てっちゃんが私のために何度も言ってくれていた言葉… 32歳、急性リンパ球性心筋炎で、具合を悪くしてたったの5日で逝ってしまったてっちゃん。最後、彼と何も話せなかった。 頭の中をグルグルする滅茶苦茶な想いを、とにかく吐きだしてみようかと思う。 <The title of this blog is the words My husband, Tetsuya often said to me...He was only 32 years old, passed away due to acute lymphocytic myocarditis. I could not talk with him enough after he felt sick. I will just write out my feeling and emotion that are stucking in my mind everyday.>
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2016年6月14日火曜日
あの時のこと。1月16日。
2016年1月16日、土曜日。
夜からの熱が上がったり下がったりしていたけど、それでも38℃台だった。
発熱以外に、咳や鼻水などの症状は全くないと言っていいほどなかった。
午前中は良く寝ていたが、この日は、食欲が前の日よりなかったみたいで、
食べたいものを聞いても、最初は
「う~ん…」
という感じだったが、結局温かいうどんなら食べたいということになった。
てっちゃんは、無類のそうめん好きで、そうめんは日本から大量に持って帰ってきて
よく食べていた。だけど、温かいにゅう麺は好きじゃなかった。
近くのスーパーにうどんを買いに行き、お昼に食べさせた。
所詮、アメリカのスーパーに売ってるうどんで、おいしくはなかったけど、
1人前弱は食べてたと思う。
ただ、そのあたりから水を飲むのを少し嫌がるようになった。
トイレの回数も減っていた気がした。
前の夜から、汗もたくさんかいていたし、水だけはしっかり飲んでと言い続けていた。
結局、夕方になって、
「おなかに水が溜まっちゃってる感じがして気持ち悪い。ちょっと吐いてくるわ」
と言い出した。
昔から、お酒を飲み過ぎた時とか、気持ち悪い時は、
我慢するより意図的に出すことに抵抗はなかったタイプだった。
トイレから出てきたら、
「スッキリした。水(を飲む)はダメかも。ポカリがあったらいいのに…。」
と言っていた。
もどしてしまったこと自体は勿論心配だったけど、
前日のゾクゾク感とか、熱が高くて辛い、という様子はなくなってきていたので、
早く良くならないかな~と、
その週末が看病で終わってしまうのかと残念にすら、その時はまだ思っていたと思う。
アメリカでポカリっぽいもの。。。。と考えると、ゲータレードぐらいしか思いつかなかったが、
それも、真っピンクや黄緑の着色料たっぷりの甘いものしかないイメージだったので、
あまり飲ませたくなかった。
でも、脱水よりはマシか…と思って、またスーパーに戻った。
レモン味とか、ライム味とか、まだ比較的スッキリ感の強そうなものを選んで帰った。
「これなら飲めそう!」
と、気分が違ったようだったので、できるだけ水分は摂るように、変わらず促した。
熱もだんだん下がってきていて、
相変わらず横になったままゲームをしたり、
少し眠ってみたり、
たまに私とのお喋りに付き合ってくれたり、
そんなカンジだったと思う。
私はと言えば、もともと金曜にでも作ろうと思っていた餃子の材料があったので、
冷凍しておいて元気になったら食べてもらおうと思って、
餃子作りをしていた。
ベッドの上からも、キッチンの様子は見える角度だったので、
てっちゃんも私がせっせと作っているのに気づいたらしく、
「あぁ~餃子食べたかった~」
と、食欲はないのに言ってくれたので、
「元気になったらたくさん食べてね~」
と、キッチンと寝室の距離で話していた。
結局、その餃子を食べてもらうことはできなかった。
今まで以上に想いを込めて作ったのに、てっちゃんに手料理を食べてもらうことはできなくなった。
その日は、結局食欲が戻らず、でも夜遅めの時間になって、
「でもやっぱり少しだけ、またうどん食べようかな」
と言ってくれたので、少し味を変えて食べてもらった。
昼ほどは食べられなかったけど、食後に少しアイスを食べたりもして、
普段はほとんど甘いものも食べないてっちゃんだったけど、
「風邪の時のアイスっていいね。」
なんて言っていた。
「でしょ~?それが私の場合は、風邪のときに限らずなのよ~」
なんて冗談も言っていた。
パソコンでメールやFacebookをチェックしたり、ネットニュースを見たりして、気分転換していた。
だるさは残っていたみたいだったけど、熱の振れ幅も減ってきていたし、
連休中にはよくなってくれるかな…と見込んでいた。
てっちゃんの隣を離れない私を見て、
「これで、もしこれがインフルで、志野に移っちゃったら、次はちゃんと僕が看病してあげるからね。今だけゴメンねー。」
なんて、優しい言葉をかけてくれた。
その日も夜~夜中は寝たり起きたりだったけど、
次の日午前中はゆっくり眠れたようで、一緒にベッドの上で休んでいた。
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やっぱりこの日も志野はその時にできるベストを尽くしていたし最適な判断をしていたね。
返信削除ここまではね。本当にただの風邪の症状でしかなかったから。ただ、ただ具合悪い旦那さんの看病をしてただけののんきな私だったよ。
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