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2016年7月20日水曜日

あの時のこと。1月18日。3つ目の病院にて。前半。


2016年1月18日、月曜日。3つ目の病院(B病院)にて。




こうやって振り返りをしていると、思い出したこと、覚えていることを、
ちょっとでも書き留めておきたくて、だいぶ文が長くなってしまう。

でもそれをするためだから、とにかく書きます。



B病院は、てっちゃんが働いていた大学病院(C病院)から通りを一つ挟んですぐのところにある、市内でおそらく二番目に大きな病院だった。

去年、知り合いのアメリカ人が具合を悪くし、そこに入院していたことがあり、お見舞いにも何度も行っていたので、私も多少馴染みがあった。



S先生と病院に向かう途中、いろいろ話をしたが、先生もさっきまでいた病院で心電図を含め、
てっちゃんの様子を目で見るまでは、そこまでだと思わなかったし、現状を見た今でもまだ驚いていると言っていた。

ただ、今の現状をしっかり見つめるために、私を変に励ますためだけの誤魔化しなどはせず、冷静かつ客観的に、専門的な立場から意見を言ってくれた。


簡単に言うと、心電図を見た限り、てっちゃんの左側の心室がほとんど動いていなさそう、
ということだった。
あの状態で、てっちゃんがあんなにしっかりしているなんて、ビックリするぐらいすごいけど、
でもそれぐらい全然動いていない、と。



私たちの方が、てっちゃんが運ばれてくるはずの救急車より早く着いていたことはたしかだったので、駐車場に車を止めて、先生と救急の入り口でてっちゃんの到着を待った。



5分ぐらい待っただろうか。救急車がやってきた。



正直、内心、


「この搬送中にてっちゃんが心停止しちゃっていて、ドラマみたいに心肺蘇生されながら出てきたらどうしよう…」


そんなことすらも頭をよぎった。

救急車の中に見えたてっちゃんは、上半身を起こした状態でストレッチャーに乗っていた。

私たちが外で立って待っているのを見つけて、“着いたよ。”と言ってくれているかのように、アイコンタクトしてくれた。

当然だけど、寝巻に着ていたヒートテックとスウェットのジャージをそのまま着ていて、
上着に着ていたダウンは私が最初のクリニックから持ってきてしまっていたからなくて、
冷たい外の空気にてっちゃんが触れているのを見て、胸が苦しかった。

搬送用の人工呼吸器マスクは少しがっちりしたもので、頭から水泳帽のような帽子を被らされて固定されていた。


手だけでも温めてあげたかったし、声をかけてあげたかったけど、ストレッチャーに取り付けられた心電図のモニターを見つめながら、救急隊員があまりに真剣に



「いい調子。そのまましっかり深呼吸続けてね。」



と声をかけ続けていたので、私はしゃべりかけることができなかった。

後から考えると、あのときがもう少し最後にちゃんと私から声をかけてあげられるチャンスだったかもしれなかった。



建物に入り、廊下を進み、エレベーターに乗り…


人工呼吸器の設定がどうなっているのかも、確認はできなかったが、
私の目からは、さっきの病院にいた時より、てっちゃんは幾分か楽そうに見えた。


先生の予言通り、そのままの足でICUに入って行った。

日本のICUのように、入り口が2重にも3重にもなっている感じとは違って、
センサードアを一つ開けると、そこに主治医と思われる先生と、その他のスタッフ、看護師さんが何人も待ち構えていた。

前の病院から、てっちゃんの情報がすでに伝えられていて、すぐに治療が始められるように準備していてくれたようだった。



病室に運び込まれるてっちゃん、それを一気に囲い込む先生たち、取り残される私達…



たしか看護師さんだったと思うが、S先生と私に外の待機スペースにいるように声をかけてくれた。


「えっ?もう追い出されるの?」


と思うのと同時に、


「先生に任せるしかない、私の出番じゃないんだ」


とも思い、でも心の隅っこで、


「これが最後なんてことはないよね…?いや、ないない。」


と言い聞かせながら、言われた待機スペースに向かった。

30mほど離れたその待機スペースに着いた途端、S先生が私に声をかけてくれた。



「こんなことはないと信じたいけど、でもいちおう、とにかくいちおう、もう一回戻っててっちゃんと最後に話ができないか聞いてみよう。この後すぐ挿管されるのは間違いないから、大丈夫だと思うけど、もう一回だけ声聞きに行ったほうがいいでしょ?」



と…。
私はすぐに



「はい、ぜひ。行きましょう!!」



と返事をして、2人で急ぎ足で戻った。

ICUの前には着くも、ドア一枚先の世界とはいえ、インターホンで呼ばないと誰も気づいてくれないし、もうすでに治療が始まっちゃってたら遅いけど…

S先生がインターホン越しに看護師さんに事情を話してくれた。

最初は断られたが、なんとかもう一度、一言だけでいいからてっちゃんに声をかけたいと必死に伝え、入れてもらうことができた。


病室の中にいたてっちゃんは、まだ身体を起こしたままで、機械の準備を慌ただしくしている何人もの先生や看護師さんに囲まれていた。


てっちゃんの横に立ち、左手を握った瞬間、涙が止められなくなってしまった。

泣いたらてっちゃんだって絶対不安になる…

そう思ったけど、ものすごい不安と焦りが、心と頭に襲いかかって、止めることができなかった。




「がんばってよ…」




と声をかけた気がする。

「がんばってる人に“がんばって”はよくない」と良く言うが、それどころじゃなかった。

がんばってもらうしかなかった。



突然泣き出した私を見て、てっちゃんは強く手を握り返して、



「大丈夫だよ。」



と、「そんな何泣いてんだよ」と少し鼻で笑いだしそうな声で言ってくれた。

本当に心からそう思っていたのか、私のために強がってくれたのか、私にはわからなかった。

てっちゃんに声をかけるために、パワーをあげるために戻ってきたはずだったのに、何も言えなかった。

手を握るのが精一杯だった。





その会話が私たちの最後のやりとりになった。





S先生は、てっちゃんの右手をグッとつかみ、


「いいか、てっちゃん。これからたぶん、てっちゃんは麻酔かけて挿管されて、意識もなくなる。でも絶対乗り越えろよ!!いいか、かなり大変かもしれないけど、大丈夫だから、絶対帰ってこいよ!!いいな!」


てっちゃんの目をしっかりと見て、力強く言ってくれた。

その勢いに、てっちゃんもしっかり先生の目を見て、


「はい、大丈夫です。」


と答えた。



あの時に、ちゃんとしっかり抱きしめてあげたらよかった。

絶対大丈夫だから、ずっと外で待ってるからね、って、てっちゃんが少しでも安心できるような言葉をかけてあげるべきだった。

もっとしっかり目を見て、言いたいこと言ってあげるべきだった。

せめて、先生に追い出されるギリギリまで、隣にいて手を握り続けてあげるべきだった。



でも、できなかった。

その場にいることすらも、もう限界だった。

早くてっちゃんの治療を始めてあげて、と無意識に思った気もするけれど、これ以上てっちゃんの前で泣いて、不安を増やさせちゃいけないとも思った気がする。

S先生に、


「もういい?大丈夫?」


と聞かれ、涙を止めることもできず、


「はい…。」


とだけ答えて、私たちは病室を出た。そんな状況になっても、それでもまだ現実感はなかった。

待機スペースに向かいながら、


「大丈夫。てっちゃん若いもん!」


と、S先生が励ましてくれた。
S先生がいてくれなかったら、私は本当にどうにかなっていたと思う。

この瞬間、私よりもっともっとどうにかなりそうだったのは、てっちゃんだったはずなのに…。


酸素マスクをつけながら二回も救急車に乗って、病院を3か所も回され、
急に大勢のドクターたちに囲まれ、
私は泣いているし、
S先生にはこれから挿管されると言われるし、
周りは英語でいろいろ言ってるし、
苦しいし…


訳わからなくて、怖くて仕方なかったのはてっちゃんだったはずなのに…。



ごめんね、てっちゃん。。。



待機スペースに戻って、深呼吸をして、少し心を落ち着かせた私に、S先生は、


「てっちゃんのご両親や、ボスにももう一度、電話をして状況を伝えた方がいいかもね」


と声をかけてくれた。



頭も心も、状況に追いついていなかった私は、
そこで改めて、事の重大さと、私がすべき役割と、
そして、てっちゃんの家族が感じるであろう不安の大きさに気づいて、また一気に動揺した…

そんな記憶がある。



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