が広がったり、
予定を入れる頻度が増えたり、

表面的には少し戻ってきたようにも思えて当然だと思う。

ほぼ毎晩、こういう想いに襲われて、
ただ、それをぐっと押し込む頭の余裕があるか、それと向き合う気力もなく眠りに落ちるかのどちらかなだけで、


結局何も変わらないし進んでない。


苦しいよ…



てっちゃん。


2016年10月21日金曜日

元気かな?



てっちゃん、元気かな。

「元気」なわけはないんだけど、そう思う。

一緒にいてくれる、そう思ってるけど、
一緒に来たかったな、の想いは消えない。


やっぱり疲れるとダメだ。


20日、

今日はてっちゃんのためにご飯を作ってあげることはできないけど、お酒の好きなてっちゃんと一緒に飲もう。

「一緒に」は飲めないけど、一緒に飲みたい。
そう思うしかない。


2016年10月14日金曜日

近くにいる。



てっちゃん、東京も一気に秋になって寒さすら感じるようになってきたよ。

てっちゃんがいなくなっちゃった冬のあの寒さから、暑い夏も通り越して、また寒くなっちゃったよ。

待ち受けにしてるツーショットの写真も、冬に撮った寒そうにしてる写真にしたよ。

寒いの嫌いだから、繋ぐ手もなく一人で歩くのは更に寂しく感じるよ。

てっちゃんのパーカーが家の中で羽織るのに大活躍してるよ。


淋しいけど、でも、てっちゃんはきっと近くにいてくれてるんだって、
あの優しさで包んでくれてるんだって、
そう思えたよ、今日は。

会いに行きたい…逝きたいけど、ずっと我慢してなんとか生活してる私を、偉いねって肩さすってくれてる気がしたよ、今日は。


と言いつつ、私が勝手に感じるんじゃなくて実際にそうしてほしくて仕方なくて、涙は止まらないけど、
でも、改めて、大好きなてっちゃんのことを、また素直に信じたくなった気がしたよ、今日は。


てっちゃんの頭の回転の速さと、心を切り替える器用さには、いつも追いついていけなかったけど、今もついていけてないかもしれないけど、目離さないで、私のペースに根気よく付き合ってよね。


2016年10月10日月曜日

チャールストン



チャールストンに戻りたい。


その想いはこの9ヶ月間、全く消えない。

だったら戻れば?という人もたくさんいると思う。
別に日本にいなきゃいけない理由はないのだから。


でも、やっぱり、あの場所は、てっちゃんがいたからこその場所で、思い出で、"二人での"冒険の場だったから、

そこに自分一人で、てっちゃんなしで戻るのは怖い。

友達は絶対に大歓迎してくれるだろうし、生活だってたくさんサポートしてくれると思う。

街も、景色も、空気も、人も、気候も、時間の流れるリズムも、全部好きだし、きっとそれはまた得られるのだけど、
てっちゃんっていう何よりも大きい要素がなくなってることに、まだよく気づけていないからこの気持ちが捨てられないのかなと思う。

行ったらその事実に本当に気づけるのかな。
もし気づいたとしたら、私はどうなっちゃうんだろう。

この状態で戻れば、このてっちゃんとの別れで必死に向き合ってきた悲しみの感情にも、また一からもう一回、むしろもっと酷くのみ込まれるのかもしれないなとも思う。
今までよりも、もっとしんどいかなとも。
やっと、やっと少し、日本での生活に体が慣れてきたのに。


でも、やっぱり、あそこに戻りたい。

その気持ちが消えない。


あそこで得てきた私のパワーは、何だったのか。
やっぱりてっちゃんがいたからなのか。


これからの居場所はここじゃなくなるんだって、3月に戻ったときに、何度も何度も自分に心の準備と覚悟をさせたはずだったのにな。



自分自身



本に書いてあった。

「死別の悲しみは、ひとつの「点」のようなものではなく、それまでのその人の人生の意味や、築き上げてきた人間関係が根底からくつがえされてしまうような体験なのだ。理不尽な死の意味を求めるその人自身が、それまでのその人ではなく、自分にとっても見知らぬ他人となっている。」


そう思う。

この筆者の伝えたいことと100%合ってるかはわからないけれど、すごくわかる。

自分が自分でない。


てっちゃんと一緒に撮った昔の写真を見ると、

てっちゃんに対しては、
「なんでこんなに自然と笑ってる人がいないという現実があり得るのか」
って思っちゃうけど、

その隣に写ってる自分に対しては、
「なんだか楽しそうだね」
って、他人事のように見てしまう。

それが自分だとなんか思えない。


2016年10月6日木曜日

感覚



私の部屋は、てっちゃんのものや写真で溢れている。

それを目にしたり、手に取ったりすることで、てっちゃんを身近に感じようとしている部分もあるし、それを通して、ただただ涙したいときもある。

携帯に入っているてっちゃんの写真を見ると、
てっちゃんに触れたくて仕方なくなる。


でも、最近、触れようとする私の手の感覚が…
頭の中で触れようとするてっちゃんそのものが…
前よりもすごく遠く感じる。


前は、何もしなくても、今ここにいる感覚として、今にも触れそうな気すら勝手にして、すぐ目の前にいるてっちゃんに触れようとしてた。

なのに、今はそれが遠い。


触った感覚、温度、全部まだはっきりわかる。
元気だった頃のてっちゃんの感覚も、病院にいる間のてっちゃんも、棺に入れられてからのてっちゃんも…
愛を感じようと、力をあげようと、たくさんたくさん触れてたから、全部わかる。


でも遠い…。



これが時間が経つっていうことなの?

私が変わっちゃってるのかな…
てっちゃんが離れていってるのかな…
まだ神さまが邪魔しようとしてるのかな…


もう一回…何度でも、言うしかない。

てっちゃん、かえってきてよ。

てっちゃん、今どこで何してるの。


2016年10月3日月曜日

きれいなものもきれいじゃない。



旅行番組に出てくるきれいな景色とか、人気の観光スポットとか…
駅や電車の中に貼られてる風景入りのポスターとか…
美味しそうなものとか、話題のグルメとか…

それを見聞きしたときに、
そういうものに出会いに行くことで気分転換しようと思うより、

もうてっちゃんと

「ここ行ってみたいね〜」
とか
「これおいしそう!今度行ってみよう」
とか
「でもやっぱりこの前の◯◯は良かったよね〜」
とか

私には言えないんだって思うばっかり。

てっちゃんと、
行きたい場所、見たいもの、行ってみたいお店…
何もない。


てっちゃんはこんな季節の変化も、ニュースになってる話も、私が髪を切ったことも、
あの日、あの時以来のことは
知らないし見てない。

知ることができないし見ることもできない。


2016年9月30日金曜日

今の私にはきつい



東京の人は冷たい、とか怖い、とかよく言うけれど、

よくわかる。

表面上の冷たさがにじみ出てる。

中身に関してはもちろんわからない。
もちろんそんなことばっかりではない。ありがたいこともたくさんある。
話せば優しい人、親切な人、控えめな人、明るい人、いろいろなんだと思う。
その中身が表にまで溢れ出てる人だってもちろんいる。


だけど、今自分がこんな状態だからか、世の中の人の表面上の冷たさがすごく突き刺さる。


急いでいるんだろうな、
疲れているんだろうな、
嫌なことがあったのかもしれないな、
今日は具合がよくないのかもしれないな、
そもそも、この人も私みたいに大切な人を最近失ったのかもしれないな、

できるだけ、私の一方的な偏見にならないように、相手だけが理不尽だとか酷いとか思わないようにしてるけど…

そんなにぶつかってこなくてもいいじゃん、
そんなに嫌そうな顔しなくてもいいじゃん、
そんなに「自分が当然」みたいにしなくてもいいじゃん、


私、今、結構きついんですよ。

外に出るとそこはそんな世の中、と思うと、出かけたくもなくなるし、前向いて歩くのも嫌になる。


なんで、私のほうがこの人に謝ってるんだろうって思ったりもする。
私が謝ったり、一歩引いたりするのはまだしも、それで我が物顔されるの、イラッとするよりも、悲しくなる。

私の状況知らないくせにって。

知らなくて当然なのに。


最近、やっと、店員さんとか心配りをしてくれる人に、ちゃんと愛想よくできるようになったとは思うけど…。
優しくいようとしてくれる人に、私もちゃんと応えられるようにはなってきたとは思うけど…。

少しずつ、少しずつ、前よりもそんな環境への対応の仕方を身も心も覚えてきた気はするけれど、でもやっぱりどこか、前向きなかわし方ではない。
心からは動けていない。


そんなふうになってる自分に気づくと余計に、私は変わっちゃったんだ、って思う。

あの時のような余裕、受け流せちゃう余裕はない。
そんな状況を「そんなもんなんだ」って、ポジティブに?あきらめることができない。


てっちゃんはこういうの、器用に割り切って、思考も行動も変えていくんだろうな。


何が言いたいんだろ、自分。

つまり、きついんだな。いろんなことが、今は。
考えすぎらしいんだけどさ。

そんな私を、てっちゃんがスッと、気楽に済ませられる人にしててくれたんだけどな。



2016年9月27日火曜日

ついてるって言ってた。



私の身体から、大切な大切な、一瞬にして大好きになった命が出ていってしまいそうになったとき、

出血が始まっちゃって、痛みがどんどん強くなってきていたとき、

前日から少量の出血はしていたから覚悟はしていたけど、やっぱり失いたくなくて、不安で不安で仕方なかったとき、


てっちゃんもすごくすごく不安そうだった。

でも、手をずっと握って、痛がる私の腰をさすって、痛みの波が落ち着いたときは、しっかり抱きしめてくれた。


赤ちゃんをあきらめなきゃいけなくなったとわかってからしばらくは、夜になると特に、出血に苦しんだ夜のことを思い出して、
あの痛みは苦しかったけど、その苦しさすらも、まだあの子が身体の中でもがいていた感覚すらも、感じられなくなってしまったその現実が淋しくて悲しくて、よく泣いていた。

そんな夜も、何も言わずにしっかり抱きしめてくれて、私が眠れるまで見守ってくれた。


子宮の形に問題があることは知っていたけど、改めて手術を勧められて、受けようか迷っていたとき、

手術をすれば、流産のリスクは半分ぐらいになることを聞いて、


「志野があんなに苦しむのは、僕できればもう見たくないよ。手術することで、次の妊娠が少し先になるかもしれないけど、それより志野の苦しむ姿見るほうが辛いよ。」


って言ってくれた。

だから、手術も受けた。

手術後、


「前から思ってるんだけど、僕って、ついてる方だと思うんだよね。志野もそうじゃない?僕はそう思うんだよね。何かと運がついてる。だから、絶対大丈夫だよ。焦らずいこう。」


そう言ってくれた事もあった。


だから、てっちゃんが病院で闘ってたあのときも必死にそう語りかけた。


「運がいいって言ってたじゃん。」


って。
病院の先生に、雷が人に落ちるぐらいあり得ない確率でしか起こらないことだって、不運でしかないって、言われた。


「運、変なところで使い切って来ないでよ」

「ついてるなら、こんなところでとまってないでかえってきてよ」


って、挿管されて、機械につながれて動いてくれない、目を開けてくれないてっちゃんに、必死に呼びかけた。

きっと、てっちゃんも、朦朧とする意識の中でそう思ってたよね?

私には、てっちゃんじゃないとダメなんだよ…。

この世にいる、いない。



人混みに出たり、人がたくさんいっぱいいるのを見ると、こんなにも人がたくさんいて、当然のように歩いていて、喋っているのに、

なんで、てっちゃんはこの世にいないんだろう、

なんで、こんなにこの人たちには当然のことがてっちゃんにはできないんだろう、

なんで、私は今ここにいるんだろう、

と本気で思う。


歩くことが不自由な人もいれば、話すことが難しい人もいる。
そんなみんなのんきな人ばっかりじゃない。
のんきが悪いわけじゃない。

でも、そういうことを考える以前の、本当に純粋なところで、てっちゃんの姿がどこを探しても見つけられなくなっているということが…それでもその世界に自分だけがいることが…本当に不思議で仕方ない。
ため息か涙しか出ない。


事故にあったり、津波にのまれてしまったりして、いまだに行方不明で、身体の確認ができないままに、その人がこの世を去ったと認めなきゃいけないことの辛さ、難しさは、全くもって別種のものだと思う。
そのことと比べることは私はできない。


でも、私にとっては、目の前でさっきまで一緒に話して歩いてたてっちゃんが、本当に一瞬で動けなくなって、喋れなくなって、それでもまだ命はある、息はしていると言われて、だからその姿に必死に話しかけ続けて…

でも、機械を止めただけで命もなくなったと言われる。


見た目は何も変わってないのに。



そのてっちゃんがたくさんのお花と一緒に…
まるでそのお花がてっちゃんとの別れを飾っているかのように、別れなんて全然する気がないのに…


たったの一時間ちょっとで骨になって出てくる…。


それが、あまりに淡々と、でもあっという間に、進んでしまったからなのかな。


何も悪くない周りの人を憎く思ったり、なんであなた達だけ…と思うことぐらいはやめられたら、少し楽になるのかな。


2016年9月24日土曜日

グリーフ



グリーフケアのグループや会に参加してみようかと考え始めている。


テレビを見たり、本を読んだりして改めてわかる。

同じように、旦那さんや奥さんを亡くした経験がある人の言葉や感情…
その人たちと会ったこともないけれど、やっぱりすごく共感ができる。

もちろん、私とは違う形で考えを進めていく人、もう少しポジティブに全てを受け止めようとしているように見える人、いろいろだけれど、でも「当事者」であることはハッキリわかる。


子供がいれば、てっちゃんという息子を亡くしたお父さん、お母さんの悲しみにももう少し寄り添えたかもしれないけれど、それは私には想像でしかなくて、今の私は自分のことで精一杯なのが正直なところで、実際は何もわかってあげられてないんだと思う。
だって、兄姉は私にもいるんだから、だからわかってあげられてもおかしくないはずの、てっちゃんのお兄さんお姉さんの気持ちにすらも寄り添えてないと思うから…。



どうなんだろ…
てっちゃんは、絶対そういうの行かないタイプだろうな。
試しに行ってみたら?と思うけど、動こうかと思うときに限って、心が負の波に飲み込まれてそれどころじゃなくなったりする。



2016年9月23日金曜日

こんな試練いらない。



神さまは、乗り越えられる試練しかヒトに与えないって聞いたことがある。

そもそも、神さまから試練を「与えられる」ってこと自体おかしいとも思うんだけど、もしそうだったとしたら、私は一生神さまを恨むと思う。

だって、神さまは、てっちゃんに乗り越えられない試練を与えたんだから。
乗り越えようと必死に戦ったってつぶされる運命にしたんだから。

与えられなくても、試練は自分で選びに行ってた私の人生に、絶対望むことのない試練を、しかもこんなタイミングで投げつけてきたんだから。


それでも、てっちゃんのあとを追っちゃいけないって、私までが逝ったら、それで悲しむ人がこんなにもいることを、てっちゃんの葬儀のときにも身に沁みて感じたから…
私のこの思いを他の誰にもこれ以上させたくないから…


だからがんばって生きてるのに、

越えたくもない壁を数え切れないほど越えてきたはずなのに、

それでもまだ、光も何も見えない。



2016年9月17日土曜日

てっちゃんの夢



てっちゃんのこと、
てっちゃんがいなくなっちゃったからってみんなに話したら、てっちゃん恥ずかしがるかな…
「そんなこと話すなよー」って嫌がるかな…

でも、きっと、みんなてっちゃんのこと大好きで、もっともっとてっちゃんのこと知りたいと思うんだ。
てっちゃんとお話できなくなっちゃったから、てっちゃんの代わりに、てっちゃんのこと話するの、許してくれる?

私のためにも…
こうすることで、てっちゃんとの思い出とか話したこととか、てっちゃんという存在を、私の中で整理していかれるように…

嫌だったらもう書かないから、夢で教えてね。



大学を出て、
薬剤師の免許を取って、
大学院に行って、
医学博士になって、
研究が好きで、それを仕事にして、
留学の夢を果たしてアメリカに行って、
自分が今後もっと進めたい研究の道を見出してきてた、てっちゃん。

そのために、これからどんなことが必要で、
どれだけの時間が必要で…って、
てっちゃんらしい頭の使い方で、現実的な形と方法を考えて日々を一生懸命進んでいたてっちゃん。


薬学部を出て薬剤師をとったのも、薬剤師免許を持っていれば、その先仕事に困ったときも食いっぱぐれずに済むだろうと思ったからって言ってたね。


「研究」という仕事が、

その一つ一つの作業自体も、
それを組み立てたり整理したりするプロセスも、
それがいつか、どこかの誰かや社会にもたらすであろうその意義も、

全部好きだったみたいだね。


でも、研究者として生きることの難しさ、危険性、立ち位置、いろんなこともたくさん考えてた。

男のプライド、責任、みたいなものも気にするというか、ちゃんと考える人だったから、結婚を決めてからは更に、そんなこともたくさん考えてたみたいだった。


私も、自分の人生の形を考えていた時期に、てっちゃんに聞いたことがあった。



「てっちゃんの夢ってなに?」



仕事上の未来のプランとか、業績とか、そんな答えが返ってくるかなって思ってた。
でも、てっちゃんの「幸せ」はもっともっとシンプルだった。




「ん〜。ぼくは父親になれればそれでいいかな。」




その言葉で、私の心が、一瞬ですっっごく温かくなったのをハッキリ覚えている。

"私も…"

そうやって、本当に穏やかな心で思ったのを覚えている。
ある意味、すごくてっちゃんらしい答えに、すごくホッとしたのも覚えている。




仕事をバリバリやって、お互いがお互いの道を歩んでいく夫婦像みたいなものにも憧れてたけど、でも、結婚してアメリカに行く選択肢を取った私にとって、てっちゃんを支えながら、日々の生活を、一緒にどれだけ楽しめるかが、私の役目で仕事だとも思っていた。


仕事ができないもどかしさはあったけど、でも、てっちゃんとの生活は本当に楽しかった。
誰よりも楽しく過ごしてると毎日思ってた。


だから、あんなに仕事のことをたくさんたくさん考えているてっちゃんの「夢」が


「父親になること」


だと知ったとき、
それが私にとっても大きな夢だったとき、
本当に本当に幸せだった。
その夢を叶えるために私ができることを全力でしたいと思った。
その夢を叶えるための相方に、私を選んでくれたということを、改めて心から嬉しく思った。



なのに、

なのに、



叶えてあげられなかった。




てっちゃん、
なんにも悪くないのに、
なんにも悪いことしてないのに、
一生懸命勉強して、
がんばって仕事して、
私のことを全力で守ってくれて、

ただ、風邪引いただけだったのに、

一番シンプルで大きな人生の夢、叶えてあげられなかった。



叶いかけたんだ、本当は。

たった2週間だったけど、夢が叶うかも…って思えたんだよね、本当は。


去年の今日、私は最高に大きな誕生日プレゼントをもらった。


てっちゃんと私の間には赤ちゃんがいることがわかった。



それからわずか2週間で、叶わない夢になっちゃったけど…

もし、その子が元気におなかの中で育ってても、1月に逝っちゃったてっちゃんは会えなかったのだけど…



てっちゃんの夢、私が叶えてあげられたはずの夢、
実現させてあげられなくて、本当にゴメンね。


志野のせいじゃないって、きっとてっちゃんは言うけれど、
私にとってはどうしたって拭いきれない大きな大きな後悔。私にとっても大きな大きな夢だったから。


子供がいたら、今のこの悲しみや苦しさ、日々を送ることの辛さもまた違ったと思う。
もっともっと大変だったかもしれない。比べられるものでもないのはわかってる。


でも、でも、てっちゃんとの子供ができていたら、てっちゃんという存在をもっとこの世に感じていられたかなとか、これからの人生を生きていく意味とか価値をもう少し見出だせたかなとか、そんなことも考える暇なく守るべきもののために毎日を過ごせたかなって、無い物ねだりをする。


若くして、子供もまだ小さいのに、伴侶を亡くした人のことも見たり聞いたりしたから、決して安易なことは言えないけれど、でも、私の心からその後悔は消えない。



今年の誕生日は、
いつもと変わらずてっちゃんのことをたくさんたくさん想いながら、
あの日に出会うことができた小さな小さな命のことも想いながら、
1日を過ごすよ、てっちゃん。


雨が続いてた中、久しぶりに太陽を見せてくれてありがとう、てっちゃん。


2016年9月11日日曜日

思い出が悲しい



病院に運ばれて治療中のてっちゃんを思い出す。
その時のことが時系列関係なく、どんどんと頭の中を回る。

アメリカでのお別れ会のときのてっちゃんの顔、
日本で棺に入れてもらったあとのてっちゃんの顔、
そしてまた、病院で挿管中のてっちゃん…

なんで、なんで、ごめんね、ごめんね。


10回に1回ぐらい、まだ元気だった頃のてっちゃんの顔や声が次々と飛び込んでくる。
チャールストンの家で、ご飯を「うまいな~」って言って食べてくれるときの顔、
歯磨きしてる姿、
私のご機嫌を伺う顔、
リラックスして携帯いじってる姿、

なんでもうあの姿に会えないの。
会いたい、会いたい、助けて、助けて。


大好きなてっちゃんのことなのに、
全然心穏やかに思い出してあげられない。


楽しかったことを思い出せても、現実とのギャップに逆に虚しくて悔しくなるだけ。


大好きなてっちゃんのことなのに。


なんでよ、もういいよ。
私だって、こんなにずっと同じようなこと書きたくないよ。


2016年9月2日金曜日

これが普通らしい。


これが普通らしい。

死別を経験した人が抱く感情とか陥る状況…。


こんなにも毎日毎日てっちゃんのことを思って、呼びかけて、嘆いて、
それでもどうにもならない現実に絶望して、
少し落ち着いた時間がとれてるかなと思いきや、またどん底に突き落とされる…。

それが苦しい。


その全てが、大切な人を亡くした人の反応としては「普通」「当然」なんだって。


その行ったり来たりの波に飲み込まれるのが苦しい気がする一方で、ずっとその波に飲み込まれてしまっていたいと思う気持ちがある。


それも「普通」なんだって。


大切な人を失ったことによって、自分自身も一度死んでしまったように感じる。


それも「かなりの人に起こること」なんだって。


人が恨めしくなったり、自分を責める気持ちが消せなかったり、死別後の人生に期待も希望も何もない気がする。


それも「当然」なんだって。




でも、「私」にとって、それは「当然」でも「普通」でもない。

こんなのが「普通」なんて、本当に困る。
これっぽっちも望んでない。
耐えられない。


てっちゃんがいなくなっちゃって、もう7ヶ月も経つのに、てっちゃんがいない生活に、何の覚悟も準備もできてない。

「異常」だらけの毎日なのに、それが普通らしい。

何それ。


みんなの中でも、この私とこの現実が、少しずつ「普通」になっていく…きっと。

置いてかないでください。


「志野は一人でやっていけるタイプだね」とか、「どこに行っても大丈夫だね」とか、「何でも乗り越えられそうだね」とか、昔からよく言われてきた。


そんなこと全然ない…。


2016年8月26日金曜日

あきらめる…。



あきらめてきた。

そんな気がしている。


てっちゃんが死んじゃったという事実にも、

今私に降りかかっている現実にも、

これから生きなきゃいけない人生にも、

人が亡くなるということが、大切な人を失うということが、当然じゃないのに当然のように日常の中に流れていく世の中にも、

幸せそうにしている人たちを目にしなきゃいけない日々の生活にも、

誰のことも責めようがないということにも、


あきらめがついてきた気がする。


少しだけ。


受け止め始めたというより、あきらめはじめた。

受け止めることは不可能。
乗り越えることも不可能。

だから、あきらめるしかない気がする。

そのやり方、感覚がいいものなのかわからないけれど、でもあきらめないと割り切れないし、割り切れなければ私は一生このままだと思う。


前と同じ気持ちでは笑えない、一生。
前と同じようには楽しめない、ずっと。
前の私ではない。


でも、それも全部あきらめるしかないのかな。


てっちゃん、どう思う?
こういう時に、遺影の中のてっちゃんの笑顔が、私の気持ちを複雑にさせるんだよ。


2016年8月21日日曜日

結婚式


去年のこの第三土曜日、8月22日は私達の結婚式だった。

去年のこの日は、今日みたいに不安定な天気じゃなくて、みんなに申しわけないほどの暑さで、でも私の大好きな青空の力をいっぱい感じることができた。

家族とたくさんの友達に囲まれて、みんなからの愛も、てっちゃんからの愛もたくさん感じた1日だった。

まさかまさか、一年後がこんなふうになっているなんて思わなかった。
みんなだってそうだった。
てっちゃんだって、そんなことこれっぽっちも考えてはいなかった。


楽しかった。
幸せだった。
元気だった。


去年の今頃はこんなふうだったとか、あんなふうだったとか、いろいろ考えてはきりがなくなってる私を見たら、てっちゃんなんて言うだろう。

きっと、あの時からこんなふうに変わってしまったってネガティブに話すんじゃなくて、
あの時は何が楽しかったとか、また◯◯したいとか、ポジティブな話をするんだろうな。

でも、それは一緒にいればこそできる話…だな、やっぱり。
そんなふうにきれいな話はまだできない。

てっちゃんと一緒に過ごした10年間で、私はかなりポジティブ思考になった。
てっちゃんといると、ネガティブではいられなかった。なる必要もなかった。

でも、そのてっちゃんがいなくなっちゃって、また逆戻りした気分。
てっちゃんだったら、もうそろそろ前を向いて歩いているのかな。


昨日は月命日でもあった。
てっちゃんの好きだったものを食べることにしている日。
嬉しい記念日じゃなくて、悲しい日。
だけど、好物を出したら、少しでも喜んでくれるかなと思う。
てっちゃんの好きだったものを食べられる日、と思えば、毎月くるこの日の迎え方が少しだけ変わる。
…気がする。


2016年8月16日火曜日

お盆


初盆だった。


ドイツから戻り、てっちゃんの実家で、家族と過ごした。
家に着き、祭壇の前に座り、久しぶりにお線香をあげる。

何度もやってきてることだったけど、何度やっても骨壷から出てきてくれないてっちゃん。
何度てっちゃんの家に、てっちゃんの部屋に入っても出てきてくれないてっちゃん。

ドイツという少し離れたところからしばらくぶりに帰ってきたせいか、いつも以上にそれを感じてなかなか手が合わせられなかった。

バカみたいだけど、でもどこかまだ本気で、てっちゃんが生き返るすべがあるんじゃないかと思ってる自分の想いが粉々にされた気分だった。


家族が実家に揃う日程を考えて、迎え火は法要の前日だった11日に、送り火は昨日焚いた。

正直、てっちゃん自身も、てっちゃんの魂も、その居場所がどこにあるのか、本当にあっちに行ってしまったのかも、まだよくわかっていない状態だったから、お盆に「帰ってくる、天国に戻る」という感覚にも違和感があった。

でもやっぱり、実際火を焚いてみると、その間涙が止まらなかった。
そういうことをてっちゃんのためにやっているという、この現実が悔しくてたまらなかったのもある。

でも、そういう儀式にはやっぱり何か持つ意味や感じるものがあるんだなと、こうやって一つ一つの節目を大事にすることが大切って、こういうことなんだなって、感覚的にだけど思った気もする。
それが、今の私のこの心境にどう影響したかは、まだよくわからないけれど。


私の先輩でもある、てっちゃんの友達や先輩が何人か訪ねてきてくれた。
てっちゃんが好きだったからと持ってきてくれたお酒を、お父さん、お母さんと一緒にたのしみながら、てっちゃんのこと、高校のこと、大学のこと、アメリカでのこと、たくさん話した。

「てっちゃん、この話聞いたら絶対◯◯って言ってるね」

と、てっちゃんの声や表情、リアクションを想像しながらたくさん話した。


そんな会話を通して、わかってはいたけど改めて気づく。


私にはもっともっとてっちゃんのことを話す相手、時間が必要。

今はやっぱりてっちゃんのことで頭がいっぱい。

そしてやっぱり、てっちゃんに会いたい…。

でも、やっぱりてっちゃんがいない…。

てっちゃんの姿だけが見えない、てっちゃんの声だけが聞こえない。

こんなにみんな集まってるのにてっちゃんだけがいない…。


なんでよ、なんでよ、なんでよ。

こうやって想っているのが私だけじゃないこと、てっちゃんの家族だって、友達だって、先輩だって…
みんなそんなふうに思ってるんだと思うけど。


来年もまた来てね。

そう言うのが適切なんだろうけど、どこにも行ってほしくなかった。
魂だけじゃなくて、全部かえってきてよ。

2016年8月12日金曜日

あの時、それ以降のこと。



書きたいのに書けない。


あの時のこと。

少しずつ、でもできるだけたくさん、書き出してみてるけど、やっぱり、今書き出してある分以降のことは、手が動きたがらない。

思い出したくないわけじゃない。
むしろ忘れるのはこわい。

書き出せばすごい勢いで書けるのに、書く前からいろんな記憶や場面が順番関係なく、どんどん頭の中で迫ってきて追いつかなくなる。

一番書きたいことなのに。


書けないなら書かなくていい。

そんな単純なことも、今は一つ一つ考えてしまう。

夢の中での私達



ここ数ヶ月、具体的にいつ頃からかわからないけれど、
やっぱり眠りが浅いのか、とにかくたくさん夢を見る。

てっちゃんは全然夢を見ない、というか覚えていないことがほとんどな人だったから、
それに比べると私は、夢を見ることは昔から多かったかもしれないけれど、
でもとにかく最近は、毎日見る。

朝起きた時点で、内容をはっきり覚えていないことももちろんあるけれど、
夢をたくさん見た感覚はすごくあって、起きた瞬間からすごく疲れる。
起きた時から頭が重い。

そんなことがかなり頻繁にある。



アメリカから日本に帰ってきて、まだ間もない頃、とにかくとにかくてっちゃんの夢を見ることが私の毎日を支える力になっている気がして、毎晩毎晩必死にてっちゃんにお願いをした。


そういうときに限って、あんまり出てきてくれなかったりして…

そんな翌朝は、それに気づいた瞬間から気持ちが沈んでしまって、
夢にすら出てきてくれないてっちゃんに怒ったことも何度もあった。


やっと出てきてくれたかと思うと、冷たい態度をしたてっちゃんだったり、
てっちゃんだということはわかるけど、表情がわからなかったり…。


夢の中ですらも、てっちゃんは死んじゃった設定になっていたりすると、
“否定したくて仕方がないことなのに、頭はやっぱりちゃんとわかっているんだ…”
と自分を残念に思ったりもする。


逆にときどき、すごく楽しそうに笑っていたり、私のために優しくしてくれたり、しっかり抱きしめてくれているのを感じる夢を見ることもあって、そうすると、起きた時に、その一瞬の感覚だけを頼りに、その日一日のエネルギーをしぼり出すことができる気がしたりもする。



その中でも、今までの自分では見たことのなかった種類の夢がある。

てっちゃんが幽霊にでもなっちゃったかのように、私にだけ見えてる夢。
てっちゃんはそこにいるし、私とは会話も普通にしているのだけど、周りの人は全然気づいてくれない。

しかも2,3回見た。

細かいストーリーまでは覚えていないけれど、私はてっちゃんがかえってきたと喜んでいるのか、とにかく興奮していて、周りの友達に、

「ほら!てっちゃんここにいるよ!」

と何度も声をかけるのに、どの人も無視をするか「何言ってんの」と信じない。
でも私たちは私たちで、2人で話してるのも楽しいから、それはそれで楽しんでいて、最終的には、

「なんでみんな気づかないんだろうね~。変だね~みんな。」

と言って、あまり気にしない。


そんなふうに話したところまでは覚えているけれど、そこからの内容は覚えていない。

生きているという設定でもなく、死んじゃってるわけでもなく、私にだけ見えるてっちゃん。

それが何を意味しているのかはわからないのだけれど。。。
会いに来てくれたのかなとも思うけど、なんだかよくわからない。


この前見た夢で、少し驚いたのは、
てっちゃんが目の前にいて、普通に普段通り会話をしていた場面で、自分が頭の中で、

「この会話が途切れたら"なんで逝っちゃったの?"って聞こう」

となぜかはっきり思ったこと。

実際に聞けた記憶はないし、その夢がどうやって終わったのかも覚えていない。
でも、なぜか普通の会話の中で、ふとハッキリそう思ったのを目が覚めたときに思い出した。


次会ったときはちゃんと聞けるかな。
答えちゃんとくれるかな。

そんなこと聞かれたって一番困るのはてっちゃんなんだけど…


てっちゃんの「死」を自分なりに受け止めていこうと必死に努力する中で、時期によって感覚が変わるのが、

てっちゃんは今どこにいるのか。


遠くの空のどこかにてっちゃんがすごく穏やかな顔してこっちを見ている気がするときもあれば、

私のすぐ隣で私のことなんか気にせずぐっすり眠っている気がすることもある。

ふと目の前に飛んできた蝶々がてっちゃんかと思うこともあれば、

空にポツンと浮かぶ雲がてっちゃんに見えることもある。

でも、どんなにどんなに探しても見つからなかったり、どこでどうしているのか見当がつかなくて、居場所を感じられないときもある。

そんなときは、てっちゃんの写真に向かって「ただいま」とか「おやすみ」というのもなんだかいつも以上にすごく淋しく虚しくなる。


夢はその時の心境を表しているとか何とかって聞いたこともあるけれど、そんな感じもしない。


夢で会えるだけいっか。



いや、やっぱりそんなの絶対嫌だ。
会いたい。
そんなんで満足したくない。


こうやって、一人で葛藤する。



2016年8月3日水曜日

本を読む


ブログを始める少し前ぐらいから、いくつか本を読んでみている。



「家族を亡くしたあなたに」

「やまない雨はない」

「夫をなくしてからのひとりの生き方」

「人は死んでもまたあえる」



自分の言葉にできない想いを、代弁してくれてる気がして、すごい勢いで読んだ本もあれば、
少し宗教観が強すぎて、勉強にはなったけれど、「参考程度にしておいたほうがよさそうだな」と思う本もあった。


良いと思って読み進めても、途中で苦しくなって手を止めたことも何度もあった。

書かれている状況、想いに、自分の経験や心があまりに重なると、ホッとするようで苦しくもなる。


東日本大震災に関連して出された本や放送されるテレビ番組もその一つ。

それこそ、理由も状況も違うから、同じように感じるには安易な部分もあるかもしれないけれど、
でも、突然目の前からいなくなってしまった家族がいる人のことや、
そうじゃなくても、一人の人生の中であるかないかというぐらいすごく衝撃的なことが、
自身の身に起こった感覚とか…

私なりにだけど共感だったり参考になったりする部分がある。


本の執筆に協力したり、テレビに出たりしてみようと思う人は、
どこか何となくでも、必死にでも、その現実を受け止めていたり、受け止めようと努力していたり、
その中で続く自分の人生と向き合おうとしてみていたり、それがうまくできなくても何かしら外に発信しようとしている…そういう意味では私がやってみていることも近いのかな?
…と、これを書きながら考えてみたり。。。


一人の人の経験を一冊の本や一つの番組にしているものもあれば、
何人もの経験談を集めているものも読んだり見たりした。

ここには書ききれないほどたくさんのことを考えたし、感じたし、気づいた。
その中で、ちゃんと胸に刻んでおかなきゃいけないな…と思ったことは、



どれだけ私が、今回のことでたくさんの人に支えられて、助けられて、
最小限の身体的・心理的負担だけでやってこられたかということ。



てっちゃんという、最高で最大で最愛のものを失ってしまったことは事実でしかないけれど、
それでも友達がいて、兄姉がいて、親がいて、そしててっちゃんの家族がいて…

感謝すべき人の名前をあげていたら、日が暮れてしまいそうなほど、
本当にたくさんの人たちのおかげで私は救われたんだと思う。今、生きていられるんだと思う。


本や番組の中に出てくる人の中には、もともとの本人の性格も関係するかもしれないけれど、でも周りに思いを吐きだす人が十分にいなかったり、そうしようと思っても周りの人から十分に支えてもらえなかったり、そんな人達がたくさんいた。

その人たちが不幸だとか、私が幸せとかそういうことではなく、
でもただ、私は本当にたくさんの人たちの力によって、今生きられているんだと、そう思う。



話を聞いてくれる人がいること、

気持ちがいっぱいいっぱいの時に、私の代わりに頭や体を動かしてたくさんの手続きを手伝ってくれた人がいること、

ご飯を作ってくれる人がいること、

てっちゃんの話をたくさんしてくれる人がいること、

その時の私にできそうなことを必死に考えてくれて、一緒に動いてくれる人がいること、

経済的にサポートしてくれる/くれた人がいること、

ただただ、涙を流させてくれる人がいること、

私のせいじゃないと、私のことを一番に心配してくれる人がいること、




だからといって、まだそれを糧に、恩返しのために、ちゃんと立ち上がらなくちゃ、と思うほど、
頭と身体は元気ではないのだけれど、でも、


“「心から」感謝する”


ってこういうことなんだなって、それこそ心の底から思う。





一番上に書いた「家族を亡くしたあなたに」という本は、
アメリカの心理医の女性が書いたもので、まだ読み切れていない部分はあるけれど、
今まで読んだ本の中では、一番自分の気持ちに合った部分が多い本。


今度、気が向いたら、その本の中身も少し書き留めていこう。



そして、もし良さそうな本や記事、何かあればぜひ教えてください。


2016年7月31日日曜日

単純だけど一番大きな疑問。



なんでだろう。

なんで、てっちゃんに会えないんだろう。

なんで、てっちゃんは逝っちゃったんだろう。

なんで、てっちゃんと喋れないんだろう。

なんで、てっちゃんの手を握れないんだろう。

なんで、私は一人で寝ているんだろう。

なんで、私はこんなにもずっとずっと、てっちゃんの事を考えているのに現実は変わらないんだろう。

なんで、あの時のように幸せな気持ちでいられなくなってしまったんだろう。

なんで、てっちゃんはここにいないんだろう。



写真の中に映っている私たち二人を見て、別世界のものというか、誰か全然違う人なのかな、と思うこともある。

その一枚一枚のその時、その瞬間に感じていた、てっちゃんとの距離や空気、匂いも全部覚えている気がして、それが今この世の中にはないと思うと不思議でたまらなくなって、それが自分たちだとすら思えなくなる。
過去とか今とか、そういう次元の感覚ではない。



てっちゃんが今ここにいてくれれば、一緒にいられれば、今の私の全てが解決する。
そう思う。



一番単純だけど、絶対にかなわないことが、私の全身から離れない。


どんなに一分一秒を過ごしてみても、
少し違う考え方をしてみようとどんなに努力をしてみても、
その想いが私に引っ付いて離れなくて、それを刺激するようなことが起こると一気に苦しくなる。


目に入るもの全てと言っていいほどに、いろんなものをてっちゃんとの何かにリンクさせている自分がいて、一瞬も頭が休まらない……気がする。


てっちゃんと一緒にいられることが、あまりにも当然になっていたから、その当然ができないことがなぜなのかがわからない。
想い合っていて、助け合っていて、必要とし合っていて、ちゃんと2人で前を向いていたのに。


てっちゃんと一緒にいたい。
その単純極まりないことが、なぜそんなに難しいのかがわからない。



誰か、「それはてっちゃんが死んじゃったからだよ」ということ以外の答えをくれないものか。。。





そんなことは考えても仕方ないとか、そんなことを考えている自分が嫌だとも思うけど、
それはもう自分で止めないことにした。
考えてしまうことを止めることは今の自分にはできないから。

止めなくていいんだと思えるようになったドイツ生活は、一つの大きな収穫。

考えていることは変わりないけれど。



2016年7月20日水曜日

あの時のこと。1月18日。3つ目の病院にて。前半。


2016年1月18日、月曜日。3つ目の病院(B病院)にて。




こうやって振り返りをしていると、思い出したこと、覚えていることを、
ちょっとでも書き留めておきたくて、だいぶ文が長くなってしまう。

でもそれをするためだから、とにかく書きます。



B病院は、てっちゃんが働いていた大学病院(C病院)から通りを一つ挟んですぐのところにある、市内でおそらく二番目に大きな病院だった。

去年、知り合いのアメリカ人が具合を悪くし、そこに入院していたことがあり、お見舞いにも何度も行っていたので、私も多少馴染みがあった。



S先生と病院に向かう途中、いろいろ話をしたが、先生もさっきまでいた病院で心電図を含め、
てっちゃんの様子を目で見るまでは、そこまでだと思わなかったし、現状を見た今でもまだ驚いていると言っていた。

ただ、今の現状をしっかり見つめるために、私を変に励ますためだけの誤魔化しなどはせず、冷静かつ客観的に、専門的な立場から意見を言ってくれた。


簡単に言うと、心電図を見た限り、てっちゃんの左側の心室がほとんど動いていなさそう、
ということだった。
あの状態で、てっちゃんがあんなにしっかりしているなんて、ビックリするぐらいすごいけど、
でもそれぐらい全然動いていない、と。



私たちの方が、てっちゃんが運ばれてくるはずの救急車より早く着いていたことはたしかだったので、駐車場に車を止めて、先生と救急の入り口でてっちゃんの到着を待った。



5分ぐらい待っただろうか。救急車がやってきた。



正直、内心、


「この搬送中にてっちゃんが心停止しちゃっていて、ドラマみたいに心肺蘇生されながら出てきたらどうしよう…」


そんなことすらも頭をよぎった。

救急車の中に見えたてっちゃんは、上半身を起こした状態でストレッチャーに乗っていた。

私たちが外で立って待っているのを見つけて、“着いたよ。”と言ってくれているかのように、アイコンタクトしてくれた。

当然だけど、寝巻に着ていたヒートテックとスウェットのジャージをそのまま着ていて、
上着に着ていたダウンは私が最初のクリニックから持ってきてしまっていたからなくて、
冷たい外の空気にてっちゃんが触れているのを見て、胸が苦しかった。

搬送用の人工呼吸器マスクは少しがっちりしたもので、頭から水泳帽のような帽子を被らされて固定されていた。


手だけでも温めてあげたかったし、声をかけてあげたかったけど、ストレッチャーに取り付けられた心電図のモニターを見つめながら、救急隊員があまりに真剣に



「いい調子。そのまましっかり深呼吸続けてね。」



と声をかけ続けていたので、私はしゃべりかけることができなかった。

後から考えると、あのときがもう少し最後にちゃんと私から声をかけてあげられるチャンスだったかもしれなかった。



建物に入り、廊下を進み、エレベーターに乗り…


人工呼吸器の設定がどうなっているのかも、確認はできなかったが、
私の目からは、さっきの病院にいた時より、てっちゃんは幾分か楽そうに見えた。


先生の予言通り、そのままの足でICUに入って行った。

日本のICUのように、入り口が2重にも3重にもなっている感じとは違って、
センサードアを一つ開けると、そこに主治医と思われる先生と、その他のスタッフ、看護師さんが何人も待ち構えていた。

前の病院から、てっちゃんの情報がすでに伝えられていて、すぐに治療が始められるように準備していてくれたようだった。



病室に運び込まれるてっちゃん、それを一気に囲い込む先生たち、取り残される私達…



たしか看護師さんだったと思うが、S先生と私に外の待機スペースにいるように声をかけてくれた。


「えっ?もう追い出されるの?」


と思うのと同時に、


「先生に任せるしかない、私の出番じゃないんだ」


とも思い、でも心の隅っこで、


「これが最後なんてことはないよね…?いや、ないない。」


と言い聞かせながら、言われた待機スペースに向かった。

30mほど離れたその待機スペースに着いた途端、S先生が私に声をかけてくれた。



「こんなことはないと信じたいけど、でもいちおう、とにかくいちおう、もう一回戻っててっちゃんと最後に話ができないか聞いてみよう。この後すぐ挿管されるのは間違いないから、大丈夫だと思うけど、もう一回だけ声聞きに行ったほうがいいでしょ?」



と…。
私はすぐに



「はい、ぜひ。行きましょう!!」



と返事をして、2人で急ぎ足で戻った。

ICUの前には着くも、ドア一枚先の世界とはいえ、インターホンで呼ばないと誰も気づいてくれないし、もうすでに治療が始まっちゃってたら遅いけど…

S先生がインターホン越しに看護師さんに事情を話してくれた。

最初は断られたが、なんとかもう一度、一言だけでいいからてっちゃんに声をかけたいと必死に伝え、入れてもらうことができた。


病室の中にいたてっちゃんは、まだ身体を起こしたままで、機械の準備を慌ただしくしている何人もの先生や看護師さんに囲まれていた。


てっちゃんの横に立ち、左手を握った瞬間、涙が止められなくなってしまった。

泣いたらてっちゃんだって絶対不安になる…

そう思ったけど、ものすごい不安と焦りが、心と頭に襲いかかって、止めることができなかった。




「がんばってよ…」




と声をかけた気がする。

「がんばってる人に“がんばって”はよくない」と良く言うが、それどころじゃなかった。

がんばってもらうしかなかった。



突然泣き出した私を見て、てっちゃんは強く手を握り返して、



「大丈夫だよ。」



と、「そんな何泣いてんだよ」と少し鼻で笑いだしそうな声で言ってくれた。

本当に心からそう思っていたのか、私のために強がってくれたのか、私にはわからなかった。

てっちゃんに声をかけるために、パワーをあげるために戻ってきたはずだったのに、何も言えなかった。

手を握るのが精一杯だった。





その会話が私たちの最後のやりとりになった。





S先生は、てっちゃんの右手をグッとつかみ、


「いいか、てっちゃん。これからたぶん、てっちゃんは麻酔かけて挿管されて、意識もなくなる。でも絶対乗り越えろよ!!いいか、かなり大変かもしれないけど、大丈夫だから、絶対帰ってこいよ!!いいな!」


てっちゃんの目をしっかりと見て、力強く言ってくれた。

その勢いに、てっちゃんもしっかり先生の目を見て、


「はい、大丈夫です。」


と答えた。



あの時に、ちゃんとしっかり抱きしめてあげたらよかった。

絶対大丈夫だから、ずっと外で待ってるからね、って、てっちゃんが少しでも安心できるような言葉をかけてあげるべきだった。

もっとしっかり目を見て、言いたいこと言ってあげるべきだった。

せめて、先生に追い出されるギリギリまで、隣にいて手を握り続けてあげるべきだった。



でも、できなかった。

その場にいることすらも、もう限界だった。

早くてっちゃんの治療を始めてあげて、と無意識に思った気もするけれど、これ以上てっちゃんの前で泣いて、不安を増やさせちゃいけないとも思った気がする。

S先生に、


「もういい?大丈夫?」


と聞かれ、涙を止めることもできず、


「はい…。」


とだけ答えて、私たちは病室を出た。そんな状況になっても、それでもまだ現実感はなかった。

待機スペースに向かいながら、


「大丈夫。てっちゃん若いもん!」


と、S先生が励ましてくれた。
S先生がいてくれなかったら、私は本当にどうにかなっていたと思う。

この瞬間、私よりもっともっとどうにかなりそうだったのは、てっちゃんだったはずなのに…。


酸素マスクをつけながら二回も救急車に乗って、病院を3か所も回され、
急に大勢のドクターたちに囲まれ、
私は泣いているし、
S先生にはこれから挿管されると言われるし、
周りは英語でいろいろ言ってるし、
苦しいし…


訳わからなくて、怖くて仕方なかったのはてっちゃんだったはずなのに…。



ごめんね、てっちゃん。。。



待機スペースに戻って、深呼吸をして、少し心を落ち着かせた私に、S先生は、


「てっちゃんのご両親や、ボスにももう一度、電話をして状況を伝えた方がいいかもね」


と声をかけてくれた。



頭も心も、状況に追いついていなかった私は、
そこで改めて、事の重大さと、私がすべき役割と、
そして、てっちゃんの家族が感じるであろう不安の大きさに気づいて、また一気に動揺した…

そんな記憶がある。



2016年7月18日月曜日

ドイツに着きました。


体調を崩した。

微熱とか咳とか頭痛とか、そんな程度だけど、
この半年で数回。

やっぱり免疫力も体力も落ちていることを感じる。


昔から、風邪をひくことも一年に一回あるかないかぐらいだったし、
チャールストンにいる間なんて、ほとんどなかったから、心も滅入る。

そして、てっちゃんのことをまた想う。



てっちゃんもあの時はこれぐらいの感覚だったんだよな…

でも実は、何かそれまでの風邪とは違う感じがあったのかな…

だからと言って、どうこう騒ぎ立てるタイプでもなかったしな…

よく考えたら、チャールストンにいた2年半、高熱を出したのはあの時ぐらいだったかな…



そして、そのまま、またどんどんと淋しさが襲って来たり、会いたくて仕方がなくなったり、
何とかその苦しさから逃れようと、てっちゃんがケラケラ笑っていた顔を思い出してみたり…

ひたすらそれの繰り返し。



てっちゃんは今どこにいるのか。。。


あの世だ、と言われればそれまでだけど、

てっちゃんの存在というか、私を包み込む空気みたいなものを強く感じる時もあれば、

欲しても欲しても感じれない時もある。

空を見上げると、身体のまわりにある黒い分厚い壁がふーっと一枚剥がれていくように感じる時もあれば、
雲が動いているのを見ることすら、自分は何かに置いていかれているような気がして苦しくなる時もある。



姉のいるドイツで3週間ほど過ごす。

空気も、景色も、人も、言葉も、全部違う場所で過ごしてみる。


溢れ出る涙も、

素直に笑える瞬間も、

美しいと思う景色も、

寂しいと思う心も、

眠れなくて苦しい夜も、

おなかがすく自分も、

その全てを肯定も否定もせずに、その時の自分にできる形で受け止めていくしかない。


そして、そのすべてを受け止めてくれる姉家族たちに思いっきり甘えよう。



てっちゃんがいてくれたら…と思う気持ちも、止まらないから止めない。



2016年7月9日土曜日

本当にもう会えないのかな。



答えはわかっている。

誰に結論を求めても、同じなのもわかってる。


でも、ふと…ふとだけど、本気で思う。





本当に私は、この先ずっと、てっちゃんに会えないんだろうか。。。。





あの時を全部目にしていたけど、

自分の身をもって心臓の音がしなくなったのを確認したのだけれど、

目の前にはてっちゃんの遺骨が入った骨壺があるけれど、

その遺骨を収めたのだって私なのだけど、



それでも、まだ、あまりにすべての感覚が鮮明過ぎて、本当の淋しさすら味わっていないんじゃないかとも思う。


「そりゃ当然だよ。」


と言われれば当然だし、私がこんなんだったら、周りのみんなが「信じられない」のはもっと当然なんだろうなとは思うのだけれど…


これも一つのグルグル。


てっちゃんの声も、
寝顔も、
勢いよくご飯食べる姿も、
肌の感触も、
髪の質感も、
腕の太さも、
肩幅も、
体温も、
匂いも、
何もかも…


まだ全部全部覚えているのに。


てっちゃんも、まだ全部覚えてくれてるよね。私の全部。



アメリカから戻って以来、てっちゃんには私の家に一緒にいてもらった。
来週から、お姉ちゃんのところに私がしばらく行くため、てっちゃんには実家に帰っていてもらう。


行ったり来たり、振り回してゴメンね、てっちゃん。

お父さんとお母さんとゆっくり過ごしてね。


でも、ちゃんと毎日私にも連絡してよね。




2016年7月5日火曜日

あの時のこと。1月18日。2つ目の病院にて。



2016年1月18日、月曜日。2つ目の病院にて。





受付で、「今運ばれてきた患者の家族だから中に入れてほしい」と伝えたのに、

少し待つように言われた。

10分ぐらい待たされただけだったと思うが、ものすごく長く感じた。



てっちゃんがいる病室に案内された時には、

てっちゃんはベッドの上で上半身を起こした形で寝ていて、

酸素マスクをつけ、点滴が一本始まっていて、心電図が取り付けられていた。



モニターに出ていたバイタルは、

血圧も90台、酸素飽和度も相変わらず80台だった。

心電図の波形を、私はパッと読み取れなかった。




「遅くなってゴメンね。すぐ入れてくれなかった。どう?少し違う?」




てっちゃんの手を握りながら聞いた。

“う~ん、別に。”というかんじで首を横に倒して、楽になった様子はやっぱりなかったけど、

てっちゃんもしっかり私の手を握ってくれていた。



担当の看護師さんは、酸素飽和度があがってこないことに首をかしげていたが、

そこまで慌てているような雰囲気ではなかった。

てっちゃんはそんな看護師さんの様子を見て、

さっさと治療を進めてくれない状況に少しイライラしているようだった。



てっちゃんが少し寒そうにしているので、

廊下に出て看護師さんを呼び、毛布か何か借りれないか聞いてみた。




病室を出たり入ったりの看護師さんに、状況を聞いてみても、



「今Drの指示を待っているんだけど…。なんで(酸素)あがってこないのかしらね。」



とだけ言われた。


不整脈が出ていたからだと思うが、胸が痛いなど他に症状がないか、

看護師さんは何度もてっちゃんに聞いていたが、

てっちゃんの自覚症状は呼吸困難だけだった。



しばらくすると、呼吸器専門の技師さんが来てくれて、

BIPAP(非侵襲的陽圧人工呼吸器)での治療を始めると言ってきた。




てっちゃんにとっての地獄は、むしろそこからだった。




それまで、自分なりのリズムで


「ふぅーふぅー」


と息を吐きながら、呼吸を整えて保ってきたのに、

人工呼吸器での治療になると、マスクから強制的に圧をかけて酸素が送り込まれるため、

自分のリズムで呼吸ができず、それがとにかく苦しいと、必死に私に訴えてきた。



断続的に酸素が送り込まれるため、自分から話を出来る状況ではなかったが、

あまりに苦しそうなので、



「苦しい?大丈夫?でも酸素あがってくるまで耐えないと。」



と腕をさすりながら励ましたが、それでも首を横に振るので、

さすがに見かねて、少しマスクを浮かせてあげた。

そうすると、



「マスクする前の方がよっぽど楽なんだけど、1分だけでも休憩できない?口も乾くし最悪。」



「早く針さして空気抜いてくれればいいのに」



と訴えてきた。


てっちゃんはこのときもも気胸を疑っていたようだった。

酸素だけがどんどん口と鼻に送り込まれていたため、

唇も渇ききって、口の中もカラカラになっているようだった。






看護師さんや技師さんは、外で忙しそうにしていたが、

てっちゃんが苦しそうにしているのは見ていられず、直接呼びに行って、

せめて口の中を少し潤してあげられないか聞いた。



口腔ケアに使うスポンジ付のスティックと水を少量くれたので、マスクを少し上げて、

口の中を濡らしてあげた。

マスクをあげてあげた時に、少しでも自分で能動的に息を吸えるようにと、

口をマスクの脇にずらして、必死に呼吸していた。

何度も首を横に振って、人工呼吸器での治療を中断したいと訴えてきた。


あまりに苦しそうで、何とか必要性をてっちゃんに伝えながら、

でも、てっちゃんの苦しさが紛れるならという想いも正直あって、私も耐えきれなかった。




ただ、なんとか耐えたおかげで、酸素飽和度は改善してきていて、

98~99%とほぼ正常まであがってきていた。

でも血圧は相変わらず低かった。


自覚症状を本人に聞く看護師さんに、

てっちゃんはマスクのせいで話しにくい中、英語で答えようとしているので、



「日本語でいいよ。私が伝えてあげるから。」



と伝え、少しでもてっちゃんの負担を軽くするために必死だった。

てっちゃんは、


「少し(良くなった)。」


と、酸素飽和度があがってきて、少し楽になった気もすると教えてくれた。






そんなこんなをしているうちに、救急車で運ばれてから1時間以上経っていただろうか。

S先生が病院に駆け付けてくれ、病室に入ってきてくれた。





モニターを見た瞬間、先生の表情が固まった。



簡単にてっちゃんと言葉を交わし、

すぐにナースステーションに行って、自分がA病院のドクターであることも伝え、

現状や治療方針について、担当の看護師さんに確認しに行ってくれた。



そんなことが許され、かつそれに病院側のスタッフが対応してくれていたのに驚いた。

日本ではありえない光景だった。



そのまま何となく私を病室の外に呼び出し、こう教えてくれた。




「はっきり言うよ。状況はかなり良くない。正直言って、この先いつ心停止してもおかしくないよ。」





驚いた。ショックだった。


でも、まだ現実感がなかったのか、それなりに冷静だったと思う。




「たぶんB病院に移って、挿管もして治療を急がなきゃいけない。

今その手配をしているみたいだけど。」




そのとき入っていたC病院も、ちゃんと設備も揃っているし、

それなりの規模がある病院だと思っていたから、



「えっ?また転院?」



とは思ったが、事の重大さに気づいたような気持ちの一方で、

自分がしっかり状況を把握しなければ…という想いに駆られて、涙は出なかったと思う。

そんな心の隙間もなかった気がする。




S先生に


「てっちゃんの上司に連絡した?」


と聞かれ、初めてそういったこともしなくてはいけない状況なことに気付いた。

てっちゃんの上司とは、家族ぐるみでお世話になっていたので、すぐに私から連絡した。

ただ、動揺していたのは事実だったので、状況を正確に伝えてもらうために、

英語の流暢なS先生に説明をお願いした。




てっちゃんが心配ですぐ病室に戻り、また口を濡らしてあげたり…を繰り返した。

またすぐ転院しなきゃいけないらしいことを伝えたが、

てっちゃんは特に動揺した様子もなく、ただうなずいていたと思う。



少しすると、また救急隊員が来てくれて、搬送の準備が始まった。

私たちはやっぱり救急車に乗れないらしく、私とS先生はうちの車でB病院に向かうことになった。



S先生は奥さんと車できてくれていたようで、奥さんが車の中で待っていてくれた。



「朝から何も食べてないでしょう?これ、時間あるとき食べて。」



とおにぎりやお茶をもたせてくれた。

そのとき初めて、すでに昼を過ぎていることに気付いたが、空腹を感じる余裕などなかった。



B病院には、前に知り合いが入院していたことがあり、

救急の入り口や病棟への向かい方など、なんとなく知っていた。




こんな状況なのに、てっちゃんと一緒に救急車に乗ってあげられないのが、

嫌で仕方なかったけど、でも、とにかく何より、


“今ここで何もしてあげられないなら、次の病院に早く行って先に着いて待っててあげなきゃ”


と思って先を急いだ。


車の中で、S先生にこの先予想されることを教えてもらいながら、

前日、前々日のことを詳しく説明したりした。


「B病院に着いたら、おそらくICUにすぐ入って、すぐ挿管になると思うから。」


ともう一度教えてもらい、急に心臓がどきどきした。





2016年6月29日水曜日

あの時のこと。1月18日。救急クリニックにて。




2016年1月18日、月曜日。




この日から、私たちの人生は様変わりした。


一瞬一瞬についていくのに必死だった。





救急外来の駐車場に着いた。


てっちゃんの腕を抱えながら、歩いて建物の中に入り、受付を済ませた。

Sさんから、大学病院の救急に行くより待ち時間も短いはずだからと言われていたが、

私たちの前に3人いると言われ、椅子に座って待つように指示された。


少し焦った様子を感じたのか、



「先生は二人いるから、うまくいけばそんなに時間はかからないと思うわ」



と教えてくれた。



病院に着いた安心感もあったのか、辛くなってきていたのか、

てっちゃんの口数は減ってきていた。一つ言っていたのは、



「気胸とかそう言う感じじゃないかな。外科的にさっさと診ちゃってほしいんだけど。」



ということだった。



てっちゃんの方が冷静だったのかもしれない。

その時点で、私にできることは、

てっちゃんの手を握って、ゆっくりしっかり呼吸するように促すことしかなかった。



30分ぐらい待たされたと思う。



名前を呼ばれ診察室に入ると、

てっちゃんは、診察室内にあった簡易ベッドに倒れこむように横になった。




正直私はビックリした。



てっちゃんがしんどそうだった。



1分前までのてっちゃんは、本当は相当耐えていたんだと、

その時のてっちゃんを見て私は改めて気づいた。




すぐに、看護師さんが血圧と血中酸素濃度を計りはじめてくれたので、

その間に、ここ数日の状況を必死に説明した。

そして、もう一つの衝撃が目に入った。





酸素飽和度……82%。。。。





えっ、ウソでしょ。





そう思った。



血圧もとれない。。。




低すぎるんだ。




経験があるというには少なすぎる経験だったけど、

でも働いていた頃に担当になった呼吸器の患者さんでも、

そこまで落ちることはなかったし、

(もちろんそこまで落とさないように管理はしているのだけど)

正直、さっきまでのてっちゃんを見ていて、そんなにも状態が悪いと全く思えていなかった。




私たちの想像以上のことが、てっちゃんの身体に起こっているということを


私はその瞬間に突き付けられた。




すぐに看護師さんが、規模の大きい病院への救急搬送の指示を出してくれ、

救急隊もかけつけてくれた。


一瞬の間に、状況が一変して、緊急事態にのまれ、私は一気に慌て、動転していた。




てっちゃんが働く大学病院(A病院)のすぐ隣にある、

もう一つの大きな病院(B病院)に行くのがいいのではと看護師さんに言われ、

私は言われるがままに指示に従うしかなかった。




「救急車に君は乗れないから、車で救急車についてくるか、病院で合流できるか?」




と救急隊員に言われ、指示に従った。


てっちゃんは、やっぱり横になっているのは苦しかったようで、身体を起こしていた。




「大丈夫だからね!!次の病院でちゃんと待ってるから。」



それだけ伝えて外に出ると、救急隊員から、




「B病院に行くよりC病院の方が近いけど、どうするか?

とりあえず一旦C病院に行って、状況をしっかり把握した方がいいかもしれない。」





そう言われた。




「C病院でいい。とにかく急ぎたいから。私は自分の車で救急車についていく。

でも病院の場所はわかるからはぐれても大丈夫。」



と返事をした。



てっちゃんのカバンと持っていた水分だけを抱え、自分の車に急いだ。



かなり気持ちが慌てはじめているのに気が付いて、大きく深呼吸をしたが、

車を出したときには、さっき「後ろをついていく」と救急隊員に言ったことが

すでに頭から飛んでいて、



“とにかく次の病院に急いで、てっちゃんが着いた時にいてあげなきゃ。”




と救急車がまだ発車準備をしているのを横目に、先にクリニックを出発していた。




朝電話をしたSさんの奥さんに電話をして、状況を話した。

S先生をC病院に行かせるようにする、と言ってくれたので、ひとまず電話を切った。




C病院までは救急のクリニックから車で5分ほどのところだった。

C病院のすぐ近くまで来て、自分が救急車より早く出てきてしまったことを思い出し、

救急車にも追い越されていないことに気づいた。



よく考えれば、救急車がわざわざ私の居場所を気にすることなんかないはずなのに、なぜか、



“私が後ろにつくのを待っていたらどうしよう。てっちゃんの治療が遅れる”



と思った私はクリニックに戻っていた。

結局、もちろん、救急車はすでに出ていて、もう一度C病院に着いた頃には、

てっちゃんはもう救急外来内の病室に運び込まれていた。


あの時のこと。1月17日。


2016年1月17日、日曜日。




この日あたりからのことは、もちろん覚えてるけど、少しずつ時間軸にずれがあるかもしれない。


朝にはたしか、てっちゃんの熱もほぼ微熱程度になっていて、

でも倦怠感が残っていたのもあり、

午前中は2人でベッドの上でゆっくりしていた。




もともと薬を飲むのが好きじゃなかったてっちゃんは、

熱が下がってきた時点で、解熱剤以外の薬を飲む気は全くなかった。


水が飲めずにゲータレードに変えて以来、多くはなかったけど水分は摂っていた。


ただ、相変わらずトイレの回数は少なかった。



何の危機感もなかった私たちは、熱が下がってきている時点で、

だいぶ回復傾向にあると思っていた。



普段から、土日もどちらか一日は、実験の調整や論文書きのために職場に行っていたので、

2日まるまる休まなくてはならなくなりそうで、少し悔しそうというか、困っていた。





腰が張ると言っていたのは、この日の昼頃だったかな…。

記憶があいまい。

金曜の夜から、ほとんどベッドで寝たままだったから、


「寝過ぎで身体がこわばっちゃったかな…」


なんて言いながら、


基本的には肩こりとか腰痛とか全くない人だったけど、

ここ1~2年は、首が疲れるなんてこともときどき言っていたし、

あまり深く考えずに、簡単にマッサージしてあげてみたり、

湿布を貼ってみたりして様子を見てみた。



食欲は相変わらずなくて、特に何も食べていなかったと思う。

というか、覚えているのは、てっちゃんが最後に食べたのはうどんだったな…と、

あとで病院で思ったことだから、つまりこの日は何も食べていなかったんだと思う。





夕方になって、ノソノソとベッドからリビングに出てきて、


「気管支にきちゃったかなー。」


と、気管支あたりに違和感があると言い出した。


咳をするわけでもなかったけど、

私もよく、風邪の終わりごろに気管支に症状が移ることがあったから、

そんな感じだろうと思っていた。



てっちゃんも、


「最近はあんまりなかったけど、昔はよく風邪の後に気管支やってたからな~。それかな~。」


と話していた。



今改めて考えてみると、

そこから、どれぐらいの時間をかけて、どれぐらい症状が変わっていってたのか、

はっきりしない。

本当に徐々に徐々に、という状況だった気もする。


てっちゃんが言っていたのは、



「なんかちょっと息が吸いにくい感じ。」



だった。


たぶん、

息が吸いにくいからと言って、呼吸数をあげすぎてもしんどいから、

という意識だったんだと思うけど、

その分意識的に息を吐いて、たくさん吸えるようにしている…

というかんじだった。



1月で部屋の中も乾きやすかったから、枕元に濡れタオルを置いて湿度を保つようにしてみたり…


温めた塗れタオルを口に当てて、乾燥による症状の悪化がないようにしてみたり…


数日前に何かのノリで2人で楽しんでいた足つぼマッサージを、ネットで調べ直して、


“胃腸”と“気管支”の部分を押してみたり……



それぞれ、効果も長持ちはしなかったけど、やってみると一時的にでも、




「ちょっといいかも。」


とか


「楽になったかも。」



とか言ってくれてたから、いろいろ試してみた。



てっちゃんも私も、もともと手足が冷えやすいタイプだったし、1月の寒い時期だったし、

あまり驚かなかったけど、でも足が冷たかったから、

私が自分で時々やる足湯を勧めてみたりもした。

(今考えたらこれも、心不全の兆候で全身の血流量が下がっていたんだろうな、とひたすら後悔)




たしか、そんなこんなをしていたのが、

夜の10時とか11時とかだったと思う。

ハッキリはしないけど…。




病院に行くことも考えた。


でも、日曜日の、しかも夜中…。




てっちゃんが働いていたのが大学病院ということもあり、

夜間救急で行くのは、その大学病院、という知識しか、正直私たちにはなかった。


日本でいう、いわゆる夜間診療をやっている町の診療所とか、個人のクリニックとか、

そういうものがあるのか、どこにあるのか、どんなシステムなのか、全く知らなかった。


そして何より、


「アメリカで夜間救急なんてかかったら、それだけで100万円ぐらいはとられるよ。」


という話を聞いていたこともあったし、

アメリカでの病院受診には相当の抵抗があった。



しかも、その時にはまだ、それが最悪な状況の前兆だなんて考えてもいなかったから、

大金を払う覚悟で行って、大した治療もされずに帰されるかも…

という気持ちも、抵抗感をあげていたのを覚えている。



てっちゃんの症状は相変わらず、ちょっとよくなってはまた戻り…を繰り返していた。





夜中の2時ぐらいになると、横になっている方が苦しくなって、

椅子に座っているか、立っていることが多くなった。

背中から腰のあたりをマッサージがてら、さすってあげると楽になるというので、

座っているときはひたすらそれを続けた。



気管支だけの問題じゃないんじゃないか…とは思ったけれど、


「心不全」


という言葉が頭に浮かばなかった。。。


何かおかしいと思ったけれど、そもそもの判断が足りてないことにも気づかなかったし、

それ以上に何かを考えることもできなかった。

今だから冷静に振り返ることができるからかもしれないけれど、

まさかてっちゃんの身にそんなことが起こるなんて思っていなかったからかもしれないけど、



本当に情けない。






夜中3時過ぎだったと思う。


てっちゃんが、


「寒いし、やっぱり湿度が必要な気がするから、お風呂ためてつかってみるわ。」


と、言い出して、お風呂に入った。


その間、私はベッドで少しウトウトしていた。


少し経ってあがってきたてっちゃんは、



「気持ちは良かったけど、やっぱりあんまりよくならないわ。」



と、少ししんどくなってきたようだった。


だんだん危機感が強くなってきた私は、

何も具体的な対策が取れなかったので、

ネットで心当たる疾患を調べていくことしか、もはやできなかった。




「朝になっても変わらなかったら、やっぱり病院に行こうか」




と2人で話した。




「朝になったら、S先生に電話して、この状況で大学病院の救急に行くのがいいか聞いてみよう」



と。



S先生は、日本人のDrで、アメリカでの臨床勤務歴も長く、

普段から本当にお世話になっていたし、

何か困ったことがあったときには、前からいろいろ助けてもらっていた。




朝まで待ってみたけど、やっぱり状況は変わらなかったから、

早朝ではあったが、失礼を承知でS先生に電話をした。



電話で、簡単に金曜の夜からの状況を説明している間に、

ベッドに横になっていたてっちゃんが、慌てた様子で飛び起きて、口を押さえているので、



「あ、戻しそうなんだ」



と瞬間的に思って、すぐ近くの洗面所にあったバケツを電話しながら渡した。


まる一日以上何も食べていなかったし、摂っていた水分量も減っていたので、

胃液以外何も出なかったが、



「ちょっとスッキリしたかも。」



と、呼吸も一時的に楽になったような顔を見せた。



結局、アメリカには救急外来だけを受け付けるクリニックのような施設があることを、

S先生に教えてもらい、近くにある場所を検索したら、車で5分のところにあった。



クリニックに行った先で、状況を英語で説明できるか?と心配してもらったが、



「とりあえず2人で行ってみて、困ったり何かあったらまた連絡します。」



とだけ話して、すぐに必要なものだけ持って出発した。



出かける直前に、なぜか直感的に、てっちゃんの脈をとった。

うまく脈がとれず、「あれ?」と思ったが、少し慌てはじめていたのもあり、

あまり深く考えずにとにかく家を出た。



てっちゃんは苦しそうではあったが、

相変わらず深めの呼吸を意識しながら自分のペースで呼吸していて、

自分で上着を着て、歩いて駐車場に向かっていた。




シートベルトが身体を締め付ける感じが嫌そうではあったが、

きれいに晴れた空を見て、



「久しぶりに外出た感じだわー。太陽が眩しい。」



と簡単な会話はしていた。




行った先で、どんなことが待っているのか、

少し慌てはじめている(救急受診に緊張している)自分も感じていたけど、

でもてっちゃんを支えなきゃと思って、多少冷静を装った。




2016年6月25日土曜日

てっちゃん、この曲好きかな…。


宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」



宇多田ヒカルは、てっちゃんが好きだった歌手の一人。

一番好きだったのはアルバム曲の



「DISTANCE」



だって言ってた。


歌詞の意味とかにはあまりこだわらないタイプで、

メロディとか声とかリズムとか、そういうのが好きだったみたい。



音楽の趣味と映画の趣味は、全然合わない私たちだったけど、

結婚式で流すBGMは、全然もめずに決めることができた。


アメリカで結婚生活を始めてからは特に、

好みが合わないものに関しても、てっちゃんはいつも、



「しのが好きな方でいいよ」



って言ってくれた。


車の中で聞く音楽も、一緒に乗っている限りは私の好きな曲。


それで私がノリノリに歌ったり踊ったりしているのを見るのが楽しい、


そう言ってくれる最高に優しい人だった。



バラード系の曲にはあまり興味がなかったみたいだから、

この曲もてっちゃんが聞いたら、


「う~ん」


って言うのかなとも思うけど、


でも、今の私の気持ちにはすごく近い。



「…今あなたに聞きたいことがいっぱい…」



…ホント、てっちゃんに聞きたいことがいっぱいだよ。



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夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻れない
さっきまで鮮明だった世界 もう幻

汗ばんだ私をそっと抱き寄せて
揺れる若葉に手を伸ばし
たくさんの初めてを深く刻んだ


あなたに思い馳せる時
いつになったら悲しくなくなる
教えてほしい


今日私は一人じゃないし
それなりに幸せで
これでいいんだと言い聞かせてるけど


勝てぬ戦に息切らし
あなたに身を焦がした日々
忘れちゃったら私じゃなくなる
教えて 正しいサヨナラの仕方を


誰かに手を伸ばし
あなたに思い馳せる時
今あなたに聞きたいことがいっぱい
溢れて 溢れて


木々が芽吹く 月日巡る
変わらない気持ちを伝えたい
自由になる自由がある
立ち尽くす 見送りびとの影


思い出たちがふいに私を
乱暴に掴んで離さない
愛してます 尚も深く
降り止まぬ 真夏の通り雨


夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻れない
さっきまであなたがいた未来
たずねて 明日へ

ずっと止まない止まない雨に
ずっと癒えない癒えない渇き
降り止まぬ 真夏の通り雨


夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻れない
さっきまであなたがいた未来
たずねて 明日へ


ずっと止まない止まない雨に
ずっと癒えない癒えない渇き



*I quoted this translation from someone's page on the internet.(英訳はネット上に出ていたものを引っぱってきました)

I wake up halfway through dream
And I can't return even if I close my eyes
A lucid world I saw just now, is already a phantom
I got sweaty all over my bodyand you gently embrace meYou were the one who deeply engravedso many first experiences into my heart I reach out my hand to those swaying new leaves
Time when I entrust my feelings to youPlease tell me
when will I no longer feel sad about that? 
I'm not alone todayI feel happy like thisI'm fine this wayI say that to convince myself, 
but My breath runs out in this battle I can't win I feel like I would no longer be myselfif I ended up forgetting all the days when I was yearning for your love Please tell me the proper way to bid farewell to you 
Someone reaches out their hand to meTime when I entrust my feelings to youRight now, there are so many questionsI want to ask you,They keep spilling and overflowing
Trees start to bud, time passesI want to convey my never changing feelingsFreedom is here in order to be free Those shadows of people who seeing someone departs are standing 
Suddenly, memories violently grasp meand won't let me go I'm loving you, fall even deeply in love with youThe unceasing rain shower of midsummer 
 I wake up halfway through dreamAnd I can't return even if I close my eyes A future
where you were there just now,I'll search for it to the tomorrow 
In the midst of never-ever ceasing rainMy thirst will never-ever be quenched The unceasing rain shower of midsummer 
I wake up halfway through dreamAnd I can't return even if I close my eyes A future
where you were there just now,I'll search for it to the tomorrow  
In the midst of never-ever ceasing rain My thirst will never-ever be quenched

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2016年6月21日火曜日

5ヶ月が経った。


5ヶ月もの時間が経ってしまった。。。

5ヶ月。。。


てっちゃんと結婚式をあげたのが、
去年の8月22日。


それからてっちゃんがいなくなっちゃったあの日まで、二人で最高に楽しい時間を過ごした時間よりも、一人でいる時間のほうが長くなっちゃった。


こうやって、私は一人で、

てっちゃんのいない世界で、

一日一日をまだ生きなきゃいけなくて、

一緒に暮らした時間よりも長く、

入籍して同じ姓を名乗って過ごした時間よりも長く、

一緒に寝た回数よりも多く、

てっちゃんと思い合って過ごしたあの10年より長く、

きっと生きなきゃいけないんだ。



昨日夢に出てきてくれたおかげで、

てっちゃんを感じれたおかげで、

精神的にはそれなりに落ち着いて過ごせた一日だったのに、

結局こんなことを考えて一日を終える。



このまま一気に年とっちゃえばいいのに…

そしたら、少しでも早くてっちゃんにあえるかもしれないのに。

って、心から思う。



おやすみ、てっちゃん。

明日は大雨なんだって。大雨につられて気持ちもどしゃ降りになりませんように、ちゃんと近くにいてよね。



2016年6月20日月曜日

早く寝ないと…



考えれば考えるほど怖い。

振り返れば振り返るほど、罪の意識にはまっていく。

調べれば調べるほど、あの時の症状はやっぱり見逃してはならないものだったんだと思えてくる。

たかが3年半とはいえ、医療の現場で働いていた自分なのに、自分の旦那の具合が悪い時に、役に立つ頭が何もなかった自分が恐ろしく、みっともなく、情けないとしか言いようがない。


でも、考えることも振り返ることもやめることが出来ない。


誰か、誰かお願いだから、てっちゃんを呼んできてください。
誰でもいいから、私をてっちゃんの所に少しの間だけ連れて行ってください。


てっちゃんがいなくなって2ヶ月ぐらいの頃にもよく思っていたけれど、
最近また心から思う。


もうそろそろ本当に、てっちゃんに会えないこの生活が限界。


遠距離は3年ぐらいしてたけど、でも4ヶ月毎ぐらいには会ってたから…。


寝る前の寂しさも、朝起きた時の虚しさも、遺影を眺めるのも、もう一人で十分やったよ。

そろそろもういいよ。



2016年6月16日木曜日

歌詞の力を借りてみる。



自分の気持ち、感情、今の状況、死別のこと、

自分なりに理解しようと思って、本を読んでみたり、テレビを見てみたりしている。


歌を聴くこともその一つ。


聞きながら涙が溢れてくることもわかっていながら、

でも、うまく言葉にならない自分の気持ちを代弁してくれてる気がして、心がスッとしたりもする。


そんな歌詞を書き留めておくのも一つかな。

他にもたくさんあるので、少しずつ書き出していこうかな。




お姉ちゃんが、自分も聞きながら涙してる、と教えてくれた歌。




平井堅の「アイシテル」




聞いたことはあったけど、今の気持ちそのまま。






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ねぇどこにいるの?
君の声を聞かせてよ
届かない願いでも
僕は叫び続ける 愛してる


ねぇ 聞こえてるの
僕の声が 僕の歌が
こぼれない涙でも
体中が泣いてる


出会った日
僕の目に映る君は
愛のカタチをしてた


この胸がちぎれて
心えぐり取られ
それでもいい 抱きしめたい
髪に指に頬に まつ毛に唇に
もう一度だけ 触れていたい
この手は君を抱きしめる為だけに
きっとあるから


ねぇ たとえ君が
色を失くし 夢になっても
忘れない 消せはしない
体中に刻んだ


重ねた日
「アイシテル」と動いた
唇を追いかけて


この夢がちぎれて 愛を奪いとられ
それでもいい 抱きしめたい
壊れた微笑を 触れぬ唇を
取り戻してあたためたい
こぼれる君を受け止める永遠に
綺麗なままで


「アイシテル」と言って「愛してる」と言って
もう一度だけ 抱きしめたい
髪に指に頬に まつ毛に唇に
もう一度だけ 触れていたい
この手は君を抱きしめる為だけに
きっとあるから


ねえ どこにいても
君の声は聞こえてるよ
届くまで叶うまで 僕は叫び続ける
愛してる

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2016年6月15日水曜日

絶望…それ以外やっぱりわからない。


あの時のこと、少しずつ思い出しながら書き出してみてるけど、ちょっと息がもたない。


書きながら、振り返りながら、またいろいろな想いが頭を巡る。


友達にも、親にも言われた。



「志野は頭で先にどんどん考えちゃうから。」



自分を肯定しようとする気持ち。


責める気持ち。


でも、やっぱりあの時の自分はあれで精一杯だったのが全て。


でも、私の目の前で、私の大好きな人が、一番大切な人がいなくなってしまって、

そこに「やりきれなかった」想いがあると、それが膨らんで膨らんで、

自分がてっちゃんを見殺しにしてしまったんじゃないかとすら思う。


なんであそこまで我慢したの、とてっちゃんを責める。


でも、その我慢だって私がさせたんじゃないかと思う。


こんな全てを自分の中で処理するなんて無理だよ、と誰かに怒りたい。


目の前にあるものを全て、何かに投げつけてやりたい。


こんな中でも動いていく世の中すべてが憎たらしい。


みんなそれぞれの人生があって、みんなそれぞれが悩みや苦しみを抱えている、

それはわかるけど、今はそれを自分の力に変えることができない。




身体が重いけど軽い、軽いけど重い。


頭はパンパン。


ときどき、自分が動いていること自体不思議に感じることがある。

あんなに何ともなかったてっちゃんが、たった数日で動くこともしゃべることも

何もできなくなっちゃった姿を目の前で見たからかな。


私が独りぼっちになってしまった寂しさももちろんすごく強いけれど、

てっちゃんを独りにさせてしまったということもすごく苦しい。

天国でおじいちゃんに逢えてると、あっちの世界を楽しんでると、思おうとする自分もいるけれど、

もしかしたら毎日こっちの世界を必死で呼んでるかもしれない。




てっちゃんと一緒に、てっちゃんと相談しながら、

2人の人生を歩んでいくと決めたばかりだったから、

それが楽しいと実感している真っ最中だったから、

急に一人で決めなさいと言われたって無理。



てっちゃんと話すこと、

てっちゃんとご飯を食べること、

てっちゃんと一緒に寝ること、

てっちゃんと一緒に出掛けること、

てっちゃんの奥さんでいること、

てっちゃんとの間に子供を作ること、

てっちゃんと一緒に子供を育てること、

てっちゃんと一緒に歳をとっていくこと、



それが楽しみで楽しみで仕方なかったから、その全てを突然絶たれたら、私には何もない。


その想いはきっとてっちゃんも一緒のはずだと思うと、絶望以外の何物でもない。



2016年6月14日火曜日

あの時のこと。1月16日。


2016年1月16日、土曜日。



夜からの熱が上がったり下がったりしていたけど、それでも38℃台だった。

発熱以外に、咳や鼻水などの症状は全くないと言っていいほどなかった。



午前中は良く寝ていたが、この日は、食欲が前の日よりなかったみたいで、


食べたいものを聞いても、最初は


「う~ん…」


という感じだったが、結局温かいうどんなら食べたいということになった。


てっちゃんは、無類のそうめん好きで、そうめんは日本から大量に持って帰ってきて

よく食べていた。だけど、温かいにゅう麺は好きじゃなかった。




近くのスーパーにうどんを買いに行き、お昼に食べさせた。

所詮、アメリカのスーパーに売ってるうどんで、おいしくはなかったけど、

1人前弱は食べてたと思う。



ただ、そのあたりから水を飲むのを少し嫌がるようになった。

トイレの回数も減っていた気がした。

前の夜から、汗もたくさんかいていたし、水だけはしっかり飲んでと言い続けていた。





結局、夕方になって、



「おなかに水が溜まっちゃってる感じがして気持ち悪い。ちょっと吐いてくるわ」



と言い出した。


昔から、お酒を飲み過ぎた時とか、気持ち悪い時は、

我慢するより意図的に出すことに抵抗はなかったタイプだった。


トイレから出てきたら、



「スッキリした。水(を飲む)はダメかも。ポカリがあったらいいのに…。」



と言っていた。


もどしてしまったこと自体は勿論心配だったけど、

前日のゾクゾク感とか、熱が高くて辛い、という様子はなくなってきていたので、

早く良くならないかな~と、

その週末が看病で終わってしまうのかと残念にすら、その時はまだ思っていたと思う。





アメリカでポカリっぽいもの。。。。と考えると、ゲータレードぐらいしか思いつかなかったが、

それも、真っピンクや黄緑の着色料たっぷりの甘いものしかないイメージだったので、

あまり飲ませたくなかった。


でも、脱水よりはマシか…と思って、またスーパーに戻った。


レモン味とか、ライム味とか、まだ比較的スッキリ感の強そうなものを選んで帰った。



「これなら飲めそう!」



と、気分が違ったようだったので、できるだけ水分は摂るように、変わらず促した。


熱もだんだん下がってきていて、

相変わらず横になったままゲームをしたり、

少し眠ってみたり、

たまに私とのお喋りに付き合ってくれたり、


そんなカンジだったと思う。



私はと言えば、もともと金曜にでも作ろうと思っていた餃子の材料があったので、

冷凍しておいて元気になったら食べてもらおうと思って、

餃子作りをしていた。


ベッドの上からも、キッチンの様子は見える角度だったので、

てっちゃんも私がせっせと作っているのに気づいたらしく、


「あぁ~餃子食べたかった~」


と、食欲はないのに言ってくれたので、


「元気になったらたくさん食べてね~」


と、キッチンと寝室の距離で話していた。



結局、その餃子を食べてもらうことはできなかった。

今まで以上に想いを込めて作ったのに、てっちゃんに手料理を食べてもらうことはできなくなった。




その日は、結局食欲が戻らず、でも夜遅めの時間になって、


「でもやっぱり少しだけ、またうどん食べようかな」


と言ってくれたので、少し味を変えて食べてもらった。


昼ほどは食べられなかったけど、食後に少しアイスを食べたりもして、

普段はほとんど甘いものも食べないてっちゃんだったけど、


「風邪の時のアイスっていいね。」


なんて言っていた。


「でしょ~?それが私の場合は、風邪のときに限らずなのよ~」


なんて冗談も言っていた。


パソコンでメールやFacebookをチェックしたり、ネットニュースを見たりして、気分転換していた。



だるさは残っていたみたいだったけど、熱の振れ幅も減ってきていたし、

連休中にはよくなってくれるかな…と見込んでいた。



てっちゃんの隣を離れない私を見て、



「これで、もしこれがインフルで、志野に移っちゃったら、次はちゃんと僕が看病してあげるからね。今だけゴメンねー。」



なんて、優しい言葉をかけてくれた。


その日も夜~夜中は寝たり起きたりだったけど、

次の日午前中はゆっくり眠れたようで、一緒にベッドの上で休んでいた。





2016年6月10日金曜日

あの時のこと。1月14日~1月15日。


このブログを始めた大きな目的の一つ。



あの日、あの時のこと、ちゃんともう一回、書き留めていかなくちゃいけないと思う。



てっちゃんの具合が悪くなってから、この世を去ってしまうその瞬間まで、

その全てを見ていたのは、


この世に私一人しかいない。


てっちゃん自身だって、挿管されてからの記憶はない。

というか、本人がどこまで憶えているのか、私は知ることができない。



本当に本当に悔しいことに、

本当に本当に申し訳ないことに、

本当に本当に一生かかっても後悔と自責の念は拭えないけれど、

てっちゃんの両親、お姉さん、お兄さんが近くにいられない状況で起きてしまったこの事実。



思い出せば出すほどに、自分を責める気持ち、悔やむ気持ち、怒り、空しさ、情けなさが

溢れてくるけれど、あの時のことは絶対に忘れちゃいけないし、


てっちゃんの大切な人たちに、ちゃんと伝える責任がある。


家族のみんなには、友達のみんなには、知っててもらう権利がある。


てっちゃんの家族にも、今まで、その時その時で伝えてきたつもりだけれど、

正直、どこまで、何を、伝えられたか覚えていない。


だから、もう一回ここに書き留めていこう。





てっちゃんのお父さん、お母さん、お姉さん、お兄さん、

親戚の皆さん、友達の皆さん、お世話になった皆さん、


ちゃんと伝えられていなかったことがあったらごめんなさい。


てっちゃんを守ってあげられなくて本当にごめんなさい。




てっちゃん、力足らずの私で本当にごめんね。


てっちゃんが、私の目の前からいなくなってしまう日が、こんなにも早く来るなんて、

どうやったって考えたことなくて、そりゃ考えるわけもないんだけど、


てっちゃんの身体のことも、

世の中に起こりうる病気のことも、

身体に関する自分の知識も、


とにかくすべてをなめていたんだ、私は。



てっちゃんの声や想いを聞くことはもうできないけれど、

私があの時どんな風に思っていたかだけでも、これを読んで知っててもらえるかな。

そして、いつか、いつかでいいから、てっちゃんが何をどこまで感じていたのか教えてほしい。






2016年1月14日木曜日、夜。


たしかその日は、てっちゃんは普段通り19時まで仕事をして、私がいつも通り大学まで車で迎えに行った。

車生活の毎日だったけど、一台しかなかったから、毎日送り迎えをしていた。


帰ってきて一緒にご飯を食べて、でも少し風邪っぽいかもというので、早めに寝るように言った。

夕飯は、いつもとほとんど変わらず、それなりに食べてくれていたと思う。




2016年1月15日金曜日。


朝、まだ身体のだるさが残っていたみたいで、

「熱が出そうな感じ」

と言いつつ、でも仕事を休むほどじゃないと思ったのか、朝仕事に向かった。

そんなふうにいうことは、今までもときどきあった。

1年前ぐらいから、仕事がどんどん楽しくなっていたようで、期待される部分も大きくなったし、

やりがいをたくさん感じていたし、(もともとだけど)ちょっとの風邪ぐらいじゃ休むこともなかった。


お弁当もいつも通りもたせた。ただ、心配だったから、別れ際に


「しんどかったら、今日はいつもより早く切り上げておいで。(ベビー)シッターが終わった足で迎えに来られるから」


とだけ言っておいた。


私は、アメリカに行ってから、英語学校に通いながら、

ベビーシッターや日本語の家庭教師の仕事を少しさせてもらっていた。

その日も、午後に一件シッターの仕事が入っていた。


お昼過ぎ、心配で、


「調子どう?早めに帰ってきたら?」


とメールを送ると、


「あんまりよくなさそう。お弁当も残しちゃった。」


そして、夕方近くになって、


「やっぱり今日は早めに迎えに来てもらえる?」



と返ってきた。


17時半頃迎えに行って、帰ってくると微熱。

おじやを作ったら、「美味しい」と言って、思った以上に食べてくれた。


その後、すぐベッドに入ったけど、夜、熱があがってきて、38.2℃まであがった。

薬は普段なかなか飲みたがらなかったけど、しんどいだろうと思って、解熱剤を勧めて、

簡易的に作った氷枕を気持ちいいと思うところにあてさせた。


仕事を休むのが嫌いな人だったから、2人で、


「今日が金曜で良かったね。週末ゆっくり休んで治さないとね。」


と話していた。

その週末明けの月曜日、アメリカは祝日だったため、そこから三連休の予定だった。

ただの風邪だと思っていた。


少しすると解熱剤が効いて、熱は下がり、てっちゃんも熟睡。


その後、上がったり下がったりを2回ぐらい朝まで繰り返した。


1月という、時期も時期だったし、


「インフルじゃないといいけどね~。38℃台だし大丈夫かな~。」


なんて、適当な話をのんきにしていた。


汗もたくさんかいていたから、面倒くさがるてっちゃんを無理やり着替えさせたり、

そんなことをしながら、夜を過ごした。

薬が効いて楽に感じた時は、携帯でゲームをしたりもしていた。



2016年6月8日水曜日

頭の中のグルグルを書いてみようかと思う。


ブログを始めてみることにした。


てっちゃんがいなくなっちゃって、もうすぐ5ヶ月。

最初の一ヶ月は、帰国の準備、葬儀の準備、そして葬儀、死因究明のためにアメリカとのやりとり、自分自身の検査、その他の事務的な手続き…

それが済んだと思ったら四十九日。

そしてまたアメリカに戻り、家の片付け、車の売却、確定申告の手続き、その他とにかくいろいろ、お世話になった方々への挨拶…



やらなきゃいけないことをやっていたら3ヶ月過ぎていた。


今考えてみると、良く動いたと思う、自分でも。
というか、そう自分を褒めたくなる程、逆に今は脱力感というか、何もしたくないし出来る自信がない。

いや、今だって、やらなきゃいけないこととか、やれと言われることがあればやっているのだけど。。。


頭の中を巡ることも変わったような変わっていないような…

さすがに直後は食欲もなかったし、体重も減った。
外を歩くのもふらついていた。歳をとって歩くのが遅くなった母親のペースについていくのも必死だった。


今は食べられる。急いでいれば早く歩くことだってできる。

でも、前よりずっと苦しい気もする。

心と身体がお互いどこを向いているのか全然わからない。

いや、わかっているというか見えているんだけど、苦しい。



とにかく、グルグルしている。

頭の中も

体調の変化も

気分も

他人へのうらめしさも

てっちゃんへの想いも


とにかく全部グルグル。


だから、ここに書き出してみる。


順序もまとまりも、何もないけど、


この5ヶ月思ってきたこと、

今思っていること、

あの時のてっちゃんのこと、

今までの私たちのこと、

これから描いていた私たちのこと、



とにかく書き出してみます。


グルグルしているけど、それでもわかっていることは二つ。



この現実は変えようがないこと

そして、

私はそれでも生きなきゃいけないこと



一番変えたいこと、やりたくないことだけど、それでもどうしようもないことなのはわかっている。



ここに書くことで、私が何を想っているかをわかってもらえたらいいなと思うし、

てっちゃんがどれだけがんばったのかをもっと知ってもらえたらいいと思うし、

私たちがどれだけ想いあっていたかも知ってほしい。



でも逆に、その中には、私が嫌だと感じたこと、苦しいと感じた出来事、私が勝手に感じている世の中への不満……

良いことばかりじゃない思いも書いてしまうと思う。



「結局この悲しみは本人にしか分かりえない」



という意味も身をもって感じてるから、世の中にも、時には周りの人たちにでさえ、諦めの心を抱いてしまう自分がいる。

本当に情けない。



ただ、私はまだみんなからの助けが必要です。


でも、いろいろアドバイスをもらっても、今は受け入れられない。


だから、ただこう言ってください。



「ずっと想っているよ」



それは、私のことだけでなく、てっちゃんのことも。



てっちゃん……

てっちゃんがもう一度私の前に現れて、私のことを抱きしめて、あの時何を想っていたのか、それを教えてくれさえすれば、それでいいのに。
ついこの前まで毎日していてくれたことを、もう一回してくれればいいだけなのに、
なんでそれが一番できないことなんだろうね。

てっちゃんのこと、みんなにたくさん話してしまうけど、許してね。
私がそっちに行ったとき、いくら怒ってもいいから。