てっちゃんが私のために何度も言ってくれていた言葉… 32歳、急性リンパ球性心筋炎で、具合を悪くしてたったの5日で逝ってしまったてっちゃん。最後、彼と何も話せなかった。 頭の中をグルグルする滅茶苦茶な想いを、とにかく吐きだしてみようかと思う。 <The title of this blog is the words My husband, Tetsuya often said to me...He was only 32 years old, passed away due to acute lymphocytic myocarditis. I could not talk with him enough after he felt sick. I will just write out my feeling and emotion that are stucking in my mind everyday.>
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2016年9月30日金曜日
今の私にはきつい
東京の人は冷たい、とか怖い、とかよく言うけれど、
よくわかる。
表面上の冷たさがにじみ出てる。
中身に関してはもちろんわからない。
もちろんそんなことばっかりではない。ありがたいこともたくさんある。
話せば優しい人、親切な人、控えめな人、明るい人、いろいろなんだと思う。
その中身が表にまで溢れ出てる人だってもちろんいる。
だけど、今自分がこんな状態だからか、世の中の人の表面上の冷たさがすごく突き刺さる。
急いでいるんだろうな、
疲れているんだろうな、
嫌なことがあったのかもしれないな、
今日は具合がよくないのかもしれないな、
そもそも、この人も私みたいに大切な人を最近失ったのかもしれないな、
できるだけ、私の一方的な偏見にならないように、相手だけが理不尽だとか酷いとか思わないようにしてるけど…
そんなにぶつかってこなくてもいいじゃん、
そんなに嫌そうな顔しなくてもいいじゃん、
そんなに「自分が当然」みたいにしなくてもいいじゃん、
私、今、結構きついんですよ。
外に出るとそこはそんな世の中、と思うと、出かけたくもなくなるし、前向いて歩くのも嫌になる。
なんで、私のほうがこの人に謝ってるんだろうって思ったりもする。
私が謝ったり、一歩引いたりするのはまだしも、それで我が物顔されるの、イラッとするよりも、悲しくなる。
私の状況知らないくせにって。
知らなくて当然なのに。
最近、やっと、店員さんとか心配りをしてくれる人に、ちゃんと愛想よくできるようになったとは思うけど…。
優しくいようとしてくれる人に、私もちゃんと応えられるようにはなってきたとは思うけど…。
少しずつ、少しずつ、前よりもそんな環境への対応の仕方を身も心も覚えてきた気はするけれど、でもやっぱりどこか、前向きなかわし方ではない。
心からは動けていない。
そんなふうになってる自分に気づくと余計に、私は変わっちゃったんだ、って思う。
あの時のような余裕、受け流せちゃう余裕はない。
そんな状況を「そんなもんなんだ」って、ポジティブに?あきらめることができない。
てっちゃんはこういうの、器用に割り切って、思考も行動も変えていくんだろうな。
何が言いたいんだろ、自分。
つまり、きついんだな。いろんなことが、今は。
考えすぎらしいんだけどさ。
そんな私を、てっちゃんがスッと、気楽に済ませられる人にしててくれたんだけどな。
2016年9月27日火曜日
ついてるって言ってた。
私の身体から、大切な大切な、一瞬にして大好きになった命が出ていってしまいそうになったとき、
出血が始まっちゃって、痛みがどんどん強くなってきていたとき、
前日から少量の出血はしていたから覚悟はしていたけど、やっぱり失いたくなくて、不安で不安で仕方なかったとき、
てっちゃんもすごくすごく不安そうだった。
でも、手をずっと握って、痛がる私の腰をさすって、痛みの波が落ち着いたときは、しっかり抱きしめてくれた。
赤ちゃんをあきらめなきゃいけなくなったとわかってからしばらくは、夜になると特に、出血に苦しんだ夜のことを思い出して、
あの痛みは苦しかったけど、その苦しさすらも、まだあの子が身体の中でもがいていた感覚すらも、感じられなくなってしまったその現実が淋しくて悲しくて、よく泣いていた。
そんな夜も、何も言わずにしっかり抱きしめてくれて、私が眠れるまで見守ってくれた。
子宮の形に問題があることは知っていたけど、改めて手術を勧められて、受けようか迷っていたとき、
手術をすれば、流産のリスクは半分ぐらいになることを聞いて、
「志野があんなに苦しむのは、僕できればもう見たくないよ。手術することで、次の妊娠が少し先になるかもしれないけど、それより志野の苦しむ姿見るほうが辛いよ。」
って言ってくれた。
だから、手術も受けた。
手術後、
「前から思ってるんだけど、僕って、ついてる方だと思うんだよね。志野もそうじゃない?僕はそう思うんだよね。何かと運がついてる。だから、絶対大丈夫だよ。焦らずいこう。」
そう言ってくれた事もあった。
だから、てっちゃんが病院で闘ってたあのときも必死にそう語りかけた。
「運がいいって言ってたじゃん。」
って。
病院の先生に、雷が人に落ちるぐらいあり得ない確率でしか起こらないことだって、不運でしかないって、言われた。
「運、変なところで使い切って来ないでよ」
「ついてるなら、こんなところでとまってないでかえってきてよ」
って、挿管されて、機械につながれて動いてくれない、目を開けてくれないてっちゃんに、必死に呼びかけた。
きっと、てっちゃんも、朦朧とする意識の中でそう思ってたよね?
私には、てっちゃんじゃないとダメなんだよ…。
この世にいる、いない。
人混みに出たり、人がたくさんいっぱいいるのを見ると、こんなにも人がたくさんいて、当然のように歩いていて、喋っているのに、
なんで、てっちゃんはこの世にいないんだろう、
なんで、こんなにこの人たちには当然のことがてっちゃんにはできないんだろう、
なんで、私は今ここにいるんだろう、
と本気で思う。
歩くことが不自由な人もいれば、話すことが難しい人もいる。
そんなみんなのんきな人ばっかりじゃない。
のんきが悪いわけじゃない。
でも、そういうことを考える以前の、本当に純粋なところで、てっちゃんの姿がどこを探しても見つけられなくなっているということが…それでもその世界に自分だけがいることが…本当に不思議で仕方ない。
ため息か涙しか出ない。
事故にあったり、津波にのまれてしまったりして、いまだに行方不明で、身体の確認ができないままに、その人がこの世を去ったと認めなきゃいけないことの辛さ、難しさは、全くもって別種のものだと思う。
そのことと比べることは私はできない。
でも、私にとっては、目の前でさっきまで一緒に話して歩いてたてっちゃんが、本当に一瞬で動けなくなって、喋れなくなって、それでもまだ命はある、息はしていると言われて、だからその姿に必死に話しかけ続けて…
でも、機械を止めただけで命もなくなったと言われる。
見た目は何も変わってないのに。
そのてっちゃんがたくさんのお花と一緒に…
まるでそのお花がてっちゃんとの別れを飾っているかのように、別れなんて全然する気がないのに…
たったの一時間ちょっとで骨になって出てくる…。
それが、あまりに淡々と、でもあっという間に、進んでしまったからなのかな。
何も悪くない周りの人を憎く思ったり、なんであなた達だけ…と思うことぐらいはやめられたら、少し楽になるのかな。
2016年9月24日土曜日
グリーフ
グリーフケアのグループや会に参加してみようかと考え始めている。
テレビを見たり、本を読んだりして改めてわかる。
同じように、旦那さんや奥さんを亡くした経験がある人の言葉や感情…
その人たちと会ったこともないけれど、やっぱりすごく共感ができる。
もちろん、私とは違う形で考えを進めていく人、もう少しポジティブに全てを受け止めようとしているように見える人、いろいろだけれど、でも「当事者」であることはハッキリわかる。
子供がいれば、てっちゃんという息子を亡くしたお父さん、お母さんの悲しみにももう少し寄り添えたかもしれないけれど、それは私には想像でしかなくて、今の私は自分のことで精一杯なのが正直なところで、実際は何もわかってあげられてないんだと思う。
だって、兄姉は私にもいるんだから、だからわかってあげられてもおかしくないはずの、てっちゃんのお兄さんお姉さんの気持ちにすらも寄り添えてないと思うから…。
どうなんだろ…
てっちゃんは、絶対そういうの行かないタイプだろうな。
試しに行ってみたら?と思うけど、動こうかと思うときに限って、心が負の波に飲み込まれてそれどころじゃなくなったりする。
2016年9月23日金曜日
こんな試練いらない。
神さまは、乗り越えられる試練しかヒトに与えないって聞いたことがある。
そもそも、神さまから試練を「与えられる」ってこと自体おかしいとも思うんだけど、もしそうだったとしたら、私は一生神さまを恨むと思う。
だって、神さまは、てっちゃんに乗り越えられない試練を与えたんだから。
乗り越えようと必死に戦ったってつぶされる運命にしたんだから。
与えられなくても、試練は自分で選びに行ってた私の人生に、絶対望むことのない試練を、しかもこんなタイミングで投げつけてきたんだから。
それでも、てっちゃんのあとを追っちゃいけないって、私までが逝ったら、それで悲しむ人がこんなにもいることを、てっちゃんの葬儀のときにも身に沁みて感じたから…
私のこの思いを他の誰にもこれ以上させたくないから…
だからがんばって生きてるのに、
越えたくもない壁を数え切れないほど越えてきたはずなのに、
それでもまだ、光も何も見えない。
2016年9月17日土曜日
てっちゃんの夢
てっちゃんのこと、
てっちゃんがいなくなっちゃったからってみんなに話したら、てっちゃん恥ずかしがるかな…
「そんなこと話すなよー」って嫌がるかな…
でも、きっと、みんなてっちゃんのこと大好きで、もっともっとてっちゃんのこと知りたいと思うんだ。
てっちゃんとお話できなくなっちゃったから、てっちゃんの代わりに、てっちゃんのこと話するの、許してくれる?
私のためにも…
こうすることで、てっちゃんとの思い出とか話したこととか、てっちゃんという存在を、私の中で整理していかれるように…
嫌だったらもう書かないから、夢で教えてね。
大学を出て、
薬剤師の免許を取って、
大学院に行って、
医学博士になって、
研究が好きで、それを仕事にして、
留学の夢を果たしてアメリカに行って、
自分が今後もっと進めたい研究の道を見出してきてた、てっちゃん。
そのために、これからどんなことが必要で、
どれだけの時間が必要で…って、
てっちゃんらしい頭の使い方で、現実的な形と方法を考えて日々を一生懸命進んでいたてっちゃん。
薬学部を出て薬剤師をとったのも、薬剤師免許を持っていれば、その先仕事に困ったときも食いっぱぐれずに済むだろうと思ったからって言ってたね。
「研究」という仕事が、
その一つ一つの作業自体も、
それを組み立てたり整理したりするプロセスも、
それがいつか、どこかの誰かや社会にもたらすであろうその意義も、
全部好きだったみたいだね。
でも、研究者として生きることの難しさ、危険性、立ち位置、いろんなこともたくさん考えてた。
男のプライド、責任、みたいなものも気にするというか、ちゃんと考える人だったから、結婚を決めてからは更に、そんなこともたくさん考えてたみたいだった。
私も、自分の人生の形を考えていた時期に、てっちゃんに聞いたことがあった。
「てっちゃんの夢ってなに?」
仕事上の未来のプランとか、業績とか、そんな答えが返ってくるかなって思ってた。
でも、てっちゃんの「幸せ」はもっともっとシンプルだった。
「ん〜。ぼくは父親になれればそれでいいかな。」
その言葉で、私の心が、一瞬ですっっごく温かくなったのをハッキリ覚えている。
"私も…"
そうやって、本当に穏やかな心で思ったのを覚えている。
ある意味、すごくてっちゃんらしい答えに、すごくホッとしたのも覚えている。
仕事をバリバリやって、お互いがお互いの道を歩んでいく夫婦像みたいなものにも憧れてたけど、でも、結婚してアメリカに行く選択肢を取った私にとって、てっちゃんを支えながら、日々の生活を、一緒にどれだけ楽しめるかが、私の役目で仕事だとも思っていた。
仕事ができないもどかしさはあったけど、でも、てっちゃんとの生活は本当に楽しかった。
誰よりも楽しく過ごしてると毎日思ってた。
だから、あんなに仕事のことをたくさんたくさん考えているてっちゃんの「夢」が
「父親になること」
だと知ったとき、
それが私にとっても大きな夢だったとき、
本当に本当に幸せだった。
その夢を叶えるために私ができることを全力でしたいと思った。
その夢を叶えるための相方に、私を選んでくれたということを、改めて心から嬉しく思った。
なのに、
なのに、
叶えてあげられなかった。
てっちゃん、
なんにも悪くないのに、
なんにも悪いことしてないのに、
一生懸命勉強して、
がんばって仕事して、
私のことを全力で守ってくれて、
ただ、風邪引いただけだったのに、
一番シンプルで大きな人生の夢、叶えてあげられなかった。
叶いかけたんだ、本当は。
たった2週間だったけど、夢が叶うかも…って思えたんだよね、本当は。
去年の今日、私は最高に大きな誕生日プレゼントをもらった。
てっちゃんと私の間には赤ちゃんがいることがわかった。
それからわずか2週間で、叶わない夢になっちゃったけど…
もし、その子が元気におなかの中で育ってても、1月に逝っちゃったてっちゃんは会えなかったのだけど…
てっちゃんの夢、私が叶えてあげられたはずの夢、
実現させてあげられなくて、本当にゴメンね。
志野のせいじゃないって、きっとてっちゃんは言うけれど、
私にとってはどうしたって拭いきれない大きな大きな後悔。私にとっても大きな大きな夢だったから。
子供がいたら、今のこの悲しみや苦しさ、日々を送ることの辛さもまた違ったと思う。
もっともっと大変だったかもしれない。比べられるものでもないのはわかってる。
でも、でも、てっちゃんとの子供ができていたら、てっちゃんという存在をもっとこの世に感じていられたかなとか、これからの人生を生きていく意味とか価値をもう少し見出だせたかなとか、そんなことも考える暇なく守るべきもののために毎日を過ごせたかなって、無い物ねだりをする。
若くして、子供もまだ小さいのに、伴侶を亡くした人のことも見たり聞いたりしたから、決して安易なことは言えないけれど、でも、私の心からその後悔は消えない。
今年の誕生日は、
いつもと変わらずてっちゃんのことをたくさんたくさん想いながら、
あの日に出会うことができた小さな小さな命のことも想いながら、
1日を過ごすよ、てっちゃん。
雨が続いてた中、久しぶりに太陽を見せてくれてありがとう、てっちゃん。
2016年9月11日日曜日
思い出が悲しい
病院に運ばれて治療中のてっちゃんを思い出す。
その時のことが時系列関係なく、どんどんと頭の中を回る。
アメリカでのお別れ会のときのてっちゃんの顔、
日本で棺に入れてもらったあとのてっちゃんの顔、
そしてまた、病院で挿管中のてっちゃん…
なんで、なんで、ごめんね、ごめんね。
10回に1回ぐらい、まだ元気だった頃のてっちゃんの顔や声が次々と飛び込んでくる。
チャールストンの家で、ご飯を「うまいな~」って言って食べてくれるときの顔、
歯磨きしてる姿、
私のご機嫌を伺う顔、
リラックスして携帯いじってる姿、
なんでもうあの姿に会えないの。
会いたい、会いたい、助けて、助けて。
大好きなてっちゃんのことなのに、
全然心穏やかに思い出してあげられない。
楽しかったことを思い出せても、現実とのギャップに逆に虚しくて悔しくなるだけ。
大好きなてっちゃんのことなのに。
なんでよ、もういいよ。
私だって、こんなにずっと同じようなこと書きたくないよ。
2016年9月2日金曜日
これが普通らしい。
これが普通らしい。
死別を経験した人が抱く感情とか陥る状況…。
こんなにも毎日毎日てっちゃんのことを思って、呼びかけて、嘆いて、
それでもどうにもならない現実に絶望して、
少し落ち着いた時間がとれてるかなと思いきや、またどん底に突き落とされる…。
それが苦しい。
その全てが、大切な人を亡くした人の反応としては「普通」「当然」なんだって。
その行ったり来たりの波に飲み込まれるのが苦しい気がする一方で、ずっとその波に飲み込まれてしまっていたいと思う気持ちがある。
それも「普通」なんだって。
大切な人を失ったことによって、自分自身も一度死んでしまったように感じる。
それも「かなりの人に起こること」なんだって。
人が恨めしくなったり、自分を責める気持ちが消せなかったり、死別後の人生に期待も希望も何もない気がする。
それも「当然」なんだって。
でも、「私」にとって、それは「当然」でも「普通」でもない。
こんなのが「普通」なんて、本当に困る。
これっぽっちも望んでない。
耐えられない。
てっちゃんがいなくなっちゃって、もう7ヶ月も経つのに、てっちゃんがいない生活に、何の覚悟も準備もできてない。
「異常」だらけの毎日なのに、それが普通らしい。
何それ。
みんなの中でも、この私とこの現実が、少しずつ「普通」になっていく…きっと。
置いてかないでください。
「志野は一人でやっていけるタイプだね」とか、「どこに行っても大丈夫だね」とか、「何でも乗り越えられそうだね」とか、昔からよく言われてきた。
そんなこと全然ない…。
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