Translate

ラベル ことば の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ことば の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年6月25日日曜日

久しぶりに書いてみよう。



日々、いろんなことを考えて、
一つ一つ書き留めておこうかとか、
このブログを使おうかとか思うけど、

自分の頭の中をここに書き出すことが、結果的に、自分自身を鏡に映し出してることのような気がして、

そうしたら、
苦しんでる自分も、
進もうとしている自分も、
どっちも見たくなくなって、どっちも見てほしくなくなって、あんまり書けなかった。


そんな中で、出会った本や人からの言葉を通して、改めて思った。


もっともっとてっちゃんの事を書き留めたい。


だから、また書きだすことにした。




先日、亡くなられた小林麻央ちゃん…。

彼女のことに関しては、あまりにたくさんの想いがあって、今ここには書ききれないけれど、
彼女が亡くなって改めて読んだ、彼女の文章が、てっちゃんのことを想う自分にとってすごく大きなものになったので、ちょっとここにも書き写しておきたい。

麻央ちゃんが、イギリスのBBCに寄せたという手記の一部。
テレビでもよく取り上げられている文章。


*****************************************************************

人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。 
例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。 
『まだ34歳の若さで、可哀想に』
『小さな子供を残して、可哀想に』 
でしょうか??
私は、そんなふうには思われたくありません。 
なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。 
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。 
だから、与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました。 
なりたい自分になる。 
人生をより色どり豊かなものにするために。 
だって、人生は一度きりだから。

ー英・BBCよりー
****************************************************************



てっちゃんもこう思っていてほしい、って心から思った。


「32歳にして突然この世を去ることになったことは、僕の人生を代表する出来事なんかじゃない」


って。

てっちゃんは絶対はそう思ってる。

てっちゃんは、実はこんなことを言ってたことがあったんだって。
もちろん元気で健康だったとき。


「僕、もし今死んでも、別にいいと思ってるんですよね~」


って。
それに対して、聞いてくれてた人が


「それじゃ志野さんどうするのよー!そんなこと言っちゃダメでしょ!」


と言ってくれたらしく、
そしたら、


「そりゃ志野には申し訳ないし、ものすごい辛い想いさせちゃうと思うけど」


って。
そんな、あとから考えたら何かを予感させるようなことを唐突に言ってたことがあったらしく…。


でも、それはきっと、
それだけてっちゃんがその時までの自分の人生に満足していて、
“色どり豊かな”人生を送れている自信があったからなんだよね。きっと。


そのてっちゃんの言葉とそれに対する思いを、
今まで私が口にできずにいて、
心の中で、この悲しみを励ます要素にできずにいたのは、


もしかしたら、

私こそが、てっちゃんの急死という事実を、

てっちゃんの人生で代表する出来事にしちゃってたからなのかもしれない。


てっちゃんが残していたそんな言葉を、私自身がしまい込んじゃっててゴメンね。。。


でもやっぱり…

最期に何も言葉を交わせなかったことで、
それまでの言葉や想いがなぜか全部、純粋に自分の中に残せなくなっちゃってて…。

やっぱり、最期に一言、
一言でいいからてっちゃんからの言葉が聞きたかったって、
その悔しさと寂しさが強すぎて、
それまで何度も何度も口にしててくれたことを、ちゃんと心に残せなくなってた……。


自分の人生に一つ一つ着々と色を付けてきて、
それと真剣に向き合って、
私の人生にまで色をつけてくれて、
それは私だけじゃなくて、
たくさんの愛をみせてくれた、

そんな魅力的なてっちゃんとは、どうしてももっともっと長く一緒に生きたかったから、

そんな力を持ったてっちゃんには、どうしてももっともっとこの世での経験をしてほしかったから、

その短さにどうしても理由がつけられなくて……



でも、少しずつかもしれないけど、

海老蔵さんも言っているように、

長いとか短いとかじゃなくて、

その軸で考えるんじゃなくて、

てっちゃんとの人生を、人生という一つのものとして、たくさんたくさん振り返っていくね。


今すぐ会いたいけど、
会えるまで、お互いもう少し、我慢だね。


2017年5月25日木曜日

二人目の自分




あれ以来、見失ってしまった自分。

二人目の自分の中で生きてるような感覚。





てっちゃんの奥さんとして、日々を楽しんでいた自分。

あんなに常に、何かの夢を持ち続けていた自分。

エネルギーを湧き起こす力があった自分。

皆と一緒に、それぞれの幸せなことや、楽しい瞬間を共有し合って、笑い合って、それが自然だった自分。

ちょっとしたことでも、大きなことでも、「やりたい」と思うことを叶えるために日々動いていた自分。



てっちゃんがいなくなっちゃったことが、自分にとってあまりに大きかったことは言うまでもないけれど、
その存在の喪失だけじゃなくて、
自分自身の喪失は日を追うごとに、自分にどんどんのしかかってくる。




「志野が笑ってればそれでいい」

そう、何度も言葉に残してくれたてっちゃん。


「自分のやりたいことを持って、それに向かって行動してる人って魅力的。志野はそんな人。」

そんなこともてっちゃんは言ってくれてたらしい。


今の私に会ったらガッカリするかな。

てっちゃんが残してくれた言葉すらも、
自分の原動力にできなかったら、
私にはどんな術があるんだろう。


その言葉を何とか何とか自分の力にしてることは間違いないけれど、二人目の自分がなかなか言うことを聞かない。


二人目の自分が願うことは、

てっちゃんともう一度会うことだけ。

ただひたすらそれだけ。


でもこの世で生きていくためには、

「それでも頑張ってます!」の自分にならなきゃいけないんだよね……。


この世は、この社会は、そうじゃないとだめなんだよね……。


そりゃ、今の私じゃ、勝手に疎外感感じて当然なんだよね…。



2017年5月6日土曜日

メール



私が中国にいた間や、

てっちゃんが先にアメリカに行ってた間、

遠距離生活をしていた間にほぼ毎日のようにやり取りしていたメールを読み返してみた。


てっちゃんがどんな言葉を私にかけてくれていたのかを振り返るために。


そこで改めて気づく。

てっちゃんは、すごく冷静な人。
嫌なことや苦しいことも、あがいたりジタバタしたりするというより、
現実的に何が必要なのか、どこは改善の余地があって、どこは無理なのか、すごく冷静に考えてる。

その、いっつも冷静で、客観的で、感情に振り回されない感じが、そうじゃない自分にとっては、いくらバットを振っても空振りする気分にさせられるような感覚があって、たくさんケンカもしてきたけど、
でもそのときには気付かなかった、てっちゃんのすごく大人な部分。


それにふと気づいて、今に立ち返って考えてみて、
そうしたら、
てっちゃんは今の状況にもジタバタなんてしてないんじゃないかと思った。

今までとは全く違う繋がり方になっちゃったけど、でも、その中でどうすることが私のためになるのか、冷静に、でもしっかりと考えてくれてる気がした。



2017年4月27日木曜日

止まったまま。変わらないもの。





“遺族は、大切な人を亡くした瞬間で時間が止まってしまったように感じている。

実際には、止まったのは亡くなったその人の時間だが、

遺族にとっても「その人とともに生きる時間」が死とともに止まったのだ。

それは、もう二度と動き出さない。

だからせめて、生きている時から連続している何かが1つでも続いていてほしい。

消えてほしくない。

心のどこかで、無意識にでもそう願っている。”





私と同じように旦那さんを亡くした方の言葉。




また少し停滞気味の自分の心。

昔のグルグルとは違う。

でもやっぱりそこにある変わらない闇。

吐きだし方も、よくわからなくなってしまった。

だから、「そうそう、わかるわかる、それです。」と思える言葉を借りてみる。