てっちゃんが私のために何度も言ってくれていた言葉… 32歳、急性リンパ球性心筋炎で、具合を悪くしてたったの5日で逝ってしまったてっちゃん。最後、彼と何も話せなかった。 頭の中をグルグルする滅茶苦茶な想いを、とにかく吐きだしてみようかと思う。 <The title of this blog is the words My husband, Tetsuya often said to me...He was only 32 years old, passed away due to acute lymphocytic myocarditis. I could not talk with him enough after he felt sick. I will just write out my feeling and emotion that are stucking in my mind everyday.>
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2016年6月10日金曜日
あの時のこと。1月14日~1月15日。
このブログを始めた大きな目的の一つ。
あの日、あの時のこと、ちゃんともう一回、書き留めていかなくちゃいけないと思う。
てっちゃんの具合が悪くなってから、この世を去ってしまうその瞬間まで、
その全てを見ていたのは、
この世に私一人しかいない。
てっちゃん自身だって、挿管されてからの記憶はない。
というか、本人がどこまで憶えているのか、私は知ることができない。
本当に本当に悔しいことに、
本当に本当に申し訳ないことに、
本当に本当に一生かかっても後悔と自責の念は拭えないけれど、
てっちゃんの両親、お姉さん、お兄さんが近くにいられない状況で起きてしまったこの事実。
思い出せば出すほどに、自分を責める気持ち、悔やむ気持ち、怒り、空しさ、情けなさが
溢れてくるけれど、あの時のことは絶対に忘れちゃいけないし、
てっちゃんの大切な人たちに、ちゃんと伝える責任がある。
家族のみんなには、友達のみんなには、知っててもらう権利がある。
てっちゃんの家族にも、今まで、その時その時で伝えてきたつもりだけれど、
正直、どこまで、何を、伝えられたか覚えていない。
だから、もう一回ここに書き留めていこう。
てっちゃんのお父さん、お母さん、お姉さん、お兄さん、
親戚の皆さん、友達の皆さん、お世話になった皆さん、
ちゃんと伝えられていなかったことがあったらごめんなさい。
てっちゃんを守ってあげられなくて本当にごめんなさい。
てっちゃん、力足らずの私で本当にごめんね。
てっちゃんが、私の目の前からいなくなってしまう日が、こんなにも早く来るなんて、
どうやったって考えたことなくて、そりゃ考えるわけもないんだけど、
てっちゃんの身体のことも、
世の中に起こりうる病気のことも、
身体に関する自分の知識も、
とにかくすべてをなめていたんだ、私は。
てっちゃんの声や想いを聞くことはもうできないけれど、
私があの時どんな風に思っていたかだけでも、これを読んで知っててもらえるかな。
そして、いつか、いつかでいいから、てっちゃんが何をどこまで感じていたのか教えてほしい。
2016年1月14日木曜日、夜。
たしかその日は、てっちゃんは普段通り19時まで仕事をして、私がいつも通り大学まで車で迎えに行った。
車生活の毎日だったけど、一台しかなかったから、毎日送り迎えをしていた。
帰ってきて一緒にご飯を食べて、でも少し風邪っぽいかもというので、早めに寝るように言った。
夕飯は、いつもとほとんど変わらず、それなりに食べてくれていたと思う。
2016年1月15日金曜日。
朝、まだ身体のだるさが残っていたみたいで、
「熱が出そうな感じ」
と言いつつ、でも仕事を休むほどじゃないと思ったのか、朝仕事に向かった。
そんなふうにいうことは、今までもときどきあった。
1年前ぐらいから、仕事がどんどん楽しくなっていたようで、期待される部分も大きくなったし、
やりがいをたくさん感じていたし、(もともとだけど)ちょっとの風邪ぐらいじゃ休むこともなかった。
お弁当もいつも通りもたせた。ただ、心配だったから、別れ際に
「しんどかったら、今日はいつもより早く切り上げておいで。(ベビー)シッターが終わった足で迎えに来られるから」
とだけ言っておいた。
私は、アメリカに行ってから、英語学校に通いながら、
ベビーシッターや日本語の家庭教師の仕事を少しさせてもらっていた。
その日も、午後に一件シッターの仕事が入っていた。
お昼過ぎ、心配で、
「調子どう?早めに帰ってきたら?」
とメールを送ると、
「あんまりよくなさそう。お弁当も残しちゃった。」
そして、夕方近くになって、
「やっぱり今日は早めに迎えに来てもらえる?」
と返ってきた。
17時半頃迎えに行って、帰ってくると微熱。
おじやを作ったら、「美味しい」と言って、思った以上に食べてくれた。
その後、すぐベッドに入ったけど、夜、熱があがってきて、38.2℃まであがった。
薬は普段なかなか飲みたがらなかったけど、しんどいだろうと思って、解熱剤を勧めて、
簡易的に作った氷枕を気持ちいいと思うところにあてさせた。
仕事を休むのが嫌いな人だったから、2人で、
「今日が金曜で良かったね。週末ゆっくり休んで治さないとね。」
と話していた。
その週末明けの月曜日、アメリカは祝日だったため、そこから三連休の予定だった。
ただの風邪だと思っていた。
少しすると解熱剤が効いて、熱は下がり、てっちゃんも熟睡。
その後、上がったり下がったりを2回ぐらい朝まで繰り返した。
1月という、時期も時期だったし、
「インフルじゃないといいけどね~。38℃台だし大丈夫かな~。」
なんて、適当な話をのんきにしていた。
汗もたくさんかいていたから、面倒くさがるてっちゃんを無理やり着替えさせたり、
そんなことをしながら、夜を過ごした。
薬が効いて楽に感じた時は、携帯でゲームをしたりもしていた。
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志野、色々書きとめてくれてありがとう。あの時の事が色々よくわかります。
返信削除志野は確実にその時々の最適な判断をして動いていたし、ベストをつくしていたよ。それは確信してね。
そうだったのかな。あれがベストな判断だったとはやっぱり思えないけど、私の力はそこまでだったんだなとは思う。
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