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2016年12月11日日曜日

心と頭、写真とお骨



自分も現実もわからない。

頭の中でグルグル回ってたもの、回ってるもの、なんだかもう本当に数え切れないほど回りすぎて混ざっちゃったんだろうかと思う。

いろんな思いが駆け巡りすぎて苦しいから、一つずつ吐き出そうとしてみるけれど、もうその要素すらつかめなくなってきてる気もする。

少しそのグルグルした状態に、自分の身体がついてくるようになっただけで、中身は何も変わってないことはわかる。



だって私まだ、てっちゃんが死んじゃったって思ってない…。

あの数日に起きたことが、全ててっちゃんの身に降りかかったことだってことも、それを隣で全部見てたのが私だってことも、そのことは全部わかってる。

それが理由で日本に帰ってこなきゃいけなくなって、たくさんの人達がてっちゃんの最後に会いに来てくれて、来られなかった人もみんな、その事実を知りながらあれから毎日を過ごしてる。
それはわかってる。


でも、そのすべての結果、てっちゃんが死んじゃったってことがわかってない。

信じられるとか信じられないとか、そういうことでもなく、わかってない。
まだ、まだどこかで何かを信じてる。



たぶんわかってないのは私の心。
頭はわかってる。

だからなのか、心の中で、どこかに行ってしまったてっちゃんとうまく話すことができない。

てっちゃんの遺影を見つめながら、話をする。
でもあまりの違和感に長く話せない。
写真と向き合えばてっちゃんの顔が見えるけど、てっちゃんの身体の一部は骨壷の中にある。
だからお骨に向かって話すほうが、てっちゃんっていう「人間」と話せてる気がする。
そうじゃないとどこかそっぽ向いて話しちゃってるようにも感じる。
でも、お骨と向き合っているとてっちゃんの表情が見えない。見ようとすると、なぜか、悲しいけどなぜか、元気だった頃のてっちゃんじゃなくて、息を引き取ったあとのあの顔が出てきちゃう。

ベッドで息をしなくなっちゃったてっちゃん、
霊安室に運ばれたあともう一度会いに行ったときのてっちゃん、
お別れ会のときに数日ぶりに会ったてっちゃん、
日本に着いて改めて会ったてっちゃん、
納棺のときのてっちゃん、
お花をいっぱいに敷き詰められて、本当に顔しか見えなくなっちゃったてっちゃん、
そんなてっちゃんが、場所を変えて運ばれて、生きている私には絶対に入れない、扉の向こうの熱い熱い部屋に入れられちゃった…

出てきたらてっちゃんの面影これっぽっちもなくなってた……



悲しさよりも衝撃だった。


そんなすべてを振り返らないと、骨壷にてっちゃんの一部が入っていることが、私の心にはわからない。

でも、頭ではわかっている。

じゃあなんで、わかっている頭で心をコントロールできないんだろう…

それがわからないから…それができない自分もわからないし、この現実にどうしたって納得ができないから困ってる。

解決策はてっちゃんにしか持ち得ないものだとわかっているから先が見えない。


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