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2017年10月11日水曜日

ラスベガスの事件のことから



事件から約10日が経ってしまったけど…


ラスベガスで起こった、あの銃乱射事件。

事件後、毎日何件もの記事をアップデートしていたCNNのニュースを可能な限り読んでいた。


その中で、事件二日後(その後、随時更新)には掲載されていた記事には、事件で亡くなった人たちの名前や写真、職業や性格、知人からのコメント……

情報が集まっている限り、被害者たちのバックグラウンドを、一人ずつ順々にリストアップして綴った記事が公開されていた。

<Portraits of the Las Vegas shooting victims>
By Eric Levenson, Emanuella Grinberg and Jason Hanna, CNN
http://edition.cnn.com/2017/10/02/us/las-vegas-shooting-victims/index.html



最初にその記事を見た時は、正直少し驚いた。

日本では、被害者の名前、年齢、時に顔写真と言う程度で、
こういった形での報道はほとんどないんじゃないかと思ったから。


一般的には、

「死者数〇〇人、負傷者数〇〇人以上……」

と、数字だけが並べられて、それはもちろん大切な情報なんだけど、

でも、この記事を読んで改めて、事故や事件、災害によって亡くなった人がいるというニュースを聞いた時に今まで感じていた、

淋しさと言うか、
空しさと言うか、
あっけなさと言うか、

そういうものを改めて感じた。



人が一人命を落とすということは、

その一つの人生が終わるということで、

大きな大きな、代えようのない、世界で唯一の、その人のストーリーが終わってしまうことで、

そのなくなってしまった命の、何倍もの数の人が悲しみに襲われるということで、

その何倍もの数の人たちのストーリーも180度変わってしまうことで、

その人と今後繋がるかもしれなかった出会いや巡り合わせが絶たれてしまうことで、

その出会いによって何通りにでもなりえた人生ストーリーの可能性を閉ざしてしまうことなんだ。


数だけが伝えられてしまうと、その大小にばっかり目がいってしまって、
その一つ一つがどれだけ深いものなのかがぼやけちゃう。


別に報道の在り方に文句を言いたいわけでも、どうあるべきと言いたいわけでもなくて、
ただ単に、

命っていうものが、
死というものが、
どうやって捉えられてるのか、
私自身、てっちゃんのことも踏まえてどう捉えているのか、

ただただ考えてしまっただけ。

考えれば当然なことを言ってるんだなと思うけど、でも、


命を“大切に想う”とか、その人の死を“悼む”って、
その「死」や「命」の中身にちゃんと目と心を向けることなんだと思う。



この事件のことでCNNのキャスターが言ってた言葉。



「この事件に関して、人々の記憶に残るのが犯人の名前と顔ではなく、被害にあった方々の名前と顔であってほしい。」



本当にそう思う。




てっちゃんがこの世には帰ってこられないことは、やっとわかってきたけど、
それでも毎日思う。

続くはずだったてっちゃんの人生の物語がまだここにあったら…


今日の仕事はどうだったんだろう。

この週末は一緒に何をしてただろう。

今夜は何を食べたいと言ってくれただろう。


私の一日を、私の一週間を、てっちゃんの前で報告はするけれど、
一緒にその一日、一週間、一年を計画することも相談することもできないんだ。




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