てっちゃんが私のために何度も言ってくれていた言葉… 32歳、急性リンパ球性心筋炎で、具合を悪くしてたったの5日で逝ってしまったてっちゃん。最後、彼と何も話せなかった。 頭の中をグルグルする滅茶苦茶な想いを、とにかく吐きだしてみようかと思う。 <The title of this blog is the words My husband, Tetsuya often said to me...He was only 32 years old, passed away due to acute lymphocytic myocarditis. I could not talk with him enough after he felt sick. I will just write out my feeling and emotion that are stucking in my mind everyday.>
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2017年4月20日木曜日
再訪
一周忌を終えて、しばらくしたタイミングで、
この一年、ずっと心の中にあったものを確認する旅に行ってみた。
チャールストンに……。
あの場所、あの空気、あの景色…
向こうで出会った友達、
向こうで築き上げた自分たちの生活、
向こうで作ったてっちゃんとのたくさんの思い出、
何とも言えない居心地の良さ…
いろいろなものが、一年経っても自分の中にあまりに強く残っていて、
でも、ちょっと前までは、その想いの強さだけを理由に戻ったら、
寂しさや現実にまた打ちのめされてしまいそうで、
自分を無理やり「もう少し待て」って言い聞かせてた。
どこかで、てっちゃんはまだあっちにいるって思ってた。
二人で幸せに過ごしたあの場所の、あの感覚は、
あっちに戻ればまた得られるんじゃないかって、どこかで思ってた。
最後の望みのような部分もあった。
でも、それはあり得ないこともわかってた。
たぶん(というか絶対なんだけど)、
もう一度あそこに戻って、てっちゃんがやっぱりいなかったら、
てっちゃんがこの世を去ったことはやっぱり事実なんだと、
どんなにもがいても、どこに行っても、誰に聞いても、
それがやっぱり覆らないんだってことを、
理解せざるを得なくなるだろうと思った。
だから、向こうに行って、
その現実を身をもって改めて感じたとしても、
またどん底に突き落とされずに、耐えられるだけの覚悟ができてから行こうって決めた。
あんなことがあってもまだ、
自分の中に強烈な魅力を残すあの場所を、
ただただ悲しみに満ちた場所に変えてしまわないように、
自分の心の踏ん張りが、少し効くようになったと思ったら行こうって決めてた。
逆に、もし、そんな現実の中でも、
てっちゃんがいない空間でも、
てっちゃんとの思い出がいっぱい詰まった場所でも、
それを自分の胸にしまいながら、一緒に抱きかかえながら、
やっぱりそこで生きていきたいと思ったとしたら、
そこが私の居場所なんだと、そういうことなんじゃないかと思った。
まぁ、実際は、
そんなに難しく考えずに、感じたものを色付けせずに、できるだけそのまま自分に取り込んでくればいい、
その後のことは、その後考えようと、
そう思って旅をスタートした。
てっちゃんのために植えてもらった記念樹を訪ねたり、
親しい友人やお世話になった人たちに会いに行ったり、
てっちゃんと行っていた場所を回ってみたり、
泊めてもらった友達の家の庭で、ただただ自然に包まれて本を読んでみたり、
サイクリングに行ってみたり、ボートに乗せてもらったり、
てっちゃんが好きだったものを料理して、月命日やてっちゃんの誕生日を過ごしてみたり、
友達と毎晩のように語り合ったり、
てっちゃんが亡くなったのとほぼ同時期に、ご主人を亡くしたという女性と話をさせてもらったり、
アメリカ(ほとんどの友達はクリスチャン)の人たちの「死」に対する考え方を、いろんな人に質問してみたり、
友達の行ってる教会の礼拝に参加させてもらったり……
できるだけシンプルでいようと思ったけど、
景色一つをとっても、友達との話を通しても、何をやっても、
感じるものがものすごくあって、
自分に取り入れて整理するなんて、その場では全然できなかった。
てっちゃんがいないことを感じる度に、
自分の身体の周りにある、分厚い、目に見えない圧力が、グーーッと自分を押しつぶしてくる感覚があって、
身体が薄っぺらくなったような感覚になって、
視界がというより、身体の中がモノクロになったように感じた。
でも、そんなとき、
ボーッとしている自分の頬を叩くかのように、
目の前にある自然の大きさや明るさを思いっきり感じて、
大きく大きく深呼吸をして、チャールストンの空気をたくさん吸い込んで、
空を見つめてみると、
そのガチガチに張ってた圧力の壁が、少し緩まるような、
心の奥底に落ちかけた、“絶望”の塊が、ひゅーってまた外に出てくるような、
そんな力を感じた。
また違うタイミングでは、
なんというか、心の中の真っ暗闇が、真っ黒というより灰色に近くなって、
それぐらいならそのままでも、自分の中に抱えていけるんじゃないかと思ったりもした。
結果、
てっちゃんはやっぱり見つけられなかった。
大好きだった風景も、
研究室のてっちゃんのデスクも、
あの時のまま、そこに残っていたのに、
やっぱりてっちゃんだけはいなかった。
手を繋ぐその手がなかった。
でも、辛いだけじゃなかった。
悲しかったし淋しかったし、
自分が情けなくなったり、
やっぱりたくさん泣いたけど、
癒やされたり、パワーをもらったり、
これからのヒントをもらったり、
少し勇気が持てたり。
旅を終えて帰ってきて、
そしたら今度はそれが現実として襲いかかってきて、
ちょっとパニックになった。
向こうに行く前に不安に思っていたものが、
行ったときじゃなくて帰ってきたときに起こって、
冷静になるのに少し時間がかかった。
今後どうしていくかは、もう少し考える。
チャールストンが好きで、
あの場所が自分にとっては特別で、
向こうにも大切な友達がたくさんいる。
それは、てっちゃんがいなくなっちゃった今でも変わらなかった。
それがわかった今、改めて、自分自身の人生をもう一回考えていく。
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ありがとう。一人になった不安から、どうしても先々のことを考えちゃって、そんなことしたって未来はわからないのに、それで余計に自分が納得いくことなんて見つからなくて。
返信削除だから「焦らず、比べず。焦ってもその時だけ、比べてもその瞬間だけ。」できるだけそう思って過ごしてみる。
軌道修正と、外から見た私の姿や、単純に姉としての意見をいつでもいくらでもくれると助かる。
私もまたヘルプ出すね。