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2018年4月15日日曜日

ただいま




てっちゃんの両親のおかげで、今年もまたあの地に行くことができた。


二人が感じて抱えてきた、

悲しみや現実の残酷さ、悔しさや、

それでも理解が及ばない苦しさは、

もちろん言葉では例えようがないんだけど、



でも、少しでも、この旅が、

頭と心のすれ違いや矛盾と闘うだけの時間じゃなくて、

てっちゃんの笑顔を思い浮かべられる、

心を解放できる時間であったらいいなと思う。



そして、

てっちゃんの代わりには決してなれないけれど、

少しでも、私のできる親孝行になった部分があればいいと心から願う。




あれ以来、もう何度も、
てっちゃんなしで飛行機に乗って長旅をしているけれど、

でもやっぱり今でも隣の席にてっちゃんを求める。


美味しいとは言えない機内食も、

ワインを二人でもらってゆっくり喋りながら食べれば、

何も気にならなかった。


チャールストンの空港は、この二年で工事が進んで、少し大きくなった。

4年前、
私がてっちゃんのいるチャールストンに着いたときに、
お迎えで座っててくれたあの場所は、もう見当たらない…。



心はどんな瞬間も、

あのときのものを鮮明に覚えてて探し求めてるのに、

今回、空港を出た瞬間に自分が感じたチャールストンの空気が違った。



(あれ…こんな空気だったっけ…こんな匂いだったっけ…)



吸い慣れた空気のはずなのに、

自分の身体や感覚が、チャールストンに「帰(返)ってきた」んじゃなくて、

“ホーム”が日本になってるのを思い知らされた。





でも、旅の間では、
そんなショックも静めてくれるほど、

チャールストンの

大きな空と、

大きな景色と、

陽の光と、

なんとも言えない自然の温かみは、


私にたくさんの深呼吸をさせてくれた。



息が止まるほど美しい、というのとは違う、

そこでただ空を見上げて、

肩の力を抜いて、

とにかく大きく息を吸いたくなるような、

あの空間。




心が急にてっちゃんを強く求める瞬間も、

その空間は、私に大きく深呼吸をさせてくれるか、

とにかくただ、涙を流させてくれるかの、必ずどっちか。


必ずすぐに逃げ場がある。



こうやって、書けば書くほど、やっぱりチャールストンが好きなんだけど、

でも、私はこの一年で、

日本で生活し直す自分を、だいぶ描けるようになった。

そして、それを受け入れられるように少しなった。



我慢してまで日本にいる必要なんてないと言うのはもちろんわかった上で、

もしかしたら何かの拍子にまた飛び出すかもしれないけど、


それでも、今の私には、

日本で、

母親と一緒に暮らしながら、

次の生活スタイルを少しずつ造り上げていくことがいいんだって、

ちゃんと納得してる。


そう「したい」と、ちゃんと自分の意思で思ってる気がすることもある。



だから、

チャールストンのもつ、

前と全く変わらないエネルギーも温かみも、

今回はちゃんと自分の中に取り込んで帰れる気がする。




そして、


「自分」を信じること、信じようとすること、

「自分」を大切にすること、

てっちゃんを信じること、

てっちゃんと私が二人で築いてきた絆を信じること、

聞きたくても聞けなくなってしまったてっちゃんからの言葉を、とにかく信じること、強く思うこと、


その全部がうまくできなくても、

そうしてみようと努力すること、

私が今てっちゃんにできることはそれだけだということ、

苦しいけど、

それを自分にずっとずっと言い聞かせるしかないし、

それが結果的にすごく大切なんだってことを改めてたくさん考えた。



そして、

そうやって努力して踏ん張って信じて生きてみたら、

きっと、いつか、何十年後かに、

なにかがたぶん、
なにかをたぶん、

理解できるんじゃないかと思う。




帰ってきてすぐは、心がわりときれいでいられるから、

そのうちに書き留めておいてみる。



てっちゃんが、日本にもチャールストンにもいないことを、
何度も何度も思い知らされるのはすごくしんどいけど、

でも、なんだかんだとここまで毎年、

あの地を訪れることができる環境や、
周りの人の理解、サポートがあることに感謝して…




てっちゃん、今回も私たちをたくさん守ってくれてありがとう。

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