てっちゃんが私のために何度も言ってくれていた言葉… 32歳、急性リンパ球性心筋炎で、具合を悪くしてたったの5日で逝ってしまったてっちゃん。最後、彼と何も話せなかった。 頭の中をグルグルする滅茶苦茶な想いを、とにかく吐きだしてみようかと思う。 <The title of this blog is the words My husband, Tetsuya often said to me...He was only 32 years old, passed away due to acute lymphocytic myocarditis. I could not talk with him enough after he felt sick. I will just write out my feeling and emotion that are stucking in my mind everyday.>
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2016年6月29日水曜日
あの時のこと。1月17日。
2016年1月17日、日曜日。
この日あたりからのことは、もちろん覚えてるけど、少しずつ時間軸にずれがあるかもしれない。
朝にはたしか、てっちゃんの熱もほぼ微熱程度になっていて、
でも倦怠感が残っていたのもあり、
午前中は2人でベッドの上でゆっくりしていた。
もともと薬を飲むのが好きじゃなかったてっちゃんは、
熱が下がってきた時点で、解熱剤以外の薬を飲む気は全くなかった。
水が飲めずにゲータレードに変えて以来、多くはなかったけど水分は摂っていた。
ただ、相変わらずトイレの回数は少なかった。
何の危機感もなかった私たちは、熱が下がってきている時点で、
だいぶ回復傾向にあると思っていた。
普段から、土日もどちらか一日は、実験の調整や論文書きのために職場に行っていたので、
2日まるまる休まなくてはならなくなりそうで、少し悔しそうというか、困っていた。
腰が張ると言っていたのは、この日の昼頃だったかな…。
記憶があいまい。
金曜の夜から、ほとんどベッドで寝たままだったから、
「寝過ぎで身体がこわばっちゃったかな…」
なんて言いながら、
基本的には肩こりとか腰痛とか全くない人だったけど、
ここ1~2年は、首が疲れるなんてこともときどき言っていたし、
あまり深く考えずに、簡単にマッサージしてあげてみたり、
湿布を貼ってみたりして様子を見てみた。
食欲は相変わらずなくて、特に何も食べていなかったと思う。
というか、覚えているのは、てっちゃんが最後に食べたのはうどんだったな…と、
あとで病院で思ったことだから、つまりこの日は何も食べていなかったんだと思う。
夕方になって、ノソノソとベッドからリビングに出てきて、
「気管支にきちゃったかなー。」
と、気管支あたりに違和感があると言い出した。
咳をするわけでもなかったけど、
私もよく、風邪の終わりごろに気管支に症状が移ることがあったから、
そんな感じだろうと思っていた。
てっちゃんも、
「最近はあんまりなかったけど、昔はよく風邪の後に気管支やってたからな~。それかな~。」
と話していた。
今改めて考えてみると、
そこから、どれぐらいの時間をかけて、どれぐらい症状が変わっていってたのか、
はっきりしない。
本当に徐々に徐々に、という状況だった気もする。
てっちゃんが言っていたのは、
「なんかちょっと息が吸いにくい感じ。」
だった。
たぶん、
息が吸いにくいからと言って、呼吸数をあげすぎてもしんどいから、
という意識だったんだと思うけど、
その分意識的に息を吐いて、たくさん吸えるようにしている…
というかんじだった。
1月で部屋の中も乾きやすかったから、枕元に濡れタオルを置いて湿度を保つようにしてみたり…
温めた塗れタオルを口に当てて、乾燥による症状の悪化がないようにしてみたり…
数日前に何かのノリで2人で楽しんでいた足つぼマッサージを、ネットで調べ直して、
“胃腸”と“気管支”の部分を押してみたり……
それぞれ、効果も長持ちはしなかったけど、やってみると一時的にでも、
「ちょっといいかも。」
とか
「楽になったかも。」
とか言ってくれてたから、いろいろ試してみた。
てっちゃんも私も、もともと手足が冷えやすいタイプだったし、1月の寒い時期だったし、
あまり驚かなかったけど、でも足が冷たかったから、
私が自分で時々やる足湯を勧めてみたりもした。
(今考えたらこれも、心不全の兆候で全身の血流量が下がっていたんだろうな、とひたすら後悔)
たしか、そんなこんなをしていたのが、
夜の10時とか11時とかだったと思う。
ハッキリはしないけど…。
病院に行くことも考えた。
でも、日曜日の、しかも夜中…。
てっちゃんが働いていたのが大学病院ということもあり、
夜間救急で行くのは、その大学病院、という知識しか、正直私たちにはなかった。
日本でいう、いわゆる夜間診療をやっている町の診療所とか、個人のクリニックとか、
そういうものがあるのか、どこにあるのか、どんなシステムなのか、全く知らなかった。
そして何より、
「アメリカで夜間救急なんてかかったら、それだけで100万円ぐらいはとられるよ。」
という話を聞いていたこともあったし、
アメリカでの病院受診には相当の抵抗があった。
しかも、その時にはまだ、それが最悪な状況の前兆だなんて考えてもいなかったから、
大金を払う覚悟で行って、大した治療もされずに帰されるかも…
という気持ちも、抵抗感をあげていたのを覚えている。
てっちゃんの症状は相変わらず、ちょっとよくなってはまた戻り…を繰り返していた。
夜中の2時ぐらいになると、横になっている方が苦しくなって、
椅子に座っているか、立っていることが多くなった。
背中から腰のあたりをマッサージがてら、さすってあげると楽になるというので、
座っているときはひたすらそれを続けた。
気管支だけの問題じゃないんじゃないか…とは思ったけれど、
「心不全」
という言葉が頭に浮かばなかった。。。
何かおかしいと思ったけれど、そもそもの判断が足りてないことにも気づかなかったし、
それ以上に何かを考えることもできなかった。
今だから冷静に振り返ることができるからかもしれないけれど、
まさかてっちゃんの身にそんなことが起こるなんて思っていなかったからかもしれないけど、
本当に情けない。
夜中3時過ぎだったと思う。
てっちゃんが、
「寒いし、やっぱり湿度が必要な気がするから、お風呂ためてつかってみるわ。」
と、言い出して、お風呂に入った。
その間、私はベッドで少しウトウトしていた。
少し経ってあがってきたてっちゃんは、
「気持ちは良かったけど、やっぱりあんまりよくならないわ。」
と、少ししんどくなってきたようだった。
だんだん危機感が強くなってきた私は、
何も具体的な対策が取れなかったので、
ネットで心当たる疾患を調べていくことしか、もはやできなかった。
「朝になっても変わらなかったら、やっぱり病院に行こうか」
と2人で話した。
「朝になったら、S先生に電話して、この状況で大学病院の救急に行くのがいいか聞いてみよう」
と。
S先生は、日本人のDrで、アメリカでの臨床勤務歴も長く、
普段から本当にお世話になっていたし、
何か困ったことがあったときには、前からいろいろ助けてもらっていた。
朝まで待ってみたけど、やっぱり状況は変わらなかったから、
早朝ではあったが、失礼を承知でS先生に電話をした。
電話で、簡単に金曜の夜からの状況を説明している間に、
ベッドに横になっていたてっちゃんが、慌てた様子で飛び起きて、口を押さえているので、
「あ、戻しそうなんだ」
と瞬間的に思って、すぐ近くの洗面所にあったバケツを電話しながら渡した。
まる一日以上何も食べていなかったし、摂っていた水分量も減っていたので、
胃液以外何も出なかったが、
「ちょっとスッキリしたかも。」
と、呼吸も一時的に楽になったような顔を見せた。
結局、アメリカには救急外来だけを受け付けるクリニックのような施設があることを、
S先生に教えてもらい、近くにある場所を検索したら、車で5分のところにあった。
クリニックに行った先で、状況を英語で説明できるか?と心配してもらったが、
「とりあえず2人で行ってみて、困ったり何かあったらまた連絡します。」
とだけ話して、すぐに必要なものだけ持って出発した。
出かける直前に、なぜか直感的に、てっちゃんの脈をとった。
うまく脈がとれず、「あれ?」と思ったが、少し慌てはじめていたのもあり、
あまり深く考えずにとにかく家を出た。
てっちゃんは苦しそうではあったが、
相変わらず深めの呼吸を意識しながら自分のペースで呼吸していて、
自分で上着を着て、歩いて駐車場に向かっていた。
シートベルトが身体を締め付ける感じが嫌そうではあったが、
きれいに晴れた空を見て、
「久しぶりに外出た感じだわー。太陽が眩しい。」
と簡単な会話はしていた。
行った先で、どんなことが待っているのか、
少し慌てはじめている(救急受診に緊張している)自分も感じていたけど、
でもてっちゃんを支えなきゃと思って、多少冷静を装った。
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