てっちゃんが私のために何度も言ってくれていた言葉… 32歳、急性リンパ球性心筋炎で、具合を悪くしてたったの5日で逝ってしまったてっちゃん。最後、彼と何も話せなかった。 頭の中をグルグルする滅茶苦茶な想いを、とにかく吐きだしてみようかと思う。 <The title of this blog is the words My husband, Tetsuya often said to me...He was only 32 years old, passed away due to acute lymphocytic myocarditis. I could not talk with him enough after he felt sick. I will just write out my feeling and emotion that are stucking in my mind everyday.>
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2017年1月14日土曜日
あの時のこと。1月18日。3つ目の病院で。その後。
てっちゃん、ずっと書けないでいてゴメンね。
ここから先の話は、私が書かなければ、てっちゃんも自分自身の身体に何が起きてたのかわからないもんね。
あれから1年が経とうとしていて、もしかしたら、本当に細かい部分はすでに私の記憶からも薄くなっているかもしれない。
でも、やっぱり忘れたくないことばっかりだから、できる限り書くね。自分でも驚くけど、私すごくいろんなことたくさん覚えてるから。
ここまでの話。
1月14~15日
1月16日
1月17日
1月18日①
1月18日②
1月18日③
2016年1月18日、月曜日。3つ目の病院(B病院)にて。
“とにかくてっちゃんの家に電話をしなきゃ。。。”
時差を計算して、日本が朝の5時だったか6時頃だったと思う。
早朝にこんな電話をしてしまって、ただでさえアメリカからの国際電話で驚くだろうに、こんな知らせをしなくちゃいけないなんて…。
本当に申し訳ない気持ちと、
こんな状況になる前にもっと早く現状を知らせる電話をするべきだったのではないかと後悔する気持ちでぐちゃぐちゃになりながら、
でも、私が冷静に話をしてあげないともっともっと動揺させちゃう…。
そう思って深呼吸したのは覚えている。
どんな風に説明したかは覚えていないけど、
電話をとったお義父さんは私を責めたてることも、問いただすこともなく、
「すぐにそっちに向かう手配をするから」
と言ってくれて、
「志野ちゃん一人で不安だと思うけど、できるだけすぐ行くからよろしくね。すまないね。」
と、私の心配までしてくれた。
実家にも電話をした。
とにかく、また状況が変わったり何かわかればこちらから連絡する、
ということを両方の親に伝えて、一度電話を切った…んだと思う。
そのとき、その状況に対して、かなり不安だったことも、緊張していたことも、動揺していたこともたしかだったけど、でもそれでもまだ、どこまで大げさにとらえるべきことなのかがわかっていなくて、
「大丈夫だよね?大丈夫だよね?このままなんてありえないよね?」
と、自分の頭の中で何度も自分を説得したのを覚えている。
待合室で、勝手に溢れ出てくる涙を抑えながら、そう声を出していたのを覚えている。
病院の事務の人がやってきて、入院の手続きをしなければいけないから、時間があるときに1階まで来てほしいと言われた。
S先生の判断で、ここから少し治療に時間がかかるだろうということで、すぐに向かった。
院内を歩きながら、とにかく現状を頭の中で整理しようと、てっちゃんの身体に何が起こっているのかを理解しようと、わからないことを一つ一つS先生に質問した。
手続きにくるように声をかけに来てくれたスタッフの人も、事務のスタッフの人も、やらなきゃいけないことは形式的な処理のことだったけど、表情も言葉がけも、すごく私を思いやってくれて、励ましの言葉をかけてくれた。
相当に敏感になっていた私には、その温かさすらも支えになった。
必要な手続きを終えて、また待合室に戻った。
S先生の経験と知識で、その時病室内ではどんなことが行われている可能性があるのか、この先どんなふうになる可能性があるのかを、客観的に、でも希望も含めながら教えてもらった。
心電図の状態から判断して、挿管の処置をする時に心停止が起きてしまう可能性は高いということ、
でもインペラという装置を使えば回復の余地があること、
それはまだ日本ではほとんどだか全くだか使われていない技術だということ、
何よりてっちゃんは若いし、それまでの心肺機能は健康そのものだったんだから、回復力は絶対に高いということ……
いろんなことを話してくれた。
主治医にあたる先生のことをすぐにスマホで調べてくれて、この先生は優秀な人のようだし、あの人は信頼して大丈夫だ、と、
最悪の時でも、心移植という方法がなんとかあるはずだから、と、
日本でできなくてもこっちだったらできる治療もあるから、大丈夫、とにかく信じよう、と
たくさんのことを教えてもらった。
どれぐらい待ったか覚えていない。
短い時間ではなかった。長かった。
しばらく待っていたら、さっき会った主治医の先生とは違う先生が待合室まで来てくれて、少し話をしたいと言ってきた。
前置きとして何を話したかは覚えてない。
どんな英語を使っていたかも覚えてない。
全部聞き取れていたかもわからない。
ただ、
「今、中で必死に治療をしていますが、すでに心停止を何回か繰り返していて、心肺蘇生を続けています。ただ、心室のリアクションがあまりにも悪く、すごく厳しい状態です。最悪のことも考えてください。So sorry for that...so sorry...」
そんなふうに自分の頭の中で和訳したことはハッキリと覚えている。
そんな訳のわからないことを言う先生の顔がぼやけて感じて、
そもそもよくわからない英語だらけだけど、一言でも聞き逃しちゃいけないと思って働かない頭を必死に動かそうとして、でもやっぱり右から左に流れて行ってる感じがした。
「なんてことをこの先生は私に向かって話しているんだろう。てっちゃんがさっきまで喋ってたの見てないんじゃないの。え、この先生、もうあきらめてるわけ…?」
文句とか、怒りとか、何とかして助けてよ!と泣きつきたい気持ちとか、何でもいいから湧き出てくる気持ちをぶつけたかった。
でもできなかった。
でも、うなずくことも嫌だった。
その告知を受け入れる気はなかった。
S先生が、考えられる治療の方向性、手段について、率直に全部聞いてくれた。
ちょっと会話のやりとりをして、その先生はまたICUに戻った。
私の頭は完全にシャットダウンしていた、と思う。
突然訪れた、今までの人生で感じたことのない、ものすごい不安と緊張というか…身体の芯がガッチガチだった。
何を考えていたか覚えてない。
しばらくすると、今度は主治医の先生が来てくれた。
きっとICUの中はものすごい状況だろうに、先生は穏やかな表情をしているように感じた。
S先生と私は、簡単にてっちゃんとの関係性を説明して、先生の話を聞いた。
「今、彼は中で本当に必死にがんばっています。心停止と蘇生を何回か繰り返して、ただ心室がほとんど動いてくれず、かなり大変でした。そこで先ほどから、心室のポンプ機能をサポートできるようにインペラを使い始めました。それもなかなか反応がなくて困ったんですが、やっとついさっきから少しリアクションしてくれるようになりました。ただ、まだあまりにも不安定で、安心はできません。」
そう言われた。
少し反応がみえたと聞いて、ホッとしたのは一瞬で、その一言あとにはまたどん底に突き落とされた。
その先生はそこから改めて、ここ数日での彼の症状の変化や、今まで病気などしていなかったかなど、私を通しての問診をした。
ウィルスが原因で起きたことだとは思うが、まだ原因が特定できていないと聞いたのも、この時だった気がする。
(書き忘れてたけど、たしか「心筋炎」という言葉は2ヶ所目の病院でS先生が私に話してくれたんだと思う…ちょっと混乱。)
その上でこういった。
「今まで心肺機能に全く問題がなくて、且つ彼ぐらい若い年齢で、ここまで急激に増悪するのは、雷が人間に直接落ちるぐらいの確率でしか起こらないことです。とにかく不運としか言いようがないです。ただ、彼のように年齢が若ければ、当然高齢の患者さんに比べて回復力は大きいですし、今回のように症状の増悪がすごく速い場合は、その分回復するときにはその回復も速いという情報もあります。」
この言葉があったかなかったかで、私のその先少なくとも数時間の気持ちは全然違ったと思う。
その瞬間は少なくとも、てっちゃんがすごいスピードで回復して、また笑ってくれる姿しか想像しなかった。
てっちゃんはそんなに簡単に負けない。
本気でそう思った。
てっちゃんの両親が今アメリカに向かう手配をしているということを伝えたのと、今はまだてっちゃんに会えないのかを聞いた。
今はまだ無理、ときっぱり言われてしまった。
また随時報告にきますと、そう言ってまた中に戻ってしまった。
一緒に連れて行ってほしいという思いと、私のことはどうでもいいから早くてっちゃんの元に戻って全力で治療してください!という思いと、もうメチャクチャだった。
それ以降、何回か経過報告のために日本に連絡を入れたと思うけど、どのタイミングだったか覚えていない。
そこからまた、頭を整理するためにS先生にとにかく質問をぶつけて、何度も同じことを確認したりして、とにかく頭の中を冷静でいさせる努力をした。
先生が新たに教えてくれたのは、たぶんこの先、状態が最低限安定したら、ECMO(エクモ)という機器を使って、血液の酸素化をしないといけないと思うということ。
それがこの病院でできるか知らないけど、少なくともうちのC病院(てっちゃんが働いていた場所)ならあるから、きっと連携をとってくれるということだった。
S先生の奥さんが改めて駆けつけてくれて、私のことを気遣ってくれた。
またしばらくして、また違うチームメンバーらしき先生が来てくれた。
「インペラを使って、やっと少しバイタルが安定してきました。ただ、これからECMOでの治療を開始するためにC病院に移って手術が必要です。今まだ病室の中はかなりいろいろなものが置いてあって、必要の無いものを少し片づけているので、もう少ししたら中に入ってもらってご主人に会えますよ。」
そう教えてくれて、もうとにかく早くてっちゃんのところに行って
「本当によく頑張ったね、てっちゃん!!!!本当によく頑張った。近くにいるから大丈夫だからね!!!!!」
そう伝えたかった。
待っている間、さっきとは違う緊張を感じて、そこからが長かった。
「もう少し」という言葉を、そのままに受け取りすぎて、待っても待っても呼びに来ない気がして、
「また急変とかしてたらどうしよう…私に知らせに来るとかそれどころじゃなく、また中で大変なことが起こってたらどうしよう…」
一旦温まった心に、また一気にそんな想いが押し寄せてきた。
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