日々、いろんなことを考えて、
一つ一つ書き留めておこうかとか、
このブログを使おうかとか思うけど、
自分の頭の中をここに書き出すことが、結果的に、自分自身を鏡に映し出してることのような気がして、
そうしたら、
苦しんでる自分も、
進もうとしている自分も、
どっちも見たくなくなって、どっちも見てほしくなくなって、あんまり書けなかった。
そんな中で、出会った本や人からの言葉を通して、改めて思った。
もっともっとてっちゃんの事を書き留めたい。
だから、また書きだすことにした。
先日、亡くなられた小林麻央ちゃん…。
彼女のことに関しては、あまりにたくさんの想いがあって、今ここには書ききれないけれど、
彼女が亡くなって改めて読んだ、彼女の文章が、てっちゃんのことを想う自分にとってすごく大きなものになったので、ちょっとここにも書き写しておきたい。
麻央ちゃんが、イギリスのBBCに寄せたという手記の一部。
テレビでもよく取り上げられている文章。
人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。
例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。
『まだ34歳の若さで、可哀想に』
『小さな子供を残して、可哀想に』
でしょうか??
私は、そんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。
だから、与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました。
なりたい自分になる。
人生をより色どり豊かなものにするために。
だって、人生は一度きりだから。
ー英・BBCよりー
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てっちゃんもこう思っていてほしい、って心から思った。
「32歳にして突然この世を去ることになったことは、僕の人生を代表する出来事なんかじゃない」
って。
てっちゃんは絶対はそう思ってる。
てっちゃんは、実はこんなことを言ってたことがあったんだって。
もちろん元気で健康だったとき。
「僕、もし今死んでも、別にいいと思ってるんですよね~」
って。
それに対して、聞いてくれてた人が
「それじゃ志野さんどうするのよー!そんなこと言っちゃダメでしょ!」
と言ってくれたらしく、
そしたら、
「そりゃ志野には申し訳ないし、ものすごい辛い想いさせちゃうと思うけど」
って。
そんな、あとから考えたら何かを予感させるようなことを唐突に言ってたことがあったらしく…。
でも、それはきっと、
それだけてっちゃんがその時までの自分の人生に満足していて、
“色どり豊かな”人生を送れている自信があったからなんだよね。きっと。
そのてっちゃんの言葉とそれに対する思いを、
今まで私が口にできずにいて、
心の中で、この悲しみを励ます要素にできずにいたのは、
もしかしたら、
私こそが、てっちゃんの急死という事実を、
てっちゃんの人生で代表する出来事にしちゃってたからなのかもしれない。
てっちゃんが残していたそんな言葉を、私自身がしまい込んじゃっててゴメンね。。。
でもやっぱり…
最期に何も言葉を交わせなかったことで、
それまでの言葉や想いがなぜか全部、純粋に自分の中に残せなくなっちゃってて…。
やっぱり、最期に一言、
一言でいいからてっちゃんからの言葉が聞きたかったって、
その悔しさと寂しさが強すぎて、
それまで何度も何度も口にしててくれたことを、ちゃんと心に残せなくなってた……。
自分の人生に一つ一つ着々と色を付けてきて、
それと真剣に向き合って、
私の人生にまで色をつけてくれて、
それは私だけじゃなくて、
たくさんの愛をみせてくれた、
そんな魅力的なてっちゃんとは、どうしてももっともっと長く一緒に生きたかったから、
そんな力を持ったてっちゃんには、どうしてももっともっとこの世での経験をしてほしかったから、
その短さにどうしても理由がつけられなくて……
でも、少しずつかもしれないけど、
海老蔵さんも言っているように、
長いとか短いとかじゃなくて、
その軸で考えるんじゃなくて、
てっちゃんとの人生を、人生という一つのものとして、たくさんたくさん振り返っていくね。
今すぐ会いたいけど、
会えるまで、お互いもう少し、我慢だね。
てっちゃんもこう思っていてほしい、って心から思った。
「32歳にして突然この世を去ることになったことは、僕の人生を代表する出来事なんかじゃない」
って。
てっちゃんは絶対はそう思ってる。
てっちゃんは、実はこんなことを言ってたことがあったんだって。
もちろん元気で健康だったとき。
「僕、もし今死んでも、別にいいと思ってるんですよね~」
って。
それに対して、聞いてくれてた人が
「それじゃ志野さんどうするのよー!そんなこと言っちゃダメでしょ!」
と言ってくれたらしく、
そしたら、
「そりゃ志野には申し訳ないし、ものすごい辛い想いさせちゃうと思うけど」
って。
そんな、あとから考えたら何かを予感させるようなことを唐突に言ってたことがあったらしく…。
でも、それはきっと、
それだけてっちゃんがその時までの自分の人生に満足していて、
“色どり豊かな”人生を送れている自信があったからなんだよね。きっと。
そのてっちゃんの言葉とそれに対する思いを、
今まで私が口にできずにいて、
心の中で、この悲しみを励ます要素にできずにいたのは、
もしかしたら、
私こそが、てっちゃんの急死という事実を、
てっちゃんの人生で代表する出来事にしちゃってたからなのかもしれない。
てっちゃんが残していたそんな言葉を、私自身がしまい込んじゃっててゴメンね。。。
でもやっぱり…
最期に何も言葉を交わせなかったことで、
それまでの言葉や想いがなぜか全部、純粋に自分の中に残せなくなっちゃってて…。
やっぱり、最期に一言、
一言でいいからてっちゃんからの言葉が聞きたかったって、
その悔しさと寂しさが強すぎて、
それまで何度も何度も口にしててくれたことを、ちゃんと心に残せなくなってた……。
自分の人生に一つ一つ着々と色を付けてきて、
それと真剣に向き合って、
私の人生にまで色をつけてくれて、
それは私だけじゃなくて、
たくさんの愛をみせてくれた、
そんな魅力的なてっちゃんとは、どうしてももっともっと長く一緒に生きたかったから、
そんな力を持ったてっちゃんには、どうしてももっともっとこの世での経験をしてほしかったから、
その短さにどうしても理由がつけられなくて……
でも、少しずつかもしれないけど、
海老蔵さんも言っているように、
長いとか短いとかじゃなくて、
その軸で考えるんじゃなくて、
てっちゃんとの人生を、人生という一つのものとして、たくさんたくさん振り返っていくね。
今すぐ会いたいけど、
会えるまで、お互いもう少し、我慢だね。
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